第6話 トラブル解決は冒険者の仕事

 お高めの酒場のマスターが、机の上で酒を滑らせたときのように、レオナルドは横薙ぎにされて宙を舞った。

 いまのはNGシーン行きですね、とアリスティアは考えた。

 地質調査の意味でも、単に横から出てきたという意味でも、横坑から姿を見せた鉱夫達は十分に明かりを持っていた。

 であるから大変助かる。

 けれど彼らはたった今、対峙する親方の手によって、レオナルドをぶん投げられて、薙ぎ倒されてしまった。


「兄様っ、兄様!!」

「はい、前に出ない。割って入った勇気は認めますけど、酒場の仲裁じゃあないんですから」

「今の絶対怪我してますよ!」


 名も知らぬ鉱夫達が持ってきて、今は地面に落ちたランタンが親方の――トロールの影を映し出している。

 唸り声まで上げてくれるほどサービス精神旺盛だ。

 アリスティアには彼がどうして我を忘れるほど怒っているのか、まだ掴み切れていない。

 が、今はそこではない。


「レオナルド、動けますか?」

「いてて……なんとかだ! 話も聞かないたァどうなってんだ!?」

「恐らく親方は暴走バーサク状態です。ヴィヴィアン、私のランタンを持って、なるべく前を照らして下さい」


 アリスティアが彼女の、ではなく元々は親方のランタンを押しつける。

 そんなやりとりを堂々としていても、親方はレオナルドと鉱夫達の方角を睨んだままだ。

 前方には親方の巨体、進行方向に対して右手に横から掘られていた別の坑道があって、レオナルド達がいる。

 天井はあまり高くないから、全員が走って逃げればどこかで引っかかるかもしれない。

 ヴィヴィアンが上擦った声を上げる。


「戦うんですか?」

「まさか。これが魔物退治でもバラバラに逃げて無事を祈るところです」

「落ち着かせる手があるってことか!」

「大変地味で、私としては嫌ですけど、手伝って下さい。彼が自分で坑道を壊したとなったら落ち込むでしょうから」


 壊すのが坑道でも人でも大変困る、とまでは言わない。

 ヴィヴィアンの照らす地面に目を走らせ、目的のものを見つけてから、アリスティアがしゃがむ。


「親方の視線が逸れたら――」

「逃げたらいいか?」

「いえ、頭を狙って石を投げて下さい。と言われても難しいでしょうから、当たればどこでもいいです」

「は?」


 レオナルドの間の抜けた声と同時に、アリスティアが地面の小石を握りしめて投擲する。

 人には当てられないだろうと言っておいて、自分は親方の頭に小石を命中させた。


「アァ゛……?」

「ひい、顔が怖……怒らせてるようにしか見えないです」

「怒らせていまーす」

「そんなぁ!?」


 ヴィヴィアンの泣きそうな声を聞いて、レオナルドも小石を拾って握りしめる。

 まず間違いなく、妹の隣でアリスティアがドヤ顔でいるのだろうと想像がついて、今度こそ殴ろうと決意した。

 訳の分からない状況でも落ち着いているのは頼りになるし、何か考えがあるようではある。

 しかし、彼女は自分の考えを人に説明するという点において、キツい欠点がある。


「だから、お前は、先に言えって、言っただろうが!」


 レオナルドも小石を投げた。

 アリスティア達の方を向いた目線が、レオナルドに戻ったかと思えば、親方の頬に次の石が直撃する。

 人間なら当たり所によって死にかねない、けれど強靱な皮膚を持つトロールでは出血もない。


「右から左からビンタしているようなものか」


 そんなレオナルドの感想は、偶然にもアリスティアの狙いを的確に表していた。



 トロールは、いや、人はここまで小さくなれるのですね、とヴィヴィアンは不思議な想いで見ていた。

 実際にはそう見えるだけで、親方の巨体はまったく縮んではいないのだけれど。


「大変、申し訳、ない」

「誰か大怪我でもしてたら申し訳も聞いてもらえませんけどね!」


 坑道から出て、街にある親方の――グロクの白翼商会の建物で、その主が頭を下げていた。

 その傍でアリスティアが、手刀を親方の首に振り下ろすような仕草をする。

 レオナルドは、アリスティアの言葉からどこか仕方ない、という響きを感じて、彼女に問いかける。


「結局、何度も坑道に横入りしてきた、お隣の連中に怒っていた。そういうことでいいのか?」

「ヴィーに向こうさんの怪我を診てもらう間に、白翼商会の鉱夫にも話を聞きました。もう一段だけ根深いですね、怒っていたのはそうですけど」

「私が聞いた人達は、わざとじゃないと、おっしゃられてましたけど……」

「三度目じゃ信じるのも難しいよな」


 だからと言って、人をぶん投げるほどの怒りを、文字通りぶつけて良いなんて話にはならない。

 アリスティアが分かっていますよと、親方の周りを歩きながら説明を始めた。


「トロールの種族的な特徴、なんでもいいので言ってみて下さい」

「目の前を見たら分かると思うけどな。大きな身体に、岩を引き抜いて投げられる力、それと、石をぶつけたぐらいで血も出ない皮膚か」

「そういえば、ランタンはアリスティアさんが持っていましたよね。目が良いのでしょうか? あとは、その……」


 ヴィヴィアンが言いづらそうにすると、レオナルドが引き取った。


「頭が悪い」

「うわ、よく本人の前で言えますね。あんたと違って泳げもするのに」

「お前が言わせただろう今のは」

「泳げる!? すごいですね!」


 アリスティアはわざとらしく、ヴィヴィアンは素直に驚いた風だが、言われた本人は黙って頭を下げたままだ。


「人間の血を吸おうが、生で魚を食べようが、この自治領でバカだけは商人なんてやれません」

「怒りすぎて、周りが見えなくなったのだろうな、とは思いましたけれど」

「ええ、目の前のことに集中し過ぎる傾向にあるだけです。三人から一緒に自己紹介をされても覚えられず、石で小突かれただけで怒りの矛先が分からなくなるぐらいにはね」


 レオナルドは、自己紹介を断られたのはそういうことかと納得した反面、やはりバカなのではないかと感じた。

 けれど、アリスティアの次の言葉で口を閉じた。


「何に怒っていたのかは忘れても、怒りそのものは忘れない。ずーっと心に仕舞ったまま、ふとした切っ掛けで爆発する。レオナルドも気をつけましょうね」

「……そのくせどうして俺の神経をいちいち逆撫でしていくんだよ」

「反応が素直で面白いので」


 この瞬間に、レオナルドから今度こそアリスティアを殴ろうという決意の欠片がこぼれ落ちていった。

 代わりに力ない手振りで、アリスティアへ話の続きを促す。


「親方を怒らせていたのは、領主代官の布告から始まった鉱山の乱開発です。まっすぐ掘れもしない素人が地元を荒らしていたら、怒りますよね、そりゃ」


 言いながら、アリスティアは予想より厄介な事態だと考えていた。

 魔石の鉱脈までの到達は競争だから、山を大切にして、気を遣いながら掘っているグロクたち、白翼商会が負け組になるのも理解できる。

 競合は気にしていないところが多いのだろう。

 だからと言って、親方のやり方に合わせると勝てないが、彼の怒りは消え去ったわけではない。

 方針を変更させるのは難しい。


「ツルハシ持って、手伝えば良いわけじゃないのはようく分かった。どうする?」

「おや、単に護衛でも報酬は出ますよ。でも、やる気があるなら、もういくらか、情報を集めに行きましょうか」


 問題を理解したら、情報収集。

 これは冒険者でも、情報部でも同じだろうとアリスティアは疑っていなかった。

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