彼女は笑わない方が可愛い
@maro_novel
1.墓石、旅立
風が冷たくなる季節だった。朝の乗馬が楽しいのもあと数週間くらいだろう。俺は蹄が土を叩く音に身を任せ、のんびりと家路を辿っていた。
左右に広がるのは、代々開墾してきた平らな畑だ。おかげで視界は向こうの丘までずっと開けている。しかし目は空まで飛ぶことなく、畑の中にたたずむ存在に引き寄せられていた。
墓石だ。大した背丈ではない。畑を四角にくりぬくように小さな柵が設けられ、大きいのが一つ、小さいのがいくつか並んでいる。収穫を待つ穀物たちがゆらゆらと揺れる中で、ぴたりと静止した石たちは、自然と目を吸い寄せる存在感を放っていた。
「兄さん……また、見てるのか。いつまで引きずっているんだよ」
「ん? ああ、引きずっているつもりはないんだけど」
弟が器用に馬を駆って、隣に並んできた。呆れた声に対して、ぼんやりと返事をする。
両親が死んだのは、二年前の話だった。早死にの部類に数えられるだろう。当時は悲しみ、嘆いていたが、二年もたてば折り合いはついていた。
当主の座は長男である自分が継いだ。家を守り、子孫に遺す責務を自分は負ったことになる。墓をぼうっと眺めていては、弟からやや非難がましい目で見られるのも仕方のない事だった。
しかし、こうして畑の間を通り、家へ向かう道を辿っていると、あの墓を見てしまうのだ。
「俺たちも、あの墓に入るんだろうね」
「ほら、やっぱり引きずっているじゃないか」
「そうじゃないって。こうして畑を耕して、種をまいて、収穫して……そのまま墓に入っていくんだなってね、父さんを見て思ったんだ」
分かるかな? と横目で見やるが、弟はいぶかし気な表情を浮かべている。
「それはそうだろ。兄さんは何をいいたいんだ?」
「うーむ、お前は数字は強くても、情緒の部分がよろしくないみたいだね」
「悪口をいうんであれば、兄さんの小遣いを減らすからな」
「敬意の部分もよろしくないと来たよ。やれやれ……」
弟と軽口を叩きながら馬を走らせている内に、家が木々の間から姿を表し始めた。
生まれたときから二十年あまり、何も変わらない景色。しかし今日はほんの少しだけ変化があった。玄関の前に一人の老人が立ち、こちらに手を挙げている。
「ん、爺やが門で待ってるみたいだな。来客か? 小麦の売却は済ませたばかりだけど」
「凶報じゃなきゃなんでも歓迎だよ」
俺は墓から目を逸らし、馬の腹を蹴って家へ向かった。
「それでは、改めまして。お初にお目にかかります、ルーシ・アドハンティアと申します。どうぞお見知りおきを」
来客と言っても、どうせ久しい友人が来たとか、そんなところだろうという予想は大きく裏切られた。都市から来た客だと言われて顔を出すと、このルーシと名乗る女が現れたのだ。
やや早い昼食の支度が行われる中、俺は机を挟んで彼女の顔をまじまじと見てしまう。
若い女だ。若いというか……二十の成人をまだ迎えてもいないだろう。この年頃特有の、はかなく、ともすれば危うさをともなった生命の迸りを感じさせる少女だった。
そう、危うさだ。一目この少女を見たときに直感したのは、『危うい』という感覚だった。
「これはご丁寧にどうも。私はプロセル家当主のモロ・プロセル。こちらが弟のマレイスです」
「モロ・プロセル様にマレイス様……ええ、どうぞよろしくお願いいたします」
ルーシと名乗る女はくすりとほほえみ、雪のような白の髪を滴らせた。
その蠱惑的な仕草に思わず視線を取られてしまう。
「どうか、されましたか?」
ルーシさんは何気なく腕を動かし、スッと胸元に寄せるようにして小首をかしげて見せた。
その動きは心を直接くすぐるような、魔力を秘めていた。なんというのか……
「こ……」
「こ?」
「これが、都市の作法なんですね。いや驚いた、あまりにも所作が洗練されていて、こんな田舎じゃ洗練されるのは馬の蹴り方ばかりですから」
胸の中に溢れるのは、そう、感動だ。言葉を並べ立てると、ルーシさんは戸惑ったように言葉を返した。
「と、都市の作法ですか」
「兄さん、あれだけアピールされての感想がそれかよ」
「お前は知らないかもしれないけどね、都市っていうのは凄いところなんだよ。人は都市に住むだけでこう、知性が磨かれていくんだ」
無知な弟にはあれが媚びを売る仕草に見えたらしい。
とんでもないことだ。一挙手一投足、爪の先まで万全の注意が払われ、すべてが計算しつくされている。芸術のような所作だ。まあ確かに、こちらが思わずどぎまぎしてしまったことは否定できないが、それは田舎者の精神に清廉さが足りていなかったからだろう。
「なんだよ、兄さんは都市に行った事があるのか」
「いや、一度もないけど。それでなんでしたっけね、ご用件は……」
弟からの鋭い指摘をいなして話を向ける。
ルーシさんはコホンと小さく咳ばらいをした後、改めて微笑みを浮かべた。
「え、ええ。この度は商談のために伺わせていただきました。単刀直入に申しますと……土地の方を少々、お売りいただければと」
「土地を? いったい、何のために」
「鉄道です」
ルーシさんは短く言葉を切り、旅行鞄から二枚の紙を取り出した。
一枚目は新たな鉄道の宣伝パンフレットのようだ。『”アドハンティア・コースト鉄道”は我が国最後のフロンティアに文明の鉄路を通します――』。そして二枚目は、この村における線路の建設予定地、そして買収予定額を示すものだった。
「いかがでしょうか。プロセル様にはぜひ、買収にご同意いただきたいのです。お値段は――6000万リブラでどうでしょう?」
さらっと述べられた金額に、弟が息をのむ音が聞こえた。いや、弟だけではない。数瞬の後、彼女の笑い声で自分もルーシさんの顔を凝視していたことに気づいた。
「ふふ、驚かれましたか? 私共のアドハンティア鉄道はこの新たな路線に大きな可能性を見出しているのです」
6000万リブラ。ちょっとした城だって建つ値段だ。
少女は勝ちを確信した笑みを浮かべ、こちらをのぞき込むように身をかがめてみせた。
俺は『危うい』という自分の直感を思い出す。
「確かお名前は」
「ええ、私はルーシ・アドハンティア。アドハンティア鉄道を経営しているのは私の父です」
社長御令嬢というわけだ。
売却額は十分かもしれない。しかし感情の部分では、心が拒否反応を示している。
「土地というのは、そう簡単に売れるものではありません。プロセル家の代々の当主から預かったもので……形を変えず、私も次に遺す責務があるのです」
そう彼女には語りながら、しかし、この少女の提案に惹かれ始める自分がいた。
形を変えてしまえばいいじゃないか。
「ええ、若輩者ながら、郷紳の方のご苦労は拝察いたします。しかし家を守り、盛り立てるためにこそ、変わっていく必要があるのではないですか? 鉄道が引かれれば、都市までの交通が大幅に改善されます。外に見えるのは小麦畑でしょうか。都市で直接売れば、ずっと多くのお金が手に入りますよ」
ルーシさんがつらつらと語る声は、ほとんど聞こえていなかった。
窓の外、父と母の眠る墓をみる。
ずっと変わらない日常も、この大金があれば何か変化が起きるのかもしれない。その一方で、父たちが守り続けてきた土地を売るのは、とんでもない禁忌でもある。
少女の話にうんと頷けば、家が築いてきたものすべてをぶち壊すことだってできるのだと、破滅的なスリルが胃の底をくすぐってくる。
「兄さん、この話は乗っちゃだめだ」
鋭い声で危うい思索を破ってくれたのは、隣に座る頼りになる弟だった。
「……どうして?」
「正直、金は土地の対価として十分すぎる量ではある。が、そもそもアドハンティア鉄道とやらをどこまで信じていいのか分からないな。ルーシさん、あんたが本当に社長令嬢である証拠もないだろう?」
「確かに、私が私である証明というのは難しいですね。しかしこの小切手は本物でしょう?」
弟の鋭い目線に、少女は動じることなく真正面から笑みを崩さず答えてみせる。
「ハッ、どうだか。プロセルの土地を売るのは、ただの皿や家具を売るのとは訳が違う。本当に鉄道のための用地買収ならいいが、しょうもない投機に利用されちゃたまったもんじゃない」
そういわれてみれば、確かにその通りなのだ。ふんふんと頷きながら、しかし考えてしまう。
そう、金があれば、何か新しい人生を始めることだって出来るかもしれない。この家を弟に任せて、家を出る自分を想像してしまう。海の向こうの広大な大地に移り住み、太陽の下で砂糖畑を営むのもいい。船を買い、大海原を自由自在に渡る貿易業だって面白そうだ。
家を守る義務と、自由への欲求の合間に挟まれる。
いますぐ決断するには、重すぎる事案だ。俺は今まで、家と畑を守ってきただけだ。果たして、決断を下したことなど、あったのだろうか。
そして俺はふと、思いついた。
「それなら、俺が確かめてみようかな」
「出たな、兄さんの思いつき。何を言い出すつもりなんだ」
「失敬な。問題は信用の部分に限られたわけだよね。それならその、アドハンティア鉄道の社長さんに直接会って話をしてみれば、色々と分かるんじゃないかな」
「む……それは、そうかもな」
「あら、父に会いたいのですか? それで売却にはご同意いただけると」
小首をかしげて問われるが、それはせっかちが過ぎるというものだ。
「同意すると決まったわけではありませんよ。ただ、そこで判断をいたしましょう。社長ともなればお忙しいでしょうから、日程はそちらに指定していただきたいのですが」
都市に出てみよう。この畑の外に出て、世界を知ってみよう。汽車が走り、工場が立ち並ぶという世界を。
あの墓の見えない場所へ行くのだ。
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