春の夜の夢(無承認無許可)

守宮 靄

楽しい夢のなかでずっと笑っていて

「面白いもの見つけたんだけど」

 にやにやと笑いながら言う彼女の顔を訝しんで見つめる。昨日までの彼女は全く同じ言葉のあとに巨大なカマキリやら蛾やらを僕の顔に投げつけ、悲鳴を上げ飛び上がるのを見て楽しむという蛮行を働き続けてきたのだ。僕が警戒するのも当然のことだった。

「じゃーん!」

 しかし今回彼女の手のひらに乗っていたものは非常に小さかった。銀の台紙の上でプラスチックに覆われている2つの粒。淡い桃色をした、錠剤。

「なにこれ、薬?」

「なんだったっけな……あっ、『はるのよのゆめ』!」

「……平家物語?」

「なにそれ」

「……なんでもない。どこで拾ったの、それ」

「拾ったんじゃない! 買ったの」

 混迷極まる彼女の説明を要約すると、昨日の帰り道に遭遇した露天商に売ってもらった、ということらしい。

「怪しい……捨ててきなよ」

「やーだね。五百円もしたんだから」

 こんな怪しいものに五百円も! 意識が遠くなりそうな僕を無視して彼女は説明を続ける。

「『楽しい時間はすぐに終わってしまう。そんな儚いときを閉じこめて、ぬくい風と柔らかな闇のなかで永遠に笑っていたくはないかい?』って言ってた」

「どういうこと?」

「私もわかんなかったからそう訊いたらね、『これを二人が同じ夜に飲めば、その二人だけの楽しい夢がみられるよ』って! だから、はい、飲んで」

 そう言って彼女は片方の錠剤を押し出し、包装されたままの方を僕に差し出した。

「えぇ、やだよ」

「なんで? 飲んでよ。明日、どんな夢みたか話そうよ」

「……わかったよ」

「よっしゃ! じゃあ、また明日ね! ちゃんと夜飲んでね!」

「うん……」

 彼女は何度も「忘れないで、夜に飲んでよ!」と繰り返しながら、大きく手を振って走っていった。


 その晩、僕は錠剤を手に握ったまま悩んでいた。昼間に『怪しいから捨てなよ』とは言ったものの、見知らぬ人からもらった薬を飲むことの危険性を十分に理解している歳でもなかった。僕が躊躇していたのは全く別の理由のため。

 僕は錠剤が飲めなかった。むかし服用したときにうまく飲み込めず、喉に張りついて不快な思いをして以来、どうしても口に入れられないのだ。しかし、彼女に「錠剤を飲めない」なんて情けないことを言えるわけもない。僕はそんな無様な事情を隠したい一心で、頷いてしまったのだ。

 だが飲めないものは飲めない。手のひらに痛みを感じて見てみると、錠剤の包装の尖った部分と同じ形、三角の痕ができていた。

 僕は意を決して、錠剤をトイレに流してしまった。呆気なく吸い込まれていく薄桃色を見つめる。明日、どうしようか。飲んだけど夢を見なかったことにするか。落として無くしちゃった、とでも言うか。彼女の様子を見てから考えるのがいいかも。手に残った包装は、ゴミ箱の奥深くに沈めた。


 翌朝、少し緊張しながら登校する。いつもなら途中で、「おはよ!」という大きい声とともにランドセルを軽く叩かれる。が、今日はそんなことはなかった。彼女は登校していないのか? もしかして具合が……。今度は心底不安になりながら教室に入ると、果たして彼女はそこにいた。

 しかし、ちらりとこちらに顔を向けただけで、声をかけてくることも駆け寄ってくることもない。まるで僕なんか存在しないように、まっすぐ背を伸ばし静かに席についている。おかしい。おかしいおかしい。回りの音が遠ざかっていくような嫌な感覚。不安はいまや恐怖に変わっていた。緊張のあまりだろうか、頭も痛い。僕は震える足で彼女の前まで行き、声をかけた。

「……おはよう」

「おはよう」

どこも見ていない、からっぽな瞳──。




 飛び起きる。暗いワンルーム。外からは柔らかな春の雨の音がする。天気のおかげで頭が痛い。僕はベッドから這い出し、明かりをつけて頭痛薬を探す。

 春の夜は──とくに雨の日、僕が偏頭痛に悩まされる夜は、あのときの夢をみる。現実をなぞった、鮮明な夢。あれだけお転婆だった彼女は突然、冷静で寡黙な子になってしまった。だけど暗く落ち込んでいる様子はなかったため、回りの大人はさほど心配しなかったようだ。そして彼女は二度と僕の目を見ることなく、僕も彼女に話しかける勇気を持てないまま、その年の終わりにどこかへ引っ越して行ってしまった。

 見つけた錠剤を水道水で流し込む。30分もすれば効果が出るだろう。拍動するように痛む頭を押さえて横たわる。


 今になって思うことがある。当時の僕は『彼女が変わってしまった』としか考えられなかったが、実は少し違うのではないか。

 彼女は本当に、幸福な春の夜の夢のなかに閉じこめられてしまったのではないか。起きて動いていた『変わってしまった彼女』は、その抜け殻のようなもので──。


 ……仮にそうだったとして、その『幸福な春の夜の夢』のなかの彼女は、あのときと同じように笑っているのだろうか。


 夢のなかの彼女を思い浮かべる。柔らかな闇の下、ぬくい風が吹く原っぱを、当時の姿のまま、虫を探してどこまでも駆けていく。


 そこに僕はいない。

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春の夜の夢(無承認無許可) 守宮 靄 @yamomomoyan

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