第8話 アズマギクの餞別 6

◆アクア・S・ネイチャーの場合


 夢を見る。

 悲しい夢だ。

 夢を見る。

 寂しい夢だ。

 夢を見る。

 夢を見る。

 夢を見る。

 ――愛しい、夢だ。


 青年は濡れそぼった瞼を拭った。

 また、泣いていたようだ。

 小さい頃からいつもそうだ。

 なにか夢を見る。そして起きるといつも泣いている。

 夢はなにか覚えていない。

 ただ漠然と、悲しくて寂しくて、どうしようもなく愛しい気持ちだけが残っている。

 誰かを愛した夢だった。

 誰かを想った夢だった。

 誰かを亡くした夢だった。

 なにかを失くした夢だった。

 だけどその誰かがわからない。なにかがわからない。

 青年は頭を抱える。

 もやもやとした気持ちだけが、いつも残っている。


(いずみと再会してから、見んかったんやけどなぁ)


 青い空、白い雲、一面に広がる草原。

 憂うことのない世界。

 落ちていく太陽、どこまでもひしめく黒い軍勢、足元に広がる血の海。

 絶望に打ちひしがれる自分と、手にかけた愛しい  


「……る、しー……?」


 誰かの名前だろうか。無意識に呟く。

 誰だ、それは。

 そんな人物、自分は知らない。


(誰や……)


 知らないというのに。

 どうしても夢の中の出来事、人物が気にかかる。

 胸にぽっかりと大きな穴が空いたようだ。

 青年はぐしゃりと前髪を握りつぶす。


「誰や。誰なんや、お前……」


 見覚えのない笑顔が脳裏を過って消えた。



 寂しい。

 冷たい。

 苦しい

 寒い。

 ふと意識が浮上した。

 身体はおろか、目すら動かせず、相変わらず全身は氷漬けのままだった。

 なにか夢を見ていた気がする。

 愛する彼と、見たこともない明るい世界で一緒に生きている夢。

 このような姿になってまで、あの男を愛しているというのか。我ながら女々しくて嫌になる。

 寒い。

 ふるりと震える。

 さっきまで暖かな夢を見ていたせいか、以前に目を覚ましたときよりずっとずっと忌々しい氷が冷たく寒く感じた。

 一人きりになってもうどれほど経ったのだろう。寂しいというのはこういう感覚をいうのか。

 クニは、ナカマは……彼はどうなったのだろう。

 それすら知らされず、知ることを許されず、私はただただこの昏い奈落の底で氷漬けにされている。

 いっそ一思いに死ぬことができたなら――それは叶わぬ望みだ。

 ああ、また眠たくなってきた。

 瞼が重たい。

 また愛するあの人の夢を見られるといい。今の私に許された、ただ一つの希望でただ一つの安らぎ。

 そして、最悪の絶望。

 これが私への罰なのか。

 私はそんなことを考えながら目を閉じた。

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