5.帝都を歩き、彼女の夢を聞いた。

 一夜があけた。

 列車は面白い乗り物だ。窓枠によって四角く切り取られた風景は、あらゆる村、山を一枚の絵のように飾り立ててくれる。しかもそれがとめどなく移り変わり続けるのだから、光陰矢の如しといった勢いで時間が経っていくのだった。

 ただ、二等車の木製の椅子は、身体に耐えがたい疲労をもたらしていた。おかげで昨晩はぐっすりだ。ホテルも悪い。用意されたホテルの前に立てば、ドアの窓ガラスからはエントランスを照らす金色の光が漏れ出し、どんな田舎者でも一目でこれは高級だと理解できた。ありがたいものである。部屋は広く、ベッドの広さは大の字になって横になっても余るほどで、寝支度を整えた数瞬後にはすでに夢の世界に降り立っていたのだった。

 かくして俺はいま、ノープランでルーシさんを待っている。

 そろそろ約束の時間だ。跳ねる心臓を鎮めようと、深く息を吸い込んだ。

「っ……ごほごほっ!」

「なにをしているのですか……」

 後ろから、呆れたような声が聞こえた。ルーシさんだ。

「いえ、深呼吸をしたのですが、なんだか肺が刺激されて」

「帝都の空気は悪いですから。深呼吸どころか、帝都に住む人はみな、いかに呼吸をせずに過ごすかを考えていますよ」

 涙ぐんだ目尻をこすってから振り向く。

 帝都の淀んだ空気の中で、そこだけ光が差しているようだった。肩を出した純白のドレスに、白い手袋。色素の薄い髪はおろされて……

「いやいや、どうして昨日と同じような恰好をしているんですか」

「今日はマフラーを巻いておりますから。口元を覆えるので、帝都では人気なのです」

 確かに、首に巻かれたマフラーのおかげで、見た目の肌寒さは多少緩和されているようだ。

 しかし、そういう問題ではないのだ。俺は彼女の素の姿を見たい。営業のためにその身を売る彼女ではなくて、日常を楽しく過ごしたいと誘いをかけたのだ。それなのに、この営業用の服を着ていたのでは、このデートの根本から意味が崩れてしまう。

「もしかして俺、接待に誘ってしまいましたか?」

「い、いえ、そういうつもりではありません」

「すいません、俺の方が悪かったですね。ルーシさんは無理しなくても大丈夫ですよ。売却の方は社長さんに会わせていただければ、滞りなく進めます」

 くらくらとしたまま、ホテルに帰ろうと背をむける。

 服の裾をつかんだのは、ルーシさんの細い、白の手袋の指だった。

「私は……デートのつもりで参りました」

 振り返れば、ムッとした顔のルーシさんが立っている。

「で、でも、それならどうしてそんな服を……」

「そんな服と言われるのもシャクですが……実を言うと、私はあまり服をもっていないのです」

 お金がもったいないからと。ルーシさんはやや言い訳がましく、いかに服が無いかを語った。どうやら本当に彼女は接待のつもりで来たわけではないらしいと分かれば、現金なもので、気分もどんどん晴れやかになってくる。

「それならルーシさん、服を買いに行きませんか?」

「ふ、服を? しかし今日は帝都の案内をするという予定では」

「まあまあ、俺は帝都よりもルーシさんの方に興味があるんです。本当はどんな服が好きなのかなーとか、どんな食事が好きなのかなーとか」

 ルーシさんの目を見て笑うと、スッとルーシさんは背を向けた。

「今度は俺が背中を見る番ですか?」

「茶化さないでください。服ですね、分かりました。買いに行きましょう」

 すたすたと歩いて行ってしまうルーシさんを追いかけて、俺は昼の帝都へ繰り出した。


 我が国は世界一の服飾大国である……らしい。

 帝都の中の、衣服の販売店舗が集積する地域を歩きながら、その意味を実感する。右を見ても左を見ても服服服だ。あらゆる色、あらゆる形に整えられた布がショーウィンドウの中に飾られ、買い手を求めて佇んでいる。すすと泥水に溢れた帝都においても、この一角だけは色とりどりの服を着た紳士淑女によって花畑のように彩られた空間となっていた。

「次はあの店に参りましょう。新進気鋭のデザイナーが独立して立てたばかりのお店として、帝都でも噂になっていたのです。植民地産の綿を随所に活用することで、ボリューミーでありながら軽量で非常に着心地が良いと」

「なるほど」

「ああ、しかしお隣も気になりますね。お名前を耳にしたことはありませんが、この鮮やかな彩色は思わず目がひかれてしまいます。肩のラインに入れられたこの赤色はどうやって出したものなのでしょう……」

「たしかに」

 ルーシさんは立ち止まって、くるりと振り向いた。

「プロセル様、もしかしてあまりご興味のないことに付き合わせていましたか」

 若干あたっている指摘だった。日はすでに昼下がりと夕刻の狭間の角度にある。かれこれ二時間はこうして買い物に興じているということだ。

しかし苦痛ではなかった。

「まさか。ルーシさんを見ているだけで楽しいですよ」

「そ、それはどういう意味でしょうか」

 そのままの意味だ。ずっと営業用の建前だけで動いていた彼女が、己の気の赴くままに動き回っている。その姿を見ていると、勇気を出して誘ってよかったと思えた。

「それにしても、ルーシさんはずいぶん服に興味があったんですね」

 話をそらさないでください……と小さく呟いた後、ルーシさんは答えた。

「そうですね、私用に服を買うというのは初めてかもしれません。父も私も、お金の管理には厳しいので……あまり、こういった贅沢をする発想がないのです」

「ははあ。とんでもない吝嗇家ですね」

「これをデートだと称するならば、もう少し言葉を選んでください」

 感心してうなずいていると、キッと鋭い視線で牽制されてしまった。

「しかし、思い返せば、昔は服屋さんになりたいと思っていましたね。綺麗な桃色の服を着て歩く婦人を、路地裏で指をくわえて見ていた記憶があります。いつか自分もあんな服を着てみたい、作ってみたいと……」

「へえ。ルーシさんが服屋さんですか。なかなか絵になりますね」

 そうでしょうか、とそっぽを向き、ルーシさんはふと自分の服を見下ろした。

「この服も、私が選んだのです。外で着たい服ではありませんが、しかし寝具としてみれば、なかなか可愛らしくありませんか」

 少し、すねたようなルーシさんの言葉に冷や汗が流れた。

 列車の中で、「そんな服着たくて着ているわけじゃないだろ」と発言してしまったが……彼女は欲情の目で見られるのが嫌だっただけで、服自体は気に入っていたのだ。

「そうですね……えっと……」

 何か取り繕う言葉を拾おうとしていた時に、俺はふと、彼女と初めて出会った時の光景を思い出した。まだ二日前の出来事だ。記憶は薄れることなく、強烈に脳裏に刻まれたままだった。

「命の迸り、といいますか。生命の脈動を感じました、ルーシさんから」

「す、すいません。何の話が始まったのですか?」

「ルーシさんの服の話ですよ。似合っているという事です。でも、ルーシさんにはもっと、前衛的な服を着てほしいからなあ」

「待ってください。何が悲しくてより前衛的な服を着るのですか」

「すいませーん」

 店員を呼ぶ。ルーシさんにはどんな服を着てもらおうか。浮世離れした服ではなく、彼女にはもっと力強い姿が似合うと思うのだ。列車で彼女の半生を聞いたときに、そう思った。そう、彼女はパワフルなのだ。

「その天上人のような衣装も、ルーシさんの答えの一つなのかもしれないですけど。せっかくなら、また違う可能性を確かめてみても面白いじゃないですか」

隣の店員さんもなるほどというように頷いている。

「お客様、それならば、この春色のドレスはいかがですか?」

「いや、もっと攻めたものにしましょう。むしろ男物のズボンを買ってみるとか」

「プロセル様、私で遊んでいませんか?」

「遊んでない、遊んでない……」

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