1-6

 警視庁に戻った恭弥は、デスクの前で意気消沈していた。


「畜生が……」


 瞼の裏には、リリアーナを喪って泣き叫ぶ百合の姿が焼き付いている。あの絶望の表情の鮮明さは、しばらくは消えそうにない。

 ユディトはその隣で黙ってデータベースの整理などを行っているようだ。


「なあユディト。カーリーは?」

「追跡を振り切り行方をくらましたそうです。可能性は考えられましたが、やはり明星の会に籍を置いていたようですね」

「んだよ、知ってんのか」

「ええ。彼らについてのデータは閲覧しておきましたから」


 明星の会。「人類の復権」をスローガンに活動している反Evo団体だ。構成員は少なくとも300名以上存在するとされており、非営利組織としては中々の規模だろう。


「しかし、俺はつくづくあいつらと縁があるみたいだな……」


 恭弥はうんざりしたように天を仰ぐ。


「どういうことですか?」

「……お前と組む前に、あいつらとは一悶着あったんだよ」

 




 あれは二か月ほど前の事件だった。

 昨今では実務だけではなく娯楽の範囲でもEvoを用いる動きがあり、Evoアイドルもその活動の一つだった。


 もともと人間よりも優れた容姿を持つEvoはアイドルという偶像には高い適性を発揮した。とはいえ文化としての年季はまだまだ浅く、彼女ら関連の大規模な催しは行われていなかった。


 そんな風潮を変えたのがEvoアイドルの一人「レイン」だった。彼女はEvoアイドルとしては初となる全国ツアーを敢行し、今やトップアイドルとしての地位を我が物とした。


 そんな彼女が次に選んだ舞台は武道館。レインは遂にアイドルとして最高峰の場所に辿り着いたかのように見えた。

 しかし当然、Evoであるレインが手にした栄光を身に余るものだと憤慨する輩もいた。「明星の会」がそれである。その為、ライブは警察の全面警備のもと行われることとなった。

 

 そして当日、会場の警備を担当していたのが他でもない恭弥だった。

 予定通りにライブが進行する中、警察側の予想通り明星の会は攻め込んできた。しかし、その方法は未だかつてないものであった。

 Evoの知能を奪い暴徒へと変えるというコンピューターウイルスを、明星の会は完成させていたのだ。


 結果、会場は阿鼻叫喚の渦に包まれた。

 組織化した布陣というものは想定外の事態にとことん弱く、抵抗も虚しく警備は破られるばかりであった。


 そんな中、恭弥はレインを一人で守り切ってみせた。迫りくるEvoに手傷を負わされながらも、彼は一歩も退くことはなかった。

 その鬼気迫る彼の勇姿を見届けた警察関係者は、彼を「武道館の英雄」と呼び敬意を表したのだった。




「俺がこの仕事任されたのは、この件で手柄を立てたからだろうよ」


 恭弥は最後にそう呟いた。

 その声は自慢げでもなく、むしろ一抹の寂しさすら感じさせられた。


 事件をきっかけに、周囲からの彼への評価は大きく変わった。血の気の多い問題児という扱いだったのが急にヒーローとしてもてはやされ出したのだから、正直困惑を禁じえなかった。


 好奇の目で見てくる他部署の人間も、それまでの邪険な態度を途端に手の平返してきた上司も、恭弥にとってはどれも煩わしいものだった。一部、茨木のように今までと同じように接してくれる人間もいたが、そういった周囲のあからさまな変わりように辟易していた。ここ最近職務に身が入らなかったのは大仕事の反動以外にもそれが理由でもある。


「別に功績が欲しかったんじゃない。ただ目の前の市民を死ぬ気で守ってただけなんだがな」

「市民? レインが、ですか?」


 ユディトが首を傾げている。

 まるで恭弥の方が突拍子もないことを言ったみたいだった。そう思わせる程に、ユディトは反応に困っている様子だった。


「んだよ。そんなに意外か」

「ええ。Evoを市民と表現する方はほとんどいませんので」

「……そうか。だったらお前は、他のEvoのことを何とも思っていないんだな」


 言うかどうか迷っていた本音が、ぽろりと漏れた。

 迷っていた、というよりは無自覚だったものが表層に出た、という方がより正確かもしれない。


 現にその言葉で彼は初めて理解したのだ。今日の襲撃からずっと胸に燻っていたものの正体を。

 それは、彼女への疑念だった。


「お前、連中は人間と深い関係を築いているEvoを狙うって言ってたよな?」

「はい」


 思えば、今日のユディトの行動には違和感があった。百合を交番に預けようとはせず、頑なに同行を続けていた。そしてリリアーナと再会した後も、すぐに捜査を再開せずその場に留まろうとした。


「あのリリアーナっていうEvoが標的にされることも予想してたんじゃないのか? だからあの迷子の子供に付き添った。合流して、囮にする為に」


 恭弥はユディトの顔をじっと見つめる。

 表情には焦りの欠片すら出ていない。後ろめたさなど無いのだろう。何故なら、彼女は常に最善の選択をしているつもりなのだから。


 できれば、この問いには首を縦に振って欲しくなかった。だが、ユディトは嘘をつかないだろう。聞く者が心地よく感じるように作られたその声で、どこまでも正直に、そして残酷に事実だけを伝えるのだ。


「その通りです。リリアーナさんはオーナーとの関係性から、カーリーによる攻撃を受ける可能性が高いと判断しましたので。ですが、カーリーを取り逃がしたのは私の戦力不足の為です。申し訳ございません」

「んだと? お前なあ……!」


 あと少しのところで彼女の胸倉に掴みかかるところだった。

 完全にずれている、と恭弥は思った。捕縛に失敗したことではない。許せないのは紛れもなく、市民を利用し傷つけたことである。


 それは警察官として、何よりもしてはいけないことだ。

 あまりの剣幕に、ユディトは目を丸くしている。


「どうしました? なぜ怒っていらっしゃるのですか?」

「っ! 畜生ッ、もういい!」


 これ以上はユディトに何をしてしまう分からない。恭弥は近くにあったゴミ箱を蹴とばすと、ズカズカとその場を後にする。今はただ、彼女と顔を合わせていたくなかった。

 

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