第5話 背中を見せるのは親方の仕事

 泥にまみれた身体からは石のような灰色の皮膚が見え隠れしている。

 頭を見上げれば深緑色――髪ではなく苔なのではないかと思わせるボサボサぶりだ。

 そのおかげで、レオナルドには街中で暮らす人間には見えなかったのだろう。

 アリスティアからすれば、スラムにも似たようなのは居たでしょう、と声をかけてやりたい気分だった。


「白翼商会のグロクさんですね」

「親方、と呼ばれて、いる」

「わかりました、親方」


 白翼商会なんて名前に見合う部分があるとすれば、大きく広がる肩幅と有翼人種族も真っ青の筋肉だろうか。

 ヴィヴィアンやアリスティアはもちろん、レオナルドでももしかすると、片手で掴んで放り投げられそうだ。

 アリスティアが名前を呼んだ。

 グロクが返事をした。

 それでようやく、レオナルドは自分が一番このトロールに慄いている事実に向き合うことができた。


「小さな、友人よ。助けぇは、ありがたい。あの方は、元気か」

「相変わらず退屈とワインしかそばに置いてくれません」

「退屈、かあ。チェスの相手は、できないから、なあ」

「あの方って誰だ?」


 ヴィヴィアンがレオナルドを小突いた。

 割って入らない方が良いと思ったのかもしれないが、アリスティアとしては大歓迎だ。


の気まぐれ、と、の執念」

「猫さんなんですか?」

「人間ですよ、私のスポンサーのことです」

「つまりはアリスティアの同類かよ」

「ちょっと?」

「君ら、も、いつか、会う」


 レオナルドは嫌そうな顔をした。

 トロールの巨体に真っ直ぐ見られて、不吉な予言をされたとしか、捉えようがなかった。


「自己紹介をした方が良いですか?」

「申し訳、ない、が、覚えられない」

「では、仕事の話をしましょう」

「うむ。とても、


 ヴィヴィアンが荷物から書字板を出してきて構えた。

 レオナルドは、これは長い話になるんじゃねえか、と身構えた。

 アリスティアは、ひょい、とグロクの物とおぼしきランタンを手に取る。



 五分も経たないうちに、四人は白翼商会の縄張りから始まる坑道に足を踏み入れていた。

 最低限、照らされているが、どう考えても字を書くには不向きな環境だ。

 戸惑うヴィヴィアンに、前を行くアリスティアが声をかける。


「ヴィー、両手を空けておいた方がいいですよ。転び方によっては危ないですから」

「あのう、お話をするのでは?」

「難しい、と親方も言ったでしょう?」

「はい、相当厄介な依頼なのかと」

「違いますよ、言葉では難しいって意味です。そうでなくても、トロールに長話をさせるなんて酷です、話が何周することか」

「見た方が早いってことか」


 先頭に親方、次にアリスティア、ヴィヴィアンと来て最後尾のレオナルドが呟く。

 その間に、アリスティアが手を添えて、ヴィヴィアンの書字板を取り上げてしまった。


「ああぁ……」

「なんですか。玩具を取り上げられた子供みたいに」

「親方に比べたら全員子供みたいな背丈だけどな、こんな道で通れるのかよ」


 主な坑夫は人間のようで、坑道も明かりの高さも人間向けになっている。

 そこを親方は、巨大に似合わない器用さで、縮こまったり、頭を下げたり、横歩きして進んでいる。


「通れるみたいですね」


 アリスティアは堂々と後を追い、ヴィヴィアンは必要もないのに親方の真似をして通り抜けた。

 最後のレオナルドが、時折後ろを気にしながら、ヴィヴィアンの足元にも気を払う。

 先ほどから彼女が一番平衡感覚が危なっかしく、対照的にアリスティアは心配するだけ無駄だった。



 そうしてしばらく……何十分経ったかも曖昧になるぐらい歩いた後、ヴィヴィアンが素直な感想を口にした。


「やっぱり、奥に来るほど苦労されているような……」

「そうでもないと思いますよ、ここまで立ち止まらずに進めたでしょう……いや、止まって」


 ヴィヴィアンは素直に足を止めた。

 ちょうどいいとばかりに、アリスティアから書字板を取り返そうと手を伸ばす様は、後ろのレオナルドから見れば不格好だ。

 そちらに気を取られて、二人の反応は遅れた。

 親方が道の横に埋まっていたのだろう岩盤を引っぺがして、反対側の壁にぶつける。

 アリスティアは二人に表情は見せず、ただ耳を塞いでいた。

 坑道が軽く揺れる。


「ひゃあ!?」

「マジかよ」


 ついでとばかり、いま投げられた岩を親方が殴りつけるものだから、音と衝撃が激しい。

 ヴィヴィアンが反射的に下がろうとして、足を滑らせる。

 アリスティアは彼女――ヴィヴィアンの腕を掴んで自分の方へ抱き寄せた。


「す、すみません」

「親方、なんか怒ってますかね。レオナルド? 最後尾に居て自分のことで手一杯ってのは男子としてどうなんですか?」

「気づいてるなら先に言え、あと最後尾はお前の提案だろうがっ」

「人手が入ってるとはいえ、魔物が出ない保証にはなりませんからね。後ろは臆病で警戒心が強いのに居てもらわないと」


 アリスティアが言いつつ前へ視線を向けると、親方が岩盤を剥がした方を睨み付けていた。

 それこそ魔物でも出たのだろうか、とヴィヴィアンを立たせると、親方が口を開いた。

 どうなら、岩盤の向こうに何かが居たのは違いないらしい。


「オマエ達、三度目、だぞ」

「ち、違うんだ白翼の旦那、俺らはまっすぐ掘ってたはずなんだよ!」

「三度目、だぞ」

「わざわざお隣さんに脇道を作るほど、余裕こいてねえよ! どうしてこうなるんだ!?」


 三人の少年少女は思わず顔を見合わせた。

 アリスティアは、魔物や人間の妨害を退けるようなこともあるかもしれないと口にはしていた。

 親方のどこかのんびりした歩みで、アリスティア本人さえ忘れそうになっていたが、この鉱山開発は競争なのだ。

 早速揉め事が発生しているようだが、予想より様子がおかしい。


「どういうことでしょうか……?」

「いくら難しいと言われても、言葉でも説明してもらわないと追いつきませんね」

「珍しいな、同じ意見だよ」

「まずはあれを仲裁しましょうか、そこも同じですか?」


 アリスティアがレオナルドに微笑む。

 これは、言葉にされなくても分かる。

 何を笑っているんだ気持ち悪いとでも言えば、妹ちゃんを助けようって意見と力を合わせた仲ではないですかと言われるに決まっている。

 だからレオナルドは、親方のように口数が少なくなるよう、黙って頷いた。

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