第六話 「狼獣人と盲目奴隷、 見る(後編)」

 


『虫の知らせ』がけたたましく鳴っている。


 その瞬間、 ブタイチョウたちは何事かと手を止めた。

 ふむ。 未知の変化に気を止めるのは本能としても戦いの中でも重要な事だ。

 やはり俺の元部下は精鋭揃いだな。

 ......いや、 今はそんな事はどうでもいい。


 これが鳴ったという事。

 それはリフィの身に危険が降り掛かっているという事だ。

 俺の餌が危ない。

 ええい、 こんな時に色々重なりおって。


 直ぐに屋敷に戻りたいところだが、 この屈強な戦士どもはおいそれと通してはくれないだろう。

 先ずはこっちの問題を解決せねばならん。

 なぁに心配する事はない。

 メイドの奴は、 ああ見えて家事だけでなく戦闘においても長けている。

 そう簡単にはどうにかならないだろう。

 きっとリフィを守ってくれている。

 そうに、 違いない。

 そう思わなければ目の前の事に集中出来んからな。

 しかし何にせよ早いところこの場を片付けなければ。


 ......。

 そこで気づく。

 何故俺は、 たかが食事の為にそこまで必死に考えているのだろうか。

 いくら手塩にかけて美味くしようとしているとはいえ、 そんなにも比重を置くことなんだろうか。

 なんだろうな、 最近の俺はおかしい気がする。


「何も、 起こらない......? 」


 思考を遮るブタイチョウの声。

 どうやら今の今まで警戒していたらしい。

 まぁ時間にすれば数秒か、 妥当だな。

 何もないと判断したのか、 奴らは再びその鋭い爪を構える。


 これで本当に、 いよいよだな。


 死ぬつもりはないが、 もしかすると死ぬかもしれん。

 本当に覚悟の一つでもしておかなければならんな。


「無抵抗だというのならそれでも構いません。 俺たちは頼まれた事をするまでです」


 おうおう早くしろ。

 ま、 貴様ら如きに俺が殺せると......今なんと言った?

『頼まれた事』?

 これは誰かの差し金なのか?

 ......まぁいい。 今更関係がない。

 誰に頼まれようが、 元上司としてコイツらに出来る事はこれぐらいしか......。


「安心してください。 も苦しまずに殺す手筈ですから」


 ......あの娘?

 コイツさっきもそんな事を。

 全く、 誰かに依頼された事ならそうベラベラと喋るものでは......。


 あ。


 その時、 俺の中で全てが繋がった。


 コイツらは俺への恨みを出汁に誰かに抹殺を依頼された。

 どうやら同時に俺と関わりのある、 とある娘も殺す予定のようだ。

 ......そして。

 今さっき。

 リフィの危険を告げる『虫の知らせ』が鳴った。

 つまり......。



「......貴様ら。 リフィをどうする気だ......! 」

「っ!? 」



 気づけばブタイチョウの腕を掴んでいた。

 信じられない力が手に篭る。

 それこそ、 奴の腕が捻じ切れん程に。


「ぐあっ!! くっ! やれっ!! 」


 ブタイチョウの合図で獣人たtが一斉に襲いかかって来た。

 正に多勢に無勢。

 こんな老いぼれ相手に何と残酷なものだ。

 逆に言えば確実に相手を仕留められる最善の手とも言える。

 しかし今は、 コイツを貶す気にも褒める気にもならん。

 俺が気になる事は、 一つだけだ。


「もう一度聞く。 リフィをどうする気だ。 アイツに何をした」


 俺の問いかけにブタイチョウは答えない。

 ただ腕の痛みに耐え顔を歪ませているだけだ。

 まぁその判断は正しいだろう。

 自分の苦しみさえ我慢していればさっさと方が付く筈だからな。

 なんせ俺は複数人に一方的に攻撃されている。

 こうやって痛みで脅す事などもう直ぐ出来なくなるだろう。

 それでも、 俺はこの手を離す訳にはいかなかった。


 その後も何度も問いかけた。

 しかし答えは返ってこない。

 それでどころか俺に対する暴行が過激さを増していく。


 顔を殴られた。

 口の中に血の味がする。


 腹を蹴られた。

 胃の中の物が逆流し吐いてしまった。


 腕を噛みつかれ爪で切りつけられる。

 丈夫な毛皮を貫通して傷を負う。


 骨が至るところで折れている。

 内臓もやられたかもしれん。

 血が溢れる。

 痛みが全身を襲う。


 それでも俺は、 その手を離さなかった。


「ぐあああああっ!! こ、 これが軍隊長の、 本来の、 ちか、 ら......! 」


 ブタイチョウは痛みに耐えながら何かを言っている。

 本来の? 馬鹿が。 貴様は俺の何を見ていた。

 こんなものは全盛期の十分の一にも届かんわ。

 その証拠に、 今はコイツの腕を離さない事がやっと。

 周りからの攻撃を防ぐ事も、 コイツらを蹴散らす事も出来んわ。

 魔王様といた頃などそれが可能だったというのに。

 全く、 俺も老いて腑抜けたな。


 だが、 このままこうしている訳にもいかんか。


「なっ!? まさか、 軍隊長!? 」


 リフィの危機にコイツらが噛んでいるのだとしたら、 今獣人や魔の者に襲われている筈だ。

 ならば流石にメイド一人では荷が重い。

 だとすれば......俺が直接向かうしかあるまい......!


「オレを掴んだまま! これだけの数相手に攻撃されたまま! 歩けるというのですか!! 」


 ブタイチョウの言葉通り、 俺は立ち上がり形振り構わず歩き出していた。

 数多の攻撃を受けながら、 な。


 とてつもなく痛い。

 今にも死にそうだ。

 何故俺はここまでしているのか。

 自分でも分からないが......そうしなくてはいけない気がしている。


 リフィを、 助けなければ。



「くそっ! 離せ! 離せっ!! 」


 ブタイチョウが俺の手を殴ったり引っ掻いたり噛み付いたりしている。

 無駄だ。

 そんな事をしても離す気は......いや、 違うか。

 


 俺は握り潰す程に掴んでいたブタイチョウの腕を離した。

 奴は引き抜こうと力を込めていた為、 その反動で後にすっ転ぶ。

 これでいい。

 これで身軽になった。

 俺は脇目も触れず駆け出した。


 しかしその途端攻撃の激しさが増した。

 出だしは良かったが、 直ぐに失速してしまう。

 これでは思うように進めない。

 余程リフィの元に行かせたくないのか。

 それにブタイチョウから離れた事で攻撃しやすくなったのだろう。

 あのまま人質として引き摺り回していた方が良かったか。


 いや違う。

 のだ。

 今の状態なら、 目の前で邪魔する奴らを退かすだけでいい。

 このぐらいシンプルの方がいいのだ。


 しかし奴らも攻撃の手を緩めてくれる訳ではない。

 寧ろこのままでは俺は隙だらけ、 屋敷にたどり着く前に死んでしまうかもしれん。


 やれやれ。

 無抵抗のまま殴られていればもっと軽めで済んだかもしれんのにな。

 こうして抵抗し逃げようとすれば向こうも躍起になる事ぐらい分かっていただろうに。


 それでも止められなかった。

 この衝動は衝動は制御出来るものではない。

 ならばそれに従うしかないのだ。

 例え俺の身体がどうなろうと......リフィの元に向かわねば。


 しかしどうするか。

 やはりこのままでは......。


「ぎゃっ!! 」


 焦りを感じ始めていた時、 後ろから悲鳴のような声が聞こえた。

 それは獣人の誰かのもののようだが......当然俺からは攻撃していない為俺の手によるものじゃない。

 だとしたら一体何が起こっている?

 不思議に思い振り向くと、



「おいオオカミ! 加勢にきたぜぇ!! 」



 そこにはオヤカタと、 大工仲間たちがいたのだった。


「なっ!? 何故、 お前たち......! 」


 思わず足を止めてそう声を漏らしてしまう。


 何故俺がこうなっていると分かった。

 何故分かっていてついて来た。

 ただの人間が獣人に等敵う筈がないのに。


 俺の問いかけに大工仲間たちは口々にこんな風な事を言っていた。

「水臭いぞ」と。

 訳が分からない。


「身内の喧嘩は俺たち自身の喧嘩よ! 放っておけるかってんだ!! 」

「っ!! 」


 オヤカタが叫ぶ。

 身内。

 コイツらは、 こんな獣人の俺を、 多くの人間を殺した俺を、 身内だと言ってくれるのか。

 助けて、 くれるのか。

 それを聞いて何か心の奥から込み上げるものを感じる。

 傷の痛みなどどこかへ行ってしまった。


 ああ、 俺はいつの間にか。

 この目の前の元部下たちにも引けを取らない。

 人間の、 『仲間』を手に入れていたんだな。


 ......いかん。

 感傷にばかり浸ってられん。

 リフィの元に行かねばならんのもそうだが、 コイツらはただの人間だ。

 獣人相手に敵う訳が......。


 そう思ったのだが。


 彼らは自慢の腕っ節と大工道具を武器に獣人たちとやり合えていた。

 流石は毎日力仕事をしているだけあるという事か。

 ......ふんっ! いつもは大工道具をに使うのを一番嫌う奴らのくせしおって!

『身内』の事となるとなり振りかまってられんとでも言うのか?


 フフ、 フハハハっ!

 人間のくせして面白い奴らよ!


 よし、 これなら何とかなりそうだな。

 数の差はなくなった。

 ここは俺が加勢して一気に形成逆転を......。


「何ボサッとしてやがるオオカミ! 早くリフィちゃんのとこに行きやがれ!! 」


 その「喧嘩」に加わろうとした時、 オヤカタに怒鳴られた。

 何故だか知らんが、 どうやらこっちの事情は把握しているようだ。

 その提案はありがたいが......いくら人間を多く殺して食った残虐な俺でも悪魔ではない。

 このままオヤカタたちを残して行く訳にはいかんだろう。

 そもそもこれは俺の問題なのだからな。


 そう思って再度加勢しようとしたその時、


「おいテメェ、 オオカミ野郎!! 」


 再びオヤカタが叫ぶ。


「ここは俺たちに任せろって言ってんだよ!! 」

「っ!! 」


 ......。

 そうか、 そうだな。

 どうやらこういう時は、 獣人も人間も変わらんらしい。


 オヤカタは「ここは任せろ」と覚悟を決めて言った。

 ならばそれを無碍にするような真似は、 男として野暮というものだ......!


「すまない、 頼む......! 」


 俺は再び屋敷の方に駆け出す。

 今度は誰一人として追って来ない。

 オヤカタたちが頑張ってくれているおかげだ。

 この時間を無駄には出来ない。


 俺は傷ついた身体に鞭を打ち、 なりふり構わず屋敷に向かったのだった。


 ◇◆◇


 自分でも信じられない程のスピードで俺は森を駆けていた。

 まるで全盛期に戻ったようだ。

 恐らく気の所為だがな。

 それ程焦っているのか。

 何にせよ、 幸いな事に屋敷にはこの森を抜けるだけでたどり着く。


 こういった場所で走るのは慣れている。

 本能が走り方を知っている。

 今の俺は、 一匹の狼だ。

 自分の群れを守る為に命をかける狼になっていた。


 待っていろよ、 リフィ。

 メイド、 どうか俺が行くまでリフィを守ってくれ。


 そんな事を考えているうちに、 俺は屋敷に到着した。



 屋敷は不気味な程に静かだった。

 中には誰もいない。

 しかしそこには確かに獣人が複数人踏み入ったようだった。

 匂いや足跡など痕跡が残っている。

 とにかく、 ここにはアイツは居ない。


「リフィ!! 」


 屋敷を出ると思わず叫んでいた。

 そんな事をしても返事が返ってくる訳がないと分かっている。

 しかしそうせざるを得なかった。


 何処だ。

 何処に行った。


 匂いを辿ろうにも、 獣人たちがこの辺りに居たせいか、 その匂いが強く残り追跡出来ない。

 くそっ! もう少し早く到着していれば!!

 しかし嘆いていても仕方ない。

 とにかく当てずっぽうでも近くから探して......。


「ウルフォン、 様......」


 その時、 俺の耳に呼び声が聞こえた。

 微かだが確かに聞こえた。

 そしてそれは、 間違える筈のないもの。


 リフィのものだった。


「リフィ!! 無事か!! 」


 その声はあの洞穴の中から聞こえて来た。

 俺は考えるよりも早く、 罠の可能性も考慮せず、 気づけば先に身体と声が先行していた。

 風のように駆けて洞穴に入った。

 そして中には、 探し求めていた人物がいたのだった。


「リフィ......! 」


 俺はその姿を見るなり、 思わず抱きしめていた。

 何故そんな事をしているのかなど考えている暇もなかった。

 コイツが生きてる事に安堵し、 その後直ぐに怪我がないか確認し始めたのだ。

 見たところ大きな外傷はない。

 しかしリフィは何故か疲弊しきっていた。


「ウルフォン様......」


 彼女の見えない目が俺の顔を探し、 その手が頬に触れる。

 俺はそこに手を重ね、 ここにいるのだと教えてやった。

 すると安堵した表情を見せる。

 よっぽど怖い目にあったのだろう。

 そしてその手には、 『虫の知らせ』がしっかりと握られていた。


「よく俺を呼び出した。 貴様にしては良い働きだ」


 いつも以上に虚な目でこちらを見るリフィ。

 かなり体力を消耗しているように見える。

 このままではマズイかもしれん。


「直ぐにテンシュのところに連れて行ってやる」


 その時の俺は、

 余計な金が掛かるとかそんな事を考える気も起きなかった。

 ただコイツを助けねば、 それしか考えていなかった。

 餌に対してなぜこれ程......何て疑問は欠片も湧いては来なかった。

 だからリフィを抱え、 全力でテンシュの店に向かおうとしたのだ。

 しかし、


「ダメです、 ウルフォン様。 逃げて、 ください......! 」


 それをリフィに制された。

 その声はやっと絞り出したような微かなものだった。

 彼女はそのままボロボロと泣き出してしまう。


「申し訳、 ございません......貴方様を、 呼び出さないようにと、 必死に、 抵抗したのに、 それも、 叶わず......」


 それを聞いて愕然とした。

 コイツは自らの意思で俺を呼んだ訳ではないのだ。

 ブタイチョウの言葉から考えるに、 こちらに来た獣人もリフィを始末しようとした筈だ。

 それでもコイツは俺を頼らず、 たった一人で抵抗しようとした。

 そういう事だ。


 メイドの姿が見えない。

 恐らく獣人どもにやられたか。

 だからコイツは本当に一人で抵抗していた。

 屈強な大工たちがやっと拮抗出来るかどうかの相手に対し。

 盲目で、 か弱いコイツがたった一人で。


 必死で逃げ回ったのだろう。

 この疲弊具合からそれは分かる。

 それが如何に恐怖に満ちた状況だったか。

 それが、 如何に絶望だったか。


 その事を理解した時、 俺の心の奥から湧き上がる物があった。

 今までは何か分からなかったが、 今なら分かる。

 いや、 思い出したというべきか。


 これは、 愛しさだ。

 主人を守ろうとする健気なコイツへの慈悲だ。

 誇り高き魔の者の俺がもっとも忌み嫌う、 優しさだった。


 俺はその感情に任せ、 もう一度リフィを抱きしめていた。


「馬鹿者! 貴様が死んでは、 何も意味はないではないか! 何の為の『虫の知らせ』だ! 」


 俺は思わず叫んでいた。

 強くリフィを抱きしめていた。

 コイツを愛しいと思う気持ちが止まらなかった。


 ああ、 そうか。

 やっと分かった。

 盲目になっていたのは俺も同じなのだな。

 俺は何か、


「あぁ、 何と幸せな事でしょうか。 わたくしはもう、 目など見えなくても構いません。 このまま、 貴方様に食べられてしまいたい......」


 リフィが絞り出すように囁き、 力なく腕を俺の頭に回してくる。

 ......食ったりなどするものか。

 何故なら、 俺は......。


「......ですがどうか、 この場はわたくしを置いて、 逃げて、 ください。 どうか、 ウルフォン様だけでも......」


 何かを自覚しそうになった時、 リフィの言葉で現実に引き戻される。

 そうか、


 俺だけでなく、 リフィまで襲撃された理由は分からない。

 しかし敵の目的はハッキリしている。

 それは俺とコイツの抹殺。

 だが奴らにとって『虫の知らせ』の存在は予想外だったのだろう。

 それにより俺に知らせが飛んだ事で、 こちら側にいた敵は作戦を変えたのだ。


 リフィを餌に、 俺を誘き出すというものに。


 その証拠に、 洞穴の外には獣人たちの匂いが集まっていた。

 その中にブタイチョウたちのものも混ざっている。

 オヤカタたちを退けたか。

 彼らの無事を確かめたいところだが......どうやらこちらにはそんな余裕はないらしい。


「......ここで少し待っていろ」


 俺はリフィをその場に降ろし、 洞穴の入口へと向かった。

 しかしまたそれを声で制させる。


「お待ちください!! ダメです! 行かないで! お願いです! 行ったら死んでしまう! そんな傷で......どうかもうわたくしを一人にしないでください! 約束したではないですか!! 」


 そうか。

 コイツは奴らを相手にすれば俺が死ぬと思ったのか。

 だから頑なに『虫の知らせ』を使おうとしなかったのだろう。

 オマケに先程受けた怪我も気づかれた。

 不安にもなるというものだろう。


 だが安心しろ。

 俺は死なん。

 ここを切り抜けて、 約束も生きる意味も果たしてやる。


 俺は、 元魔王軍獣人軍隊長ウルフォン・ワードナーだ。

 たかが元部下などに負ける筈がない。


 何より思い出した。

 俺は、 「」というものにはのだ。


 しかしこれは敢えて口にはしない。

 今のコイツに何を言っても不安を煽るだけだろう。

 その代わりこう問いかけた。


「獣人共を率いていた誰かを、 お前は見たか? 」

「っ!! そ、 それは......」


 リフィが言い淀み顔を逸らす。

 ......なるほど、 そういう事か。

 信じたくはないが......


「そこで大人しくしていろ......! 」

「っ! ウルフォン様!! ダメっ!! 」


 俺はリフィの制止を振り切り、 洞穴の外へと飛び出した。


 ◇◆◇


「......そこを退いてください、 軍隊長」


 出るなりブタイチョウ率いる獣人の軍団が待ち構えていた。

 しかし奴は開口一番にそんな事を言う。

 まるで俺よりも、 リフィを優先して殺したいような口ぶりだな。

 まぁそんな事は、 どうでもいい。


「貴様らも獣人の、 魔の者の端くれなら分かっているだろう」


 体勢を低く構えながら言葉を返す。

 今度は無抵抗で一方的にやられるつもりはない。


「我らの根本にあるのは『弱肉強食』。 その願い叶えたくば......俺を殺して押し通るがいいっ!! 」


 奴らとの戦いは、 その言葉が合図となり始まったのだった......。


 ◇◆◇


「はぁ、 はぁっ......! 」


 俺は辛うじて立っていた。

 足元には無数の獣人の死体。

 いや死んではいないのだが、 死屍累々の如く奴らは地面に倒れている。

 その場に立っているのは俺と、


「流石がウルフォン様。 白銀の毛皮を、 『赤狼』と呼ばれるまで血で赤く染め多くの戦で仲間を守った伝説の戦士」


 ブタイチョウだけだ。

 しかしそれも、


「......やはりオレは、 軍隊長には、 元に......」


 奴はそんな事を言いながらその場に倒れた。

 やはり俺が認めた男、 ここまで粘るとはな。

 しかしまだまだよ。

 俺に勝つには年季が違うというもの。

 ......まぁこの人数相手では少し危なかったが。

 起きたら褒めてやるとするか。


「......さて」


 俺は周囲を見回した。

 洞穴には向かわない。

 まだ終わってはいないからだ。


 ブタイチョウの口振りから察するに、 コイツらを焚き付けた本命がいる筈だ。

 しかも恐らく近くに。


 獣人共はソイツの言葉に従い事を実行したのだろう。

 だがさっきの言葉から、 全ての意思が合致した訳ではないようだ。

 ブタイチョウたちは殺気こそ放っていたし本気だったものの、 その中に迷いも感じられた。

 それがなければ俺も危うかったかもしれん。

 そして、 それを黒幕も理解している筈なのだ。


 ならばソイツはどう考えるか。

 目的が一致しきらない獣人たちを俺に嗾け、 勝敗がどうであれ疲弊したところを狙ってくるつもりなのであろう。

 更に言えば、 そんな思考は獣人からは生まれない。

 己の弱さを理解した上で卑怯でも使えるもの全てを使う、 だ。

 さっきのリフィの様子からも察するに、 今回の黒幕の正体は......。


「いるのだろう。 いい加減出て来たらどうだ」


 僅かだが匂いを感じる。

 何かしらの方法で誤魔化してはいるようだが、 それは確実に近くから発せられている。

 こんな芸当が出来る人間など、 俺は一人しか知らん。



「いつもの腑抜けたままでいればいいのに」



 ソイツはそんな言葉と共に俺の前に現れた。

 様々な魔術と技術に長けた人間。

 それは......。



「テンシュ、 やはり貴様か」


「はい。 今回の一件の黒幕は私ですよ? 文句あります? そして借金返してください」



 俺の問いかけにいつもの調子で答える黒幕。

 しかしその表情は、 いつもとは違って飄々としたものではなかった。


 そう、 黒幕はテンシュだったのだ。


 考えてみれば分かりやすいものだ。

 俺たちの事を把握し、 今の現場の場所も分かり、 怪しまれずに屋敷に近づける人物。

 そんなもの、 コイツしか出来ん。

 つまりテンシュがブタイチョウ共を焚きつけ俺たちを襲わせたのだ。


 だがこれだけではネタバラシは弱い。

 魔の者、 獣人は強い者にしか従わない。

 戦闘能力が皆無のコイツだけでは話すら聞いてもらえなかっただろう。

 ならばもう一人、 コイツと同じ条件に該当しつつ強い者の協力が必要だ。

 そうなるとやはり、 自ずと答えは見えてくる。


 アイツは家事全般を完璧にこなす。

 しかしそれと同時に、 獣人にも負けない程の戦闘能力を誇り戦場を駆けていた。

 俺がそう育てたからからだ。

 ソイツの言う事なら、 ブタイチョウも耳を傾けただろう。


「メイド。 貴様もいるんだろう」


「......はい。 アタシも、 ここに」


 俺の呼びかけに、 テンシュの横に姿を現すメイド。

 そうか。 やはりコイツもグルか。


 なるほど、 リフィも言い淀む訳だ。

 アイツはそれなりにコイツらを信頼し慕っていた。

 そんな奴らが自分をおそってくるなど......信じたくもないだろうし、 俺を苦しめたくなかったのだろう。

 全く、 どこまで甘く健気なのだ。

 しかしまぁ、 それでも死にたがらなかったのは成長と言えようか。


「あまり驚かないんですね」


 テンシュがいつもの不機嫌な様子で問いかけてくる。

 これでも驚いているのだがな。

 しかし理解は出来る。


 コイツらには魔王軍時代から苦労を掛けてばかりだし、 今もそうだ。

 そのどこかで恨みを買っていても何ら驚く事ではない。


 それを伝えてやると、


「だったら借金返してください」

「もっと、 褒めて」


 などといつものように言ってきた。

 全く、 緊張感があるのかないのか。


 ......しかし、 今回の事はそれだけでは済まされない。

 理解は出来るが分からない事が多いのだ


「何故俺だけではなくリフィも襲った。 何故今日なのだ。 ブタイチョウたちが協力した訳はなんだ」


 その問いかけに二人は何も答えない。

 じっとこちらを見ているだけだ。

 堂々と、 気遅れもせずに。

 その立ち姿は、 魔王軍時代に戻っていると言えよう。

 だから俺も思わず当時の調子で叫んでしまう。


「答えろ! テンシュ! メイド! これは命令だ!! 」


 その言葉に反応したのは、


「......テンシュ? メイド? 」


 テンシュの方だった。


「私たちはそんな名前じゃないんですよ!! 」


 俺はその反応に驚いてしまった。

 今更そこか? という気持ちもあったがそれ以上に......テンシュの気迫が凄かったからだ。


「違う。 そうじゃない。 アタシたちの目的、 それじゃない」


 それに気づいたのかメイドがテンシュを言葉で制した。


「分かってる! 分かってるわよ! でもこの人、 んだもん!! 、 こんな......! 」


 しかしそれでは彼女の気迫が苛つきに変えただけだった。


 だがこれで確信した。


 今まで感じていた違和感の正体。

 先ほどリフィ相手に溢れ出た甘い感情。

 そして今の言葉。


 俺は、 何かを忘れているのか?


「ならば教えてくれ。 俺は一体何を忘れているんだ」


 自覚はやっと出来たものの、 その内容に関しては全く見当もつかなかった。

 だから素直に問いかけたのだが、


「うるさいっ! 勝手に忘れたくせに! 」


 テンシュを更に激昂させてしまったようだ。

 これは益々知らなければいけないと思うのだが、


「ウル様。 思い出さなくていい。 そのままで、 いなきゃ、 いけない」


 どうやらメイドはそれをさせたくはないらしい。


「ウル様の、 ペースに、 乗せられては、 ダメ。 アタシたちの目的、 忘れ、 ないで」

「分かってる、 分かってるわよ! 」


 ふむ。

 この二人案外いいコンビだ。

 戦場で共闘する事はなかった為考えもしなかったが、

 直上しやすいテンシュをメイドがしっかりとコントロールしている。

 逆に慎重過ぎるメイドをテンシュが大胆さで引っ張っている、 か。

 これだけ分かりやすいのに何故俺は気づけなかったのか。

 前の屋敷では皆共に住んでいた、 いくらでも見ている時間はあったろうに。

 まさかこれが忘れている何かだと言うのか?

 ......いや、 今はその事を考えていても仕方ない。

 それよりも確認しなくてはいけない事があるからな。


「貴様たちの目的は一体なんなのだ。 何故俺たちを襲った」


 ブタイチョウたち獣人が指示された事。

 その真意はリフィを殺す事、 あくまで俺の襲撃は囮や足止めだ。

 そこまでは彼らに伝えてはいないだろうがな。

 俺への恨みやなんかを利用したのだろう。


 そこまでは読める。

 しかし何故そうするのかは理解が出来ん。

 俺への復讐なら俺を殺せばいいだけの話、 わざわざリフィを殺すという周りくどい事をしなくてもいい筈だ。

 餌を取り上げ俺を絶望させてから殺したいのか?

 それとももっと、 何か俺が忘れている事に関係しているのか。

 なんにせよ真意が分からない。


 俺の餌を奪おうとする者はなんぴとたりとも許しはしない。

 しかしコイツらは、 今も昔も俺の部下や助けてくれる者たちだ。

 その二人がこうして俺に牙を向けると言うなら何かしら理由がある筈。

 返り討ちにするのはその後でも遅くはない筈だ。

 そう思って問いかけたのだが。


「リフィを殺す! それ以外は貴方は知らなくていいんです!! 」


 テンシュの反応からそれを聞き出すのは難しそうだ。

 勿論冷静なメイドも答えてくれる筈もないだろう。


 ならば手は一つか。


「ふんっ! そうか、 ならば答えなくてもよい。 ......しかし、 あれだな。 ここまでしても思い出せぬところを見ると......その俺が忘れた記憶も、 貴様らの名も、 大して俺にとっては重要ではなかったようだな」


「「っ!!?? 」」


 こっちの言葉にあからさまに反応する二人。

 これでいい。 予想以上に効果があった。


 俺は敢えて二人を挑発した。

 単純なテンシュならばそれで激高し口を滑らせるかと思ったからだ。

 例えそうならなくても、 頭に血が昇った者を相手にするのは容易い。

 無効化した後で話を聞けばいい、 そう考えたのだ。

 メイドにすら影響があったのは嬉しい誤算だが......。


「今のは、 頭に、 きた」

「ええ。 先にウルフォン様を叩こう。 殺さなきゃいい)ね? 」


 どうやら効き過ぎてしまったようだ。

 これは、 少しまずいか?

 ......いや、 そんな事もあるまい。

 メイドには警戒すべきだが、 テンシュは戦闘に関してはド素人だ。

 疲弊していたとしても俺が負ける要素などないのだからな。


「ウルフォン様......そんなに思い出したいなら頭ぶん殴って思い出させてあげますよ」

「違う」

「......そうね。 だったら......もっと忘れさせてやる!! 」


 こうして、 二人のと戦いが始まった。


 ◇◆◇


 戦闘は予想以上に長引いた。

 俺の記憶よりもメイドの戦闘力が格段に上がっていたからだ。

 しかもそれだけではない。

 全く警戒していなかったテンシュが、 攻撃魔術を習得していたのだ。

 その二人の連携は予想以上に俺を苦しめ......。


「ぐ、 はぁっ! 」


 負けたのは俺の方だった。


「終わりね」

「うん。 リフィ、 殺す」


 地面に先程の獣人と同じように倒れる俺を残し、 二人は洞穴に向かっていく。

 ......いかん! このままでは......!


 ......。

 致し方、 ないか。


「はっ! 敵にトドメを刺さぬとは、 俺はそんな風に教えた覚えはないぞ? 」


 歩き出す二人に声をかける。


「情けを掛ける気か? それが我ら魔の者にとってどれだけ屈辱か貴様らなら知っているだろう」


 ハッタリでもなんでもいい。

 二人を止めなければ。

 だから俺は。


「それに......そろそろ呪縛から解放されたくはないか? お互いに」


 たかが餌の為に。


「その『記憶』を隠そうとしていたのだろう。 苦労しただろう。 もうそんな思いをしなくていい」


 何故ここまでするのか答えさえ見えぬが。


「殺せ、 俺を。 それで全て済む」


 俺の全てを差し出そう。


「「っ!!?? 」」


 流石の二人もこれには動揺しているようだ。

 これはいける。

 だからもう一押し加えてやった。


「これは命令だ。 最後まで面倒ごとを押し付けて悪いが......」


 完全にテンシュとメイドの動きが止まる。

 そして振り向いてこっちを睨んでくる。


 分かっている。 これは卑怯な手だ。


 二人は俺の忘れた記憶を、 とても大事にしてくれている事は、 ここまでの行動で分かった。

 何故それを思い出させてはいけないのか、 何故リフィが関係するのかは話から今まだがもうそれはいい。

 それを餌にし、 命令だと言えばこの二人は逆らえない。

 分かっていて、 恨まれると理解していてそう言った。

 今の俺にはそれしか手が思いつかん。


「......いいのですか、 ウルフォン様」


 冷静になった様子のテンシュが近づいてくる。

 しかしその表情は冷たい。

 蔑んでいるようないつもより。

 そしてその口から、 俺の命令に対する返答が漏れた。


「そうね。 確かに疲れました。 もう、 そんな貴方様を見たくない」


 憂いたような悲しそうな表情。

 匂いが色々混ざり、 真意までは読めない。

 とにかく乗ってくれた。

 後はメイドだが......。


「分かった。 二人がそれでいいなら、 従う」


 どうやら納得してくれたようだ。


 メイドが武器を構える。

 それはただの包丁だが、 これには大分苦しめられた。

 コイツの技量なら俺の毛皮も貫通出来る。

 一思いにやってくれるだろう。


 いよいよ、 その時がきた。


 思えば誰も守れぬ人生ではあったが、 悪くはなかった。

 特にここ一年は......。


「さよなら、 ウルフォン様」

「バイバイ。 ウル様」


 もう考えている時間もなさそうだ。

 だがこれでいい。

 アイツを、 リフィを守れるなら。


 こうして。

 メイドの包丁が。

 勢いよく。

 俺の首へと振り下ろされた。



 .......。


 しかし。

 それが俺に届く事はなかった。



「......なっ......!? 」



 俺は目の前の光景を疑った。


 刃が俺の首を掻き切らなかったのは、

 毛皮のせいでも、

 メイドが躊躇したからでも、

 テンシュが止めたからでもない。

 第三者の介入で、 邪魔が入って、 防がれたのだ。


 その斬撃を受けたのは......リフィだった。



「ダメ、 です。 ウルフォン様......お二方......」



 彼女は、

 ゆっくりと、

 俺の目の前に倒れた。


 ......。

 ああ。

 あああああああああああっ!!!!


「リフィ!! 」


 なりふり構わずリフィを抱き上げる。

 傷は肩から脇腹にかけて斜めに出来ていた。

 出血が酷い。

 このままでは、 このままでは......!


 テンシュもメイドもあまりの事に驚いている。

 貴様らにとっては目的を達成出来たというのにな!

 ......しかし今は、 そんな事はどうだっていい!



「何故だ! 何故だリフィ!! こんな事をする必要はないだろう!! 」



 思わず言葉が漏れる。

 こんな事をしている場合ではないと分かっているのに。

 その後も疑問をぶつけるような言葉が溢れてきた。

 しかしそれを、


「お話、 全部、 聞いていました」


 リフィが遮った。


「ダメですよ、 ウルフォン様。 お二人は、 貴方様の事を、 何より大事に、 思っています。 そんな人たちに、 手をかけさせては、 ダメです」

「っ!! 」


 コイツ......こんな時にまで他人の心配を!


「だって、 『見える』んですもの。 どれだけ悪態つこうが、 ぞんざいに扱おうが、 わがままを言おうが、 二人から見えるのは......『愛』、 だけなのですから」


 言ってる意味が分からない。

 例えそうだと言うのなら、 何故コイツらは俺の大切なモノを奪おうとする。

 許せん、 許せん!!


 俺は二人を睨んだ。

 しかしまたそれをリフィに止められた。


「よく見て、 ください」


 自然と言う通りにしてしまう。

 そして気づいた。

 二人は、 震えていた。

 それは恐怖や憎しみから出るものではなく......「後悔」の、 匂いだった。


「わたくしが、 後から来た新参者が邪魔だと言うのなら、 このままでいいんです」


 リフィはそのまま二人に話しかけていた。


「だから、 その代わり......わたくしがいなくなった後、 ウルフォン様を、 お願いします」


 その後、 再び俺に語りかける。


「そして、 ウル、 フォン様。 どうか、 お二人を、 恨まない、 で......くだ......」


 そして、 そのまま力なく、 何も喋らなくなった。


 ......。

 ああ。

 ああああああああああああああっ!!!!


 分からない。 何が起きている。

 何故こんな事に。

 俺は、 守れなかったのか。

 ......「また」、 だと?


 その瞬間、

 俺の頭の中に、

 大量の「記憶」が流れ込んできた。


 ......ああそうか。

 思い出した。

 全部思い出した。


 俺がリフィに拘った訳も。

 コイツらが必死になって俺の記憶を隠そうとした訳も。

 全部、 全部......!


 ......。


 どれくらい時間が経ったのだろう。

 俺はどうやら呆けていたようだ。


 気づいた時には、

 俺はリフィを抱きかかえ、

 その目の前でテンシュとメイドが絶望したように座り込んで俯いていた。


 ......大丈夫だ。

 そう悲しむ事はない。

 何故なら......。


「──、 よ」

「......え? 」


 俺は呼んだ。

 忘れていた、 思い出した、 テンシュの名前を。


「リフィはまだ生きている。 お前の回復魔術なら治せるたろう。 その後は、 ──。 お前が部屋まで運んでやれ」

「あ、 ああ......」

「嘘、 そんな......」


 メイドの名前を呼んだ事で、 二人の中で俺の記憶が戻った事が確信に変わったようだ。

 後は命令を実行してもらうだけだが......。


「ウルフォン、 様」

「アタシ、 たちは、 とんでもない、 事を......」


 どうやら俺の反応が気になるらしい。

 全く、 リフィの話を聞いていなかったのか。

 仕方がない、 言葉にしてやるか。



「許す。 お前たちの過ち、 全て許す。 コイツがそう言っていたであろう」


「「っ!! はいっ!! 仰せのままに!! 」」



 俺はそれだけ言い残し、 その場を後にした。

 背中の向こう側では、

 治療が行われ、

 俺の記憶が戻った事への歓喜の声が飛び交っている。


 けれど、 そんな事はどうでもいい。


 俺は全て思い出した。

 忘れていた感情も、 記憶も。

 そして、


 そうか、 二人はこれを思い出させないように......いや、 今はどうでもいい。


 疲れ、 た。



 俺はそのまま洞穴に入り、 眠った。



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