第7話 アズマギクの餞別 5

 ぴちち、と謝の肩で愛らしく小鳥が鳴く。

 薄桃の羽根を震わせ、小さく黄色い嘴で、少女の頬をついばんだ。

 謝はくすぐったそうに笑う。

 今は遠い故郷の山で友人(友鳥)となった小鳥は謝を追いかけてこの恐山という日本の山までついてきていた。日本についてから空港近くの宿――ホテルというらしい  で鞄を開けると何食わぬ顔で居座っていたのにはさすがの謝も驚いた。

 そのまま置いて行くことも故郷へ帰すこともできず、結局、謝は小さな友の思惑通り(?)肩に小鳥を乗せているのだった。


「華ちゃん、ばすに乗るから静かにしていてくださいね」


 ぴちちと小鳥――華ちゃんは分かったというように鳴いて、開いて見せた鞄の中にぽすりと収まる。

 華ちゃんは頭の良い子なので、謝のいうことを正しく理解してくれる不思議な鳥なのだ。

 そういえば、陣取って引きこもっていた父の書斎のどの図鑑にも、華ちゃんのような鳥は載っていなかった。ふと、謝はそんなことを思い出す。

 一台のバスに「SGC・IT関係者様」と表示されていた。この恐山近くに来るまでに何度も見かけた白地に緑のラインが入った観光バスだ。

 だが何故かそこだけ人が寄り付いておらず、謝はそうっとあたりを伺いながらバスに近付いた。

 竜神の祠に近付くときや近付いてはいけない湖に近付いたときのように、足音を潜めていたのは無意識だった。首を伸ばしてこそりとバスの中を伺う。

 車内には運転手以外の人は居なかった。

 がらんとして静まった車内を見ていると、運転手と目が合い、慌てて会釈する。随分と若い男だ。長兄の瑳と同じか少し上だろうか、謝の目にはそれくらいに見えた。

 艶やかな黒髪が重力に逆らわず微かに揺れている。ぼんやりと見つめたままでいると、運転手はなにか、と首を傾げた。

 再び慌ててなんでもないと首を振り、バスに乗り込む。

 誰も座っていないので座席は選び放題だった。どこにしようか。


(運転手さんとはなんだか気まずいから、後ろの方に行こうかな)


 少し考えて、一番後ろに決める。華ちゃんがぬいぐるみかなにかではなく本物の鳥だとバレて放り出されてしまうのも避けたい。

 左側の窓に寄ると、ひやりと冷気が流れているのを感じた。

 空は晴れ間の見える曇り空で、まるで謝の期待と不安の入り交じった今の心の内を表しているような天気だ。

 道すがら買った恐山の観光ガイドブックを暇つぶしに開く。適当に手にしたのは国内旅行向け、日本人向けのものだったが、日本人に育てられたという祖母の教育のおかげで日本語はほぼ不自由なく読める謝にはなんの問題にもならなかった。お祖母ちゃん、ありがとう!


(どうせなら、この国のご本も読んでみたいなぁ)


 一応、道すがら売店で売っていた推理小説というものを読んでみたがとても興味深く、面白く読めた。あんなものがその辺で売られているならば本屋さんに行けばどれだけの本が揃っているのだろうか。考えるだけで胸がどきどきと高鳴る。

 SGCがなにのために謝や他の合格者を集めようとしているのかはわからないが、謝にとっては外に出る機会をくれたありがたい会社だ。生まれて初めての村の外、それも大旅行なのだ。せっかくだから色々と見て回りたいとも思う。(しかも道中の交通費や必要費用は全てSGCが出してくれるという至れり尽くせりっぷりだ)

 ワクワクしてきた。

 晴れ間が出たのか、謝の顔とガイドブックのカラー写真を明るく照らす。華ちゃんが気持ちよさそうにちちちと小さく鳴いた。運転手には聞こえなかったようで、ほっとした謝は華ちゃんの嘴を指先で擦るようにして撫でる。

 ふと顔を上げると、ちょうど一人の乗客がやってきたところだった。謝を黒いサングラス越しに一瞥して、一番前の席に座る。

 謝よりも闇色の髪を長く伸ばし、後ろで一つに括っている。肌の色を見るに日本人だろうか。

 黒いコートに黒いジーンズ姿で、足元は黒くてゴツゴツとしたブーツと徹底している。コートの下には白いシャツかなにかが見えていたが、とにかく黒い。

 更に、遠目に見ても東洋人としては色白の部類の肌だということがわかる。それが黒い装束に押し込まれて更に際立っていた。見るからに怪しい出で立ちだ。

 年齢は若そうで、謝よりいくつか上程度だろう。運転手よりは下に見える。

 謝は人見知りする性質ではないが、気安く話しかけるのに少し戸惑う、そんな空気を放っている。席も一番前と後ろだし。


(あの人もIT関係の人なのかな)


 好奇心はあるのだが――その時、静寂の車内に黒コートの人物の舌打ちの音が響いた。

 うん、話しかけるのはやはりやめておこう。

 謝は一人小さく頷いて、再びガイドブックに目を落とした。

 バスはまだ発車する気配もない。

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