2.初めての列車。怒る彼女

 次の日、俺はルーシさんと共に、鉄道駅の近くに建つカフェで真っ黒なコーヒーをすすっていた。社長がいるという、帝都へ向かうためである。心の準備は全くできていない。本来は都市のモードに合わせて服飾を選ぶところから始めたかった。しかし……

『ふふ、何をおっしゃいますか。私、プロセル様のご決断に感服いたしました。善は急げと言います。どうでしょう、今からでも向かいませんか?』

 俺の発言を聞いた直後にルーシさんはそんなことを言い出して、慌てて家を出ることになってしまったのだ。それが都会の時間感覚なのかもしれないが、こちらは生まれてからこの方、田舎から一度も出たことが無い。

 だからそう、このカフェから見える駅舎という建造物も、珍しくてしょうがないのである。

「ルーシさん、ところで列車はいつ来るのです? ずっと待っているしかないのでしょうか」

 今日のルーシさんは脚に大胆なスリットを入れた、純白のドレスを着ている。

 目のやりどころに困る彼女に聞くと、笑みを絶やさないまま答えてくれた。

「列車は決まった時刻に到着するのです。壁にかかっている時刻表にはお気づきになられませんでしたか?」

「じこくひょう……」

 そういえば、駅舎の前にそれらしきものがあったような気がする。

 見てみたい。

「見てみたいですか?」

「え?」

 ルーシさんは見透かしたように笑ってみせた。

「ふふ、都市へ出てきたばかりの方なら物珍しいでしょう。幸い、時間には余裕がありますから、自由に見物してみてはいかがでしょうか。……そうですね、まずは時刻表を確認して、列車までの時間を確かめてから行動すると良いですよ」

 そういわれたら断る理由もない。俺はいそいそと身支度をして、カフェの外へ出た。

 馬車の行きかう道をくぐり抜けて、まずは言われたとおりに時刻表というやつを確認する。手元の懐中時計と照らし合わせれば、列車が来るまでまだ半時は時間があるらしい。

 それから俺は駅舎と、そして町に来たついでにふらふらと他の店も巡っていった……


「おそいですよ!」

 待っていたのは、カンカンに怒ったルーシさんだった。

 なぜかカフェの外で待っている、純白の少女の姿が見えた時点で変な気はしていたのだ。彼女の姿は通りの遠くの方からも視認できた。怒った表情は近づくまで分からなかったが。

「す、すいません、でも時間は間に合っていませんか」

「そんなわけありません! ……もしかして。失敬、懐中時計を拝見いたします」

 彼女は無造作にこちらの時計を掴み取り、チラッと確認して溜息をついた。

「はあ。私も失念していました。そもそも田舎の時計は標準時間と異なるのでしたね……」

「ひょうじゅんじかん……」

「それはもういいです。ああ、お土産までこんなに買ってしまって!」

 ここまで糊で固定されたように笑顔を消さなかった彼女が怒ると、こちらまで焦ってしまう。

「で、でもいい買い物ができましたよ? 見てください、これは木彫りの鉄道模型で……」

「なんという散財を……」

「この新しい旅行鞄はどうですか、鉄道旅行に最適な一品らしいですが」

「買う必要はありませんね、今取り出そうとしているスカーフも見せなくて良いです」

「むう……」

 鉄道の絵柄が縫いこまれたスカーフを手に、立ち尽くしてしまう。

「はあ。そう荷物を抱えて列車に乗っては恥をかきます。かさばるものは捨てて行きましょう」

「そんな、せっかく買ったのに!」

「……カフェのマスターに頼めば預かっていただけますよ」

 意気消沈する顔を察してくれた彼女は、呆れたように代案を出してくれた。

 これ幸いとドアを開けようとする俺の手を、しかしルーシさんが阻んでしまう。

「お待ちください。あなたを一人で行動させるとまた余計な時間がかかりそうですね。私が行きましょう。ここで待っていてください、ふらふらと、どこかに行ってはだめですからね」

「りょ、了解です」

 両手いっぱいにお土産を抱えた彼女が、せかせかとマスターに話しかけに行く。

 その背中を――実際に彼女の服は背中が大きく開き、白い肌が見えていたのだが――見送ったとき、俺は自分の他にももう一人、胡乱な目で彼女を見る男の存在に気が付いた。

 彼女を狙う変質者というよりは、恰幅の良い紳士然とした男だ。立派なひげを蓄え、杖を突き、フロックコートを羽織る様はまさに思い描く通りの上流市民の立ち姿だった。

「ルーシさんに何か、ご用でも?」

 少し気になって、話しかけてしまう。男は首だけを動かして、小さく眉をひそめた。

「うん? お前こそ何者だ。あいつの関係者か」

「取引の相手というべきでしょうか」

 なにか彼女に思うところがあるのか、忌々し気に問いかけてきた彼の語気は、「取引相手」という単語を聞いたとたんに、憐れみを含んだものへと変わった。

「ああ、いつにもましてふざけた格好をしていると思えば、籠絡している最中だったわけか」

「ふざけた恰好? 俺の服はそんなに不味いですか。都市のモードには無知なもので」

 男はかぶりをふって答えた。

「はは! まさか。上等ではないが、田舎から出てきたばかりであればそんなものだろうよ。私が言っているのはあの売女のことだ」

「ばいた……」

 また都市の言葉か。と思ったところで、言葉が焦点を結んだ。

 売女?

「そ、それはあまりにも彼女に失礼ではないですか」

「失礼なものか。お前もあの美貌にほだされないよう心掛けろ。ベステック子爵も気に入るほどだ、顔だけは本物だろうが、なんといってもあの……」

 そこで男は口をつぐんだ。男の視線の先では、ルーシさんはマスターに荷物を預け終え、戻ろうとしているところだった。

「長居は無用か。じゃあな少年、騙されるなよ」

 男は好きに言うだけ言って、立ち去った。

 売女……彼女の服装は都市的な洗練ではなく、もしかして煽情的なだけなのだろうか?

 一体何のために、というのは自明な問いだった。あるとすれば、土地を手に入れるためだろう。彼女はその身体を用いて、強引に取引を進めようとしている。

 いや……しかし、そうは考えたくない、と首を振る自分がいた。

 時間に遅れてしまった自分に呆れ、怒る彼女とのやりとりは、好ましいものだった。ほんの数年前の記憶がよみがえる。そう、母も時間にうるさい人だった。

「……なにかありましたか?」

 カフェの扉を開けて帰ってくると、ルーシさんはいぶかし気に見上げてきた。

 これから楽しい列車の旅が始まるのだ。わざわざ変な男の話をする必要もない。

「いや、なにも。マスターにいくら払いました? チップ分は俺が出しますよ」

「それは後で回収いたします。まずは急いで列車に向かいましょう。もう時間がありませんから……もっと早く脚を動かさないと、置いていきますよ!」

 悠然とした笑みはどこに行ったのか、ぷりぷりと進んでいく彼女の後ろを追いかけた。

「客を置いていったら何にもならないでしょう」

「口を閉じて。歩くことに集中してください」

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