1-7

 恭弥がユディトと僅か数日で仲違いを起こしたことは、警察内でももちきりの噂となった。

 そして四日経った今でも、両者が言葉を交わすことはない。


 恭弥は朝夜の出退勤以外は部署に立ち寄らなくなり、連日外へ捜査に出かけている。その間ユディトは機械犯罪課のオフィスにぽつんと一人佇んでおり、時折職員に茶を淹れたり書類整理を手伝ったりして過ごしている状況だった。


 このままでは何の進展も生まないと分かっていた。分かっていながら、今日も恭弥は外回りへ出かけようとしていた。


「せ、先輩……」

 

 部屋の外へ出ようとしたところで、茨木がおずおずと声をかけてきた。


「いい加減許してあげてくださいよ。もう可哀そうで見てられないっす。ユディトちゃん、家にも帰れないでずっとオフィスにいるんですよ」

「だったらお前が持って帰ってやればいいだろ。オーナーの同意があれば窃盗にはならねえからな」

「そ、それは無理ですよ……。総監に怒られちゃいます」


 ユディトは普通のEvoではない。任務遂行にあたって特別に与えられた、いわば上からの「借り物」だ。それをいたずらに部外者の手へ渡らせてしまえば責任追及は免れないだろう。


 恭弥は部屋の隅で静かに立っているユディトを見た。神妙な面持ちで、少し俯きがちに、まるで恭弥を待っているかのように微動だにしない。

 誰かに話しかけられない限りずっとあの調子だという。


 そんな姿を見れば、流石に不憫に感じるものだ。恭弥は思わず彼女に歩み寄ろうとした。だが――


「……くっ!」


 脳裏に蘇ったのは、家族を奪われ泣き叫んでいるあの少女だった。やはりまだ、ユディトを許すことはできないようだった。

 恭弥は歯ぎしりすると、踵を返して外へ出ていくのだった。





 人に寄り添うEvo。人の代わりとなって働くEvo。街にはたくさんのEvoがいる。


 今まで看過していたその日常の景色に、恭弥はうすら寒いものを覚えていた。

 いくら友好的な隣人を演じようと、あれらの本質はやはり心の無い冷徹な機械だ。恭弥はすっかり思い知らされた気持ちだった。


 雑踏の中で聞き込みを継続するのにも疲れ、どこか休める場所を探す。近くに喫茶店があったが、店員がEvoだったので入る気にならなかった。

仕方なく自販機で炭酸水を買い、公園のベンチに座る。


 スーツではじんわりと汗ばむような、陽気な日だった。少々早く目覚めてしまったらしい蝉の鳴き声が、耳へ届く。そろそろ梅雨も明けるだろう。

 唐突に水が勢いよく噴き上がる音がした。


 反射的にそちらへ目をやると、広場の中心から放射状に無数の水柱が立っている。恐らく特定の時間に作動するタイプの噴水だろう。

 天へ向けて昇る水は陽光を反射し煌めいている。


 その秀麗な光景を何の気なしに眺めていた時、立ち並ぶ透明の柱の向こうに、恭弥はある者の影を見たような気がした。

 いつの間にか、彼は駆け出していた。

 公園の門から出て、周囲を見渡す。


「あそこか!」


 少しでも目を離せば、彼女はたちまち人混みの中へと消えてしまうだろう。

 恭弥は全力で走り、後を追う。だが、追いつけない。


 急いでいるような気配はない。ただ恐ろしい程に速く、軽やかなのだ。人と人との間を、まるで己を阻むものなど初めから無いかのように進んでいく。一人だけ別の空間の中で移動しているのかと、思わずそんな馬鹿げた錯覚をしてしまいそうだった。


 距離は縮まらない。しかし、しばらく追跡している内に次第に人の壁はまばらになり、やがて無くなっていく。

 好機だ、と恭弥は一歩踏み込み、前方にいる彼女へ呼びかけようとした。だが――


「何か用か? いや、それは愚問だな。私への用など一つしかあるまい」


 その言葉は恭弥に向けてのものだった。

 彼女――カーリーはゆっくりとこちらに振り返る。


「気付いて、いやがったのか」

「当然だ。だからこんな場所まで寄り道してやったのだ」


 その言葉で恭弥ははっと周囲を見回し、そして自らが犯したミスを自覚する。

 カーリーの追跡に夢中になるあまり、自分が路地裏まで誘い込まれていたことに気付かなかった。


 ビルとビルの間に細く空けられたこの空間には、人目はおろか日光すら満足に届かず薄暗い。


「畜生、嵌められたってことかよ……」

「話すだけなら構わんが、手短に頼むぞ? 撤収の途中だったからな」

「なんだと……! てことはお前、またEvoを!」

「それが私の仕事なのでな」


 凶行は既に起こっていた。自分が甲斐性無く腰を落としている間に。その事実に脚が崩れそうになった。


「てめえ!!」


 恭弥は堪らず拳銃に手をかけ、引き金を引く。

 この発砲は、もはやただの八つ当たりに等しかった。

 半ば闇雲に放たれた銃弾はカーリーの脳天を撃ち抜くことはなく、眉一つ動かさない彼女の頬を掠めただけだった。


 恭弥はそのまま殴り掛かるが、カーリーは軽い身のこなしでそれを躱していく。

 まるで戯れだった。飼い主がじゃれついてくる犬をあしらうかのようだ。

 そして、カーリーは手薄になった下半身へ足払いをかける。


「がっ」


 頭に血が上っていた為か、訓練で死ぬほど教え込まれた筈の受け身も取れずに恭弥は地面に倒れ伏す。

 彼を上から見下ろしながら、カーリーは言う。


「まだやるか? Evoの制約として人間に武力を行使することはできないが、こうして護身術で自衛する程度なら訳ないぞ」

「くっ、舐めるな……!」


 口ではそう言うが、恭弥はそこから立ち上がることができなかった。

 動けなくなるような怪我はしていない。だが、気力が完全に削がれてしまっていた。現状では、独力では、カーリーを拘束することはできない。そう認めてしまっていた。


 カーリーは周囲を不思議そうに見渡している。


「我が妹の姿が無いようだが? 同行させていないのか」

「! ……あいつには、頼らねえ」

「その顔を見るに、仲違いでもしたか。Evoであるあれとな……。ふふふっ、はははは!」

「何がおかしい!」


 急に笑い出したカーリーを恭弥は睨み付けた。


「いやなに、案外お前は私の仲間達と気が合うのではないかと思ってな」

「なんだとっ……!? そんな訳あるか!」

「持て余しているのだろう? 人と似た姿、振る舞いを身に着けていながら決してお前達の同胞足りえないあの道具を」


 ぐさり、と。まるで胸の奥までメスを入れられ、その中身を余すことなく暴かれている気分だった。

 返答がないことを確認すると、カーリーは続ける。


「人類の歴史という舞台にEvoが登場したのはほんの最近のことだ。言うまでもなく、それまで人間は人間だけで社会を運用してきた。そしてそれで問題が無かったことは、人類の繁栄具合が証明している。だが今はどうだ」


 カーリーの眼差しは忌々しげだった。


「研究者共の好奇心の為に生み出された機械が蔓延り、挙句人間の役割を奪い始めている。お前も目にしている筈だ、人の営みがEvoに浸食されている様を」


 そう言われて思い浮かんだのは、先日出会ったリリアーナというEvoと、百合という少女。


 百合はリリアーナを両親以上に慕っていた。あれもEvoが本来の家族関係を希薄にしている。本質的にはそうではないのか? 


「この社会にとって、Evoは蛇足なのだ。それを人間は分かろうとしない。故に我々は決断した。ならば痛みを以って、損失を以って思い知らせるしかないと!」


 断言すると、カーリーは大通りの方へと去っていく。

 追わなければ。恭弥は立ち上るが、それまでだった。


 追いかけたところで何ができる? そもそも追うべきなのか? カーリーは本当に間違っているのか? 自分は何を守ればいい?

 様々な疑問が螺旋を成し、頭の中で渦巻く。


 もはや限界だった。恭弥は苦悶しながら膝をつくことしかできなかった。

 そんな彼をカーリーは一瞥すらせず、白昼の街へ消えていくのだった。



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