第七話 「狼獣人と盲目奴隷、 食べる」
むかしむかしあるところに、 気の弱い狼の獣人の少年がいた。
少年はとても心優しく、 童話に憧れるような獣人の中では稀有ね存在だった。
彼が特に好きだったのは、 獣人と人間の禁断の恋を描いた童話だった。
今は人間と戦争中だし、 それを読むと親に怒られる事も分かっていたが......優しい少年はそれがいつか現実になると信じていた。
例えそれが自分の身には起こらなくとも、 そういう世界になると彼は信じてやまなかったのだ。
しかし魔の者の、 特に獣人の世界は弱肉強食で成り立っている。
優しい心も、 甘い理想を夢見る弱さも不要とされた。
だからいつの間にか、 その本性を隠すようになっていた。
少年は成長し、 青年となる。
いつしか彼は妻を娶っていた。
相手は同じく狼の獣人。
本来なら、 雄と番になった雌は従順になり付き従うようになる。
しかし元来気弱で優しい彼はそんな相手とは合わないと分かっていた。
その為彼が選んだのは......雄に決して屈しない、 強気な雌だった。
その頃彼は魔王軍に入り、 虚構で作り上げた強気な自分を演じ、 それなりの地位を得ていた。
彼の中ではその本性との差が大き過ぎて、 当時大いに悩み苦しんでいた。
そんな時に出会ったのが彼女だ。
その雌だけは、 彼の本性の弱い部分を受け入れ共に居てくれた。
だから、 彼女と番になる事に決めたのだ。
いつしか二人の間には子供が産まれる。
彼は慎ましいながらも幸せを手に入れていた。
だがそんなある日、 最愛の妻が大病に罹ってしまう。
その結果、 妻は
弱肉強食が理の魔の者の中では、 目の見えない彼女は蔑まれたが、 それでも彼は妻を見捨てなかった。
盲目の妻、 幼い子供。
彼は弱き二人の為により一層頑張り、 本当に心身共に強くなったいった。
そうして彼は、 魔王から一軍隊を任される程に、 四天王と呼ばれる程の地位を得るようになった。
その頃には、 妻を蔑む者などいなくなっていた。
こうして彼は知る。
自分が強ければ家族が傷つく事がないと。
だから青年は、 まだ心の中にある弱い自分を「見ない」ようになっていった。
人間とも分かり合えると信じつつも、 それを「見ない」ようにして人間を殺し続けるようになったのだった。
だが、 彼は結局代わりはしなかった。
妻の盲目のように、 弱い立場になってしまった同族を見捨てる事はしなかった。
魔王から与えられた広い屋敷にそんな者たちを住まわせるようになったのだ。
その中には、 人間もいた。
当然反対する者もいたが、 そんな人間が自分の軍に有益だと示す為に、 得意な事をやらせその存在の価値を見せつけ文句を言わせなかった。
ある人間の少女には、 斥候や戦闘以外のありとあらゆる才を見出し、
ある人間の少女には、 戦闘能力と家事を覚えさせた。
こうして彼は、
人間を殺し続けながらも、
魔の者も人間も分け隔てなく受け入れていった。
彼に助けられた者は皆、
粗野で乱暴で横暴で口が悪く傲慢な彼の中に、
本来の優しさを見出し尊敬するようになっていく。
彼はそんな者たちや家族に囲まれ、
本来の自分と外に出ている自分の乖離に悩みつつも、
周りの者に支えられ己を貫いていった。
思えば彼にとって、 この時期が一番幸せだったのかもしれない。
しかし、 そんな日々も長くは続かなかった。
彼はある年、 大規模な遠征へと出向いた。
人間側の大軍隊を返り討ちにすべく、 前線近くで長きに渡り指揮を続けたのだ。
数年かけ、 彼はこの戦いを魔王軍の勝利目前まで導いていた。
そんな時、 事件は起こった。
あくる日、 父の活躍を見たいと言った子供の願いを聞き、 屋敷から彼の家族が前線へとやって来ていた。
当然彼は戦場が如何に危険な場所かは分かっていた。
だが、
勝利目前のほぼ鎮圧状態の現状、
戦闘能力に長けた使用人総出での護衛、
何より己の力への絶対的自信、
それらにより彼は特別にその願いを聞き届けた。
その僅かな油断と過信が、 彼の人生を大きく変えてしまう。
彼はこれ以上人間側から大きな抵抗はないと考えていた。
後数日もすれば敵は撤退し、 勝利を掴めると思っていた。
だがそれが甘かった。
人間は、 全滅覚悟で魔王軍の拠点へと総攻撃を掛けてきたのだ。
死ぬ気の人間の抵抗は凄まじいものだった。
しかし魔王軍の被害は大したものではなかった。
だが、 不運にも一般人がその戦闘に巻き込まれてしまう。
それが、 彼の家族や使用人だった。
皮肉にも、
いつか分かり合えると思っていた人間に、
彼の妻も子供も殺されてしまったのだ。
生き残ったのは彼が受け入れた人間の少女二人だけだった。
軍の被害は大した事は無い。
しかし彼は、 この戦いで最も大事なものを失った。
彼は憎んだ。
妻と子供の命を奪った人間を。
そして何より、 己の過信と甘さを憎んだ。
だから彼は「見ない」ようにした。
心の奥底に隠したままの理想も、
失った家族の事も、
「見ない」ようにして憎しみに身を焦がし戦い続けた。
その結果、 彼はその戦いで残りの敵をほぼ一人で全滅させた。
いつしか彼は、 白銀の毛皮を返り血で赤く染め上げる『赤狼』の名で恐れられるようになった。
こうして『赤狼』はその名を更に轟かせるように、
殺し、
食い殺し、
また殺した。
そうしていく度に彼が「見ない」ようにしたものが赤く塗り潰されていく。
人間と分かり合えると希望を抱いたあの童話も、
失った家族やそこに向けられた愛も、
自分の甘さも弱さも全部、
彼は「見ない」ようにし忘れようとした。
そしていつしか彼の心は壊れ......本当に忘れてしまったのだった。
この後彼は、 魔王討伐まで残忍な四天王として恐れられるようになる。
魔王亡き後も最後まで抵抗する魔の者となるのだが......今となってはそれらも、 彼にとってはどうでもいい事となっていた。
彼の名は、
ウルフォン・ワードナー。
そして盲目になった獣人の妻の名は、
後に彼は、
偶然か、 無意識か、
食べようとして買った盲目の奴隷にも同じ名を付けたのだった......。
◇◆◇
......朝だ。
長い夢を見ているようだった。
まるで、 忘れていた記憶を辿るようなそんな夢。
それは悪夢か悲しき過去か、 それとも愛しい思い出か。
今の俺にはもう、 判断する事は出来ない。
ただ分かる事は......。
「......すぅー、 すぅー」
横で寝ているこの盲目の奴隷に、
◇◆◇
ブタイチョウたちや、 テンシュとメイドとの戦いから既に一ヶ月は経とうとしていた。
奴らとは和解し、 既に良好な関係を保てている。
それどころか......。
『おはようございます。 ウルフォン様』
その者たち総出で朝の挨拶に寝室に来られるような間柄になっていた。
正直迷惑だから止めて欲しい。
「お前たち。 俺はもう軍隊長であったあの頃の俺ではない。 ただの隠居した老いぼれだ、 そう畏まるな」
俺がいくらそう言ってもコイツらは止めやしない。
まぁ少しずつ改善はしてきてはいるのだが......。
記憶は思い出したものの、 結局俺の現状は変わらない。
個人的な事はともかく、 事実だけ見れば俺は、
『魔王様を守れず、 反逆も失敗した落ちぶれ四天王』なのだ。
そもそも四天王と言うのも人間が勝手に言い出した事、 俺は認めてすらいないがな。
兎に角、 「見ない」ようにしていたものを思い出したところでこの前までの俺の何も違いはないのだ。
だからそれを示すように、 俺は今も元部下たちの事を名前で呼んではいない。
勿論テンシュやメイド、 ブタイチョウや一緒にいた元部下たちの名前はしっかりと思い出している。
けれどそれを呼ばない事で、 俺は過去の自分とは違うと明確に主張しているのだ。
そもそも俺が奴らの名前を呼ばなくなったのは、 魔王様以外の個人に固執しないようにする為だった。
俺の甘さが悲劇を生み、
俺の弱さが最も大切なものを失わせた。
だから「魔王様を守る残忍な獣」となり甘えを捨てる為に、 俺は個人に固執しないようにと決めたのだ。
その気持ちは今も変わってはいない。
だからこそ俺は奴らの名前をもう呼ぶ気はない。
そうする事で過去の自分と決別しようとしている訳である。
まぁ奴らはそれでもいいと主張しこんな始末なのであまり意味はないのかもしれんが。
しかしまぁ、 正直な所彼ら彼女らには感謝しかない。
俺は弱い。
それを皆は知っている。
だからこそ多くの大切な事を「見ない」ようにしたのだ。
そしてその記憶を取り戻す事で俺が深く傷つくと思っていたようだ。
その為、 皆は俺がそれらを思い出さないように必死になってくれたのである。
実際俺もそうなると思っていた。
だから奴らには頭も上がらない。
全ては俺を思っての行動なのだ。
俺は本当にいい部下を持った。
......そう。
俺の本質は結局変わらないのだ。
虚勢を張ってみたところで、
都合の悪い事を「見ない」ようにしたところで、
弱く滑稽で浅はかで愚かな獣人である事に違いはないのだ。
それの最たるものが、
ただ盲目という共通点だけで、
人間の奴隷に死んだ妻の名前を付けてしまう事だ。
本当に俺というやつは、 なんと愚かなのか......。
◇◆◇
「......ウルフォン様」
記憶を取り戻したと言っても、 やはり俺が変わっていないのと同じく生活は大きく変わってはいない。
「ウルフォン様」
元部下たちの態度が変わったと言えばそうだが、 これは改善し元に戻り始めている。
その他には大きな変化はなく、 相変わらずオヤカタの下で扱き使われてる毎日だ。
「ウルフォン様? 」
もし変わった事があるとすれば......。
「ウルフォン様! わたくしの話を聞いていますか!? 」
この奴隷に対するものだけだろう。
「あ、 ああすまん。 少し考え事をしていてな」
「もうしっかりしてください! これは屋敷のお金周りに直接関わってくる事なのですからね! 」
ちなみに今は、 屋敷の周りで畑や牧場を作ろうと話をしていたところだ。
この屋敷はあれ以来コイツやメイドだけでなく、
テンシュやブタイチョウやその部下たちまでほぼ暮らしている状態になっていた。
最初は俺があの時負わせてしまった怪我の治療の為に部屋を貸していたが、 そこからいつの間にかズルズルと居座るようになったのだ。
まぁ俺としては昔に戻ったようで懐かしいし、 何よりいずれそうするつもりだったので構わないのだが。
しかしそうなってくると何分食糧や何やらで金がかかるのである。
だからこそ、 畑や牧場である程度の食糧を自給自足しようという計画が上がってきたのだが......。
「いいですか? 先ずは周囲の土地を買わなくてはなりません。 それから開墾して......」
その中心人物になっているのがこの奴隷だ。
コイツはあの事件以来、 こういった事に首を突っ込むようになってきている。
何故かそういった知識には富んでるらしいのだが......。
あの出来事以降、 誰もコイツを殺そうとしなくなった。
そもそも何故そうしようとしてたかと言えば、 この奴隷のせいで俺が記憶を取り戻す恐れがあったからだと、 テンシュから聞いた。
まぁ買った奴隷に死んだ妻の名前を付けたり、
今までにない心境的な変化を目の当たりにすれば誰でもそう思うだろうな。
だからこそコイツを殺してそれを防ごうとしたのだが......思い出してしまえばただの口うるさい盲目な女な訳で、 殺す価値も無くなったという訳である。
それはいいのだが。
おかしな事にテンシュやメイドは、 コイツを目上の存在として扱うようになっていた。
だからこそこういった金回し的な事に口を挟んできても何も言わないというか、 寧ろ任せようとしている様子を伺える。
一体奴らは何を考えているのか。
俺に悪い影響を与えると思っていたから殺そうとしていたというのに今や手の平返しだ。
まぁ奴らのオイタを許してやったのは確かに奴隷の言葉のおかげではあるが。
そこに恩を感じているのだろうか。
......もしやとは思うが。
まさかコイツが死んだ妻の代わりになるとでも考えているのだろうか。
だとしたらとんだ的外れだ。
俺は決して、
「ウルフォン様、 それでですね......」
「ああ分かった。 後はお前に任せる」
「え? ですがまだ話しておきたい事が......」
「よい。 全てお前の一存で決めろ。 迷ったらテンシュにでも相談すればいい」
「は、 はぁ......」
「少し出てくる」
「......行ってらっしゃいませ」
俺は奴隷を部屋に残し外に出た。
特にやる事は無かった。
ただ、 コイツの傍を離れたかっただけだ。
奴隷はさっきのやり取りで寂しそうな表情を見せていたが、
俺はそれを、 「見ない」ようにした。
◇◆◇
そんなやり取りを暫く続けていると、 奴隷は必要最低限以上には俺の所に来なくなった。
寝る時も部屋に来なくなった。
それでいい。
これでいいのだ。
そうなったからといって、 奴隷は自分の本分を忘れる事はなかった。
目を治そうと努力し、
メイドと共に家事に挑み、
畑や牧場を作る為に頑張っていた。
おかげで屋敷の心配をする必要がなくなった。
俺はオヤカタの下で働く事に集中出来た。
これでいい。
何も問題は無い。
そういった努力のおかげで、 奴隷は屋敷の者たちに信頼されていった。
俺の傍にいる特別な存在ではなく、
屋敷の住人として適切な信頼と立場を得ていった。
誰も奴を、 盲目だからと蔑む者も馬鹿にする者もいなかっま。
何もかも順調だ。
これでいい。
このままいけばアイツも屋敷も......。
「また『見ない』ようにしてるんですか? 」
そんな時、 テンシュにそう声を掛けられた。
何を言っているんだ、 コイツは。
「ウルフォン様、 また忘れるつもりなんですか? 」
この頃になると、 テンシュもメイドも他の元部下たちも、 不必要な畏まった態度は取らなくなったいた。
それは有難いのだが、 どうにもコイツは加減というものを知らないようだ。
金を返している立場ではあるが、 住まわせてやっている事を忘れているのだろうか。
そうだ、 忘れているのはそっちじゃないか。
これは分からせてやらねば......。
「いいえ。 忘れようとしているのはそっちです。
ウルフォン様、 何故リフィ様を『見ない』ようにしてるんです? 」
「っ! 」
俺はテンシュの言葉に動揺し、 何も言い返せなくなった。
......動揺? 何故動揺する必要がある。
俺は奴を「見て」いる。
一生懸命働き、 己の為に屋敷の為に成すべき事を成そうとしている。
それが正当に評価され、 今では本当に屋敷の者たちに慕われているではないか。
何故それを「見ない」などと......。
「それは屋敷に住む者たち皆の評価です。 ウルフォン様個人として『見た』ものではないでしょう」
本当に何を言っているんだコイツは。
それ以外何を「見ろ」と言うのか。
そもそも個人的な感情など抱く筈がないだろう。
アイツは所詮奴隷。
それ以下でもそれ以上でもないのだから。
「言っておきますけど。 私たち元部下は、 とっくに覚悟出来てますから。 後はウルフォン様だけですよ」
覚悟? 俺だけ?
ええい余計訳の分からない事を言いおって!
一体なんの覚悟だと言うのだ!
「あの世で奥様に......
......本当に何を言っているのか。
何故そういう話になる。
彼女にあの世で殺されるとすれば、 彼女と子供を守れなかった俺だけの筈だろう。
そんな覚悟はとっくに出来ているし、 お前たちまで付き合う必要はないのだから。
そう言葉を返すと、 テンシュは予想もしなかった事を言い出す。
「それは無理って話ですよ。 だって今の屋敷の者たち皆、 認めてしまってるんです。
「......は? 」
あまりの事に素っ頓狂な声を上げてしまう。
頭が追いつかなかった。
だが、
「いつあの人を娶るんです? 」
その返しで何かが外れた。
「ふざけるな!! 」
そうなるともう、 止まらなかった。
「俺がアイツを娶る? 奴隷の奴を? 馬鹿も休み休み言え!! 」
「俺が愛するのは、 これ迄もこれからも死んだ妻だけだ!! 」
「何よりそんな事が許される筈があるか!! 」
「妻と子供を守れなかった俺にそんな資格があるものか!!
」
「死んだ妻を忘れても忘れられず名前を使う男だぞ!! 」
「そんな大切な事さえ忘れて逃げるような男だぞ!! 」
「そんな俺が、 俺が......!! 」
言っている事がめちゃくちゃなのは分かっていた。
そして、 本当は自分の本音にも気づいていた。
テンシュの言う通り、 何を「見ない」ようにしているのかも分かっていた。
だからこそ、 認める訳にはいかなかった。
でないと全てが言い訳になる。
誰が認めようと、 俺だけは、 ソレを認める訳にはいかないのだから。
それが、 俺が背負うべき罪なのだから。
「......はぁ」
そんな俺を見て、 大きくため息をつくテンシュ。
それは俺の記憶が戻る前のものに戻ったと言っていいだろう。
「ま、 ウルフォン様が卑怯でヘタレだなんて知ってますからね。 そこに関してはこれ以上は言いませんが」
にしたって少し無礼過ぎやしないか?
これは俺の、 俺なりの覚悟があってだな。
「それよりも」
オマケにこちらの話は聞く気がないときた。
本当に腹が立......。
「何故最近は『食べてやる』と言ってあげないんですか......! 」
「っ!! 」
コイツ、 次から次へと......!
「いいかテンシュよ。 アイツを食うと言っていたのは俺が記憶を失っていたからだ。 それを取り戻してた今、 別に必要がなくなってだな......」
「記憶が無くなる前だって普通に人間を食べていたじゃないですか。 そんな言い訳通りませんよ」
ぐっ、 流石にこんな誤魔化しではダメか。
俺を真っ直ぐと見据えるテンシュ。
コイツの目、 全て見透かしてるとでも言わんばかりだ。
......全く、 とんだお節介やきが。
テンシュの言う通り、 俺は記憶が戻ってからというもの、 あの奴隷を食う気がなくなっていた。
理由は色々ある。
妻の名前を付けてしまった相手を食べるなど言語道断だし、
強がる必要が無くなった以上人間を食う必要も無くなった訳で。
更に言えば今やアイツは屋敷の中心人物だ。
そんな人間を食ってしまっては皆が困るというもの。
だから食わないでおいてやってる訳だ。
「全部言い訳ですよね? 」
それらの言葉を突っぱねてくるテンシュ。
だが......そんな事は全部自分が分かっておるのだ。
「とにかく! 結果がどうなろうと本当に食べるか食べないかがなんだろうと! あの言葉は、 リフィ様にとって! ......いえ、 後はご自分で聞いてください」
彼女はそう言い残すとその場を去って行った。
本来なら頭に来て叱り止めるべきなのだろうが......今の俺にその資格はないだろう。
何より、 否定する気にもならん程腑に落ちていた。
『後はご自分で聞いてください』
結局は、 これに尽きる訳か。
俺も、 覚悟を決めなければならんようだな。
地獄で、 妻に殺される覚悟を。
俺はその晩、 リフィを部屋に呼び出した。
◇◆◇
夜、 部屋の戸をノックする音がした。
「入れ」と促すとリフィが入ってくる。
もはや介護なしでも屋敷の中ぐらいなら自由に歩き回れるようになった彼女は、 一人で俺の元へやって来た。
「......今夜はどんな御用件でしょうか? 」
いつも通りの口調だが、 いつも通りではない。
明らかに声の調子が低く、 他人行儀のような印象を受ける。
恐らくここのところの俺の変化に気づき、 不平不満があるのだろう。
分かっている。
それを解消する為にここへ呼んだのだから。
「座れ」
俺は自分が腰掛けているベッドの隣にリフィを誘導した。
とはちってもそう言っただけだ。
今の俺たちの関係性ではそれで通るし、 一人でそこに座る事も雑作ない。
それだけ、 彼女が努力しているという事だ。
知っている、 全て知っている。
俺はそれらを全て「見て」きたのだから。
「......」
「......」
リフィは特に返事をしないまま無言で座った。
その後暫くの沈黙が続く。
呼び出したのは俺だ、 俺が先に喋りだすべきなのだが......何を言えばいいか分からない。
全く情けない話である。
「ご提案があります」
そんな事をしているうちに、 リフィの方が先に口を開いた。
内心ホッとしつつその提案に耳を傾ける。
その内容に、 俺が耳を疑った。
「この目を、 抉り出してよろしいでしょうか? 」
「......は? 」
何を言い出すかと思えば......これには俺も声を荒げてしまう。
「ふざけるなっ! その目を治す事こそ貴様の生きる希望であろう! 何故そんな事をする! 馬鹿な事も大概に......」
「違いますっ!!!! 」
「っ!? 」
しかしリフィはそれを超える程の怒声を俺にぶつけてきた。
思わず発言を制される。
その表情や匂いは怒りや悲しみに満ち、 歪んでいた。
そして、
「わたくしの生きる希望はその先にあったのです!! 」
己の罪を自覚する事となる。
「目が見えるようになるのが目標ではないのですっ! その先......その目でウルフォン様を見る事、 ウルフォン様と世界を見る事、 貴方様の毛皮を身体を笑顔を見る事こそ、 わたくしの生きる意味! 目を治す希望でした!! ......しかし、 もうウルフォン様にとってわたくしは必要ないのでしょう? 」
それは決して嫌味や卑屈で言っているのではない。
心からの叫び、 何も歪んでいない真っ直ぐな言葉だった。
「ならばもう、 目を治す必要などないのです。 でも目があればまた希望を抱いてしまう。 だから、 だから抉ってしまおうと思ったのです」
自分可愛さでもない、 ただ単純に俺への気持ちとそれを蔑ろにした俺の態度の狭間で、 コイツは揺れているんだ。
「例え一瞬の光景でも良かった。 それらを見れたなら、
俺は、 コイツに生きる理由を与えた。
コイツに希望を持っていいのだと教えた。
それを自分で勝ち取れと言った。
だがそれだけだ。
俺はその言葉に真っ直ぐ応えてくれたコイツに対し、 何も返していない。
それどころか、 自分の都合で距離を置いた。
こうなってしまうのも当たり前だろう。
ならば俺のすべき事はなんだろうか。
そんなのは、 決まっている。
俺も、 真っ直ぐコイツの頑張りに応えてやるだけだ。
「言いたい事はそれだけか? 」
冷静を装いつつそう切り出す。
恐らく高圧的に捉えられたのだろう。
リフィはただ「はい」と応え無表情になっていた。
出会った、 あの頃のように。
俺はそれに胸の奥を締め付けられつつ、 言葉を続けた。
「ならば次は俺の要件だ。 そろそろ頃合だと思ってな」
「ころ、 あい? 」
その意味が分からないと言ったように首を傾げるリフィ。
気にせず俺は語った。
「貴様は充分に幸福を感じただろう。 忘れたか? 貴様を人間として普通の生活をさせ幸福に溺れさせ......その後絶望させると」
「っ」
俺の言いたい事に気づいたのか、 リフィの表情に変化が現れる。
「その表情が見たかった、 その言葉が聞きたかった。 貴様が絶望する様、 実に見事であった」
嘘だ。
俺は最早コイツの絶望など望んではいない。
こんな表情も悲痛の叫びも出させるつもりはなかった。
だがこうでもしなければ面倒くさい俺の性格からは話を切り出せん。
ここからが俺の本音。
俺の、 覚悟の現れだ。
「決めたのだよ。 今夜、 貴様を、 食うと」
「っ!! 」
こちらの言葉に、
無表情だったリフィの顔に、
表情が戻る。
「あ、 ああ......ああっ! 」
正直それがどんな気持ちなのかは分からない。
喜んでいるような悲しんでいるような。
匂いもごちゃまぜで判断がつかない。
しかし、
「嘘、 ああそんな......この日をどれ程待ち侘びていたか......」
少なくともコイツの心を引き戻せた事は分かった。
その後リフィは、
暫くワナワナと身震いし、 どうしていいか分からないかのように慌てていたが。
覚悟を決めたのか、 こちらを向いて背筋を伸ばした。
「ご主人様」
見えない目が俺を見据える。
「わたくしは何の未練もありません」
そんな事ないだろうに。
俺は貴様の目をまだ治していない。
もっと言いたい事もあるだろう。
「さぁどうぞ一思いに」
しかし俺の覚悟にコイツが応えたというのなら、 俺も更なる覚悟を見せねばなるまい。
「わたくしをお食べください」
だから俺は、
彼女の両肩に手を置き、
顔に口を近づけ、
唇を、 重ねた。
「っ!? 」
顔を離すと驚愕の表情が目に入ってくる。
俺はそれを見てニヤリと笑った。
「どうした、 こういう事は得意ではなかったのか? 」
初めて洞穴に連れ込んだ時。
リフィは俺の目的を勘違いしそんな事を言っていた。
それがこのザマだ、 笑わずにいられるものか。
まぁ結果としてそれが
「え、 え? 確かにそれは......でもこんな優しい口づけなどされた事がなくて......。 ではなく! え? ええ? 何を......っ! 」
状況が理解出来ず混乱するリフィ。
しかし少しづつ思考が追いついて来たのか、 顔が真っ赤になっていった。
......ここしか、 ないだろう。
俺の最大限の覚悟を示すのは。
だから俺は、
見えない彼女の目をしっかりと見て、
こう言った。
「リフィ。 俺はお前を愛している。 俺の妻となってくれ」
「? ......っ!!?? 」
それはいつの頃からだろうか。
俺の中に芽生えた感情。
リフィへの、 愛。
それを俺はずっと「見ない」ようにしていた。
記憶が戻る前は気づきすらしなかった。
リフィと共にいる時の、
安らぎに、
昂りに、
楽しさに、
気持ちに。
始めは死んだ妻を重ねただけだったのだろう。
テンシュの店で無意識にそれを感じ買い取ったのだろう。
しかしそれは次第にそうではなくなる。
リフィと過ごした日々が、 重ねた会話が、 共に寝て触れ合った肌が。
俺を、 いつの間にか変えていたのだ。
記憶が戻り、 様々な事や感情を思い出した時、 俺はそれを自覚した。
しかし今度は意識的に「見ない」ようにしていた。
俺は死んだ妻の名を面影をリフィに押し付けた。
全てを忘れていたくせに俺の都合を強要させた。
そしてもうこの世にいないとは言え、 妻子がありながらリフィを想った。
そんな俺に資格なしと、 昔と同じように、
「見ない」ようにし、 忘れようとしたのだ。
だから距離を置いた。
彼女を通して自分に嫌悪感を抱いた。
このまま俺がおらずとも幸せになればいいと思った。
だがそれももう終わりだ。
テンシュに背中を叩かれてやっと踏み出せた。
思えばどちらにしろ、
妻にもリフィにも失礼な話だ。
だったら少しでも前向きな方向に進むべきなのである。
リフィは俺に教えてくれた。
いつかは、 自分の中の「見ない」ようにしている部分を「見る」べき時が来ると。
それが俺にとって、 今なのだ。
だから俺は、 あの世で妻に殺される覚悟で、 子供に軽蔑される覚悟で想いを伝えた。
こんな事、 聞こえはいいかもしれんが結局は言い訳にしているだけだ。
リフィを愛してしまった時点で俺の罪は変わらん。
だから、 言った。
これが、 俺の覚悟だ。
「......」
リフィは思考が停止してしまったのか、 口をあんぐりと開けたまま固まっていた。
匂いからも感情を読み取れない。
俺は答えを待つしかなかった。
そこでふと思う。
断られたらどうしようかと。
そもそもこの話しは、 リフィも俺の事を思っている前提で踏み出したものだ。
今までの彼女の言動と、 テンシュから焚き付けられた事でそうだと確信してのものだった。
しかし全て勘違いだったらどうすればよいのか。
彼女の想いも、 テンシュの話も俺の解釈違いならこんな恥はない。
ただリフィにまた迷惑を掛けているだけだ。
......いや、 いいか。
例え俺からの一方通行だったとしても、 その時は......。
「想っては、 いけないのだと考えていました」
ウダウダと俺が内心していると、 遂にリフィが口を開いた。
「立場、 種族、 この目、 全てにおいて、 わたくしはウルフォン様とは釣り合わない。 そして奥様の話を聞いた時、 それは確信に変わり、 絶対に表に出してはならないと思ったのです」
そうか。
コイツも「見ない」ようにしていたのだな。
それは全て俺のせい。
辛い思いをさせた。
「だから、 だから......ただ食べて貰えるだけでも幸福だと、 出来すぎていると思ったのに。 それで満足出来たのに......こんな、 こんな......」
ここまで、 表情は歪もうと崩れようと決して決壊する事のなかったリフィの涙腺が、 遂に壊れる。
彼女は、 見た事もないくらい涙を流し、 泣き始めた。
「わたくしで、 いいの、 ですかぁ? こんな、 盲目の、 奴隷など、 わたくしなど......ああああっ! 」
遂にわんわんと声を上げて泣き崩れる彼女を、 優しく抱きしめる。
「ああ、 いいんだ。 俺はお前がいい。 リフィこそ、 こんな俺なんぞでいいのか? 全てを『見ない』ように忘れ、 妻も子もいた、 こんな老いぼれで」
俺の最後の問いに、
「っ......はいっ! わたくしを! ウルフォン様の妻にしてください!! 」
リフィはハッキリと、 そう答えたのだった。
こうして、 俺たちはこの日、 番となった。
その後俺は、 一晩かけて彼女を、 「食った」。
全身余す事なく食った。
食い尽くした。
今までの事など忘れるように、
全てを取り戻すように、
求め合った。
そしてその時俺は、
子供の頃好きだった童話を思い出していた。
野獣が美女を愛し。
美女が野獣を愛する。
種族の壁を越える夢物語を。
俺たちは、 その体現者となったのだった......。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます