第4話 アズマギクの餞別 2
じわじわと照りつける太陽が日陰に逃げているはずの煌夜を射抜く。
じっとりと汗ばんで張り付く前髪を不快に思いながら、本日何度目になるかわからないため息を吐いた。
ノエルの大馬鹿野郎め。
これも本日何度目になるかわからない罵声を、ここにはいない男に浴びせる。もっともそれも、半分以上はただの八つ当たりでしかないと理解している。
数ヶ月前の賭けに勝ってしまったばっかりに、煌夜は今ここにいた。
機内や車内では冷房対策として役に立っていた愛用のロングコートも、今では流石に脱いで丸めていた。荷物になるのは仕方ない、とそれを小脇に抱えて持参した地図を眺める。
何度見ても現在位置は完全に一般観光ルートから外れているとしか考えられなかった。時折吹く生ぬるい風が鬱蒼とした木々を揺らしている。
――もとより手紙の主は、一般人の迷い込まないところへ誘いたいようだが。
「気に入らないなぁ」
無駄にしっかりとした紙を使っていると推測できる質のいい白封筒から、煌夜の名前が入った入山許可証と招待状と銘打たれた手紙が滑り落ちる。
差出人の署名の横には真っ赤なルージュのキスマーク。
煌夜は『SGC代表、マリア・C』と書かれたカードを睨み付けた。
☆
「テストに、合格?」
心底意味がわからないといわんばかりに黒崎くんは怪訝な顔をしていた。
はいと頷くと、説明しろと目で訴えられる。拒む理由もないので笑顔で応じる。
「簡単な話ですよ。その『ITプロジェクト』にこの学校も参加するので、それに合格すればいい――それだけの話です。合格すれば黒崎くんの勝ち。合格できなければ私の勝ち」
簡単でしょう、と笑うが黒崎くんは怪訝な顔のまま笑ってはくれなかった。
むしろ胡散臭いという心の声が漏れに漏れているほどだ。
常より仏頂面か不機嫌顔がデフォルトなこの子のことだから、そう簡単に笑ってくれるとも思っていないが。
「『ITプロジェクト』の『IT』とは要するに『Individual Test』――日本語直訳でいえば個人技能調査の略称ですかね。SGCの公式発表によると、出来うる限りの人類の平均能力のデータを集めたいということで企画されたものだそうです。国や地域に因っては筆記、口頭問題などの違いは出るようですがね」
黒崎くんを窺いながら続ける。
「定期試験の代わりにするというのはプロジェクト実施時期がほぼ同時期なため、流石に生徒のやる気を考えての配慮でしょうね。連続しての試験だなんて、モチベーションを保てる生徒、そうそういませんでしょうし。なにせプロジェクトはおおよそ全世界同時試行だそうですから」
「……時差は?」
「さあ、どうでしょう。大きな組織の考えはわかりませんねぇ」
けらけらと笑って見せるが、黒崎くんは難しい顔をしたままだった。釣られて笑ってくれてもバチは当たらないだろうに。
とにかく、この子にはそのプロジェクトに参加してもらい、尚且つ『合格者』に名を連ねてもらわなければならないのだ。
「君なら簡単ですよ。ただの筆記テストに運動能力テストと倫理問題程度ですから」
これは他の生徒には内緒ですが、とわざとらしく口に人差し指を当てて笑う。ついでにウインクも飛ばしてみたが黒崎くんは羽虫をプリントで散らすような仕草で目を外らした。
いくら私が大らかな人間だとしてもそろそろ傷付くというものだ。傷付かないけれど。
はぁ、と、わざとらしいくらい大きなため息に首を傾げると、黒崎くんはプリントをくしゃりと丸めて軽く私へと放った。
こそりと擦れた音を立てて、それは首から下げた十字架に当たって落ちる。
「……ゴミはゴミ箱へ捨てなくてはいけませんよ」
「ゴミなのか、それ。……持ち主に返しただけだ」
膝上から足元へ滑り落ちていく丸まった紙を目で追いながら、運動能力テストと体力テストは別ですから貴方でも大丈夫ですよと親切に注釈すると、一際大きな舌打ちが正面から投げられた。
「――今度はなに企んでるのか知らないが」
つま先から床へ転がったそれから黒崎くんの金色の眼に視線を移す。何者にも臆さない、強い色の眼がそこにあった。
まるで、生前の友人のそれのような。
恐怖とは違うそれで、ぞわりと背筋が震えた。
「要は合格すればいいんだろう」
にぃ、と珍しく黒崎くんの口角が上がる。イタズラを思い付いた悪ガキ……よりも質の悪い、悪意に満ちた笑い方だった。完全に仁さんそのものですよ、それ。
「……本当、仁さんにそっくりですよ」
「なにが」
「いえ、なにも」
訝しそうに見上げてくる視線に気付かないふりをして、足元に転がったプリントだったものを拾う。
顔を上げると黒崎くんはもう立ち上がり踵を返して部屋から出ていくところだった。
ポニーテールが揺れる背中に、
「どうぞ、ご武運を」
「……」
と、声をかけてみたが反応はない。聞こえなかったのかまた無視されたのか 今度はもう、私にもわからなかった。
☆
招待状と許可証を封筒に戻し、曲がり過ぎないように気をつけながらリュックへ入れる。入れ替わりに丁寧に入れられていた別の古びた白封筒を取り出した。何度も読んだ、父からの手紙だ。
白封筒を見る目を細める。無事に――数少ない――IT合格者に名を連ねた煌夜に、ノエルはいつもと変わらない胡散臭い笑みを浮かべながらこれを煌夜の手に握らせた。
それが終業式、先月後半のことだから忘れようもない。
同時に渡された合格者への封筒(というよりも小包)は嫌な重みがあって、思わずノエルに突き返そうかと逡巡したのは記憶に新しい。
父からの封筒は今更読み返すまでもなく内容を覚えている。
職業柄だろうか、自分の身になにかあったとき頼れるであろう人たちの名前と連絡先のリスト。
それからたった一言、見覚えのある癖字で書かれた「ごめんな」という文字だけの真っ白な便箋。
そして、手帳の切れ端なのだろう、一度はクシャクシャにされた跡のある走り書きには「SGC、危■」「IT■ロ■■クト」「■■トに連■」の文字だけが読み取れた。
かろうじてわかるのは「SGC」という社名と「ITプロジェクト」と推測できる文字。「危■」は「危険」だろうか? 「危急」、「危機」だろうか、どれにしてもあまりいい意味には取れない。
下に書かれていたらしき誰かの連絡先のような番号列は途中で破れていて推測すらできなかった。
走り書きで普段の字よりも汚いものだったが、その随所に見られる癖から父、黒崎仁のものだと判断した。切れ端とはいえ、それが彼の常用していた手帳のメモ欄だということからも明らかだ。
しかしこれが真に仁のものだとすれば、引っかかることがある。
「……『ITプロジェクト』ってなんなんだ」
今回の、あの一連のテストのことを指すのなら、何故仁がそれを知っていたのだろうか。
黒崎仁が職務中の凶刃に倒れたのは、七年ほど前になる。
ならば、このプロジェクトはいつから、なにのために、計画されたものなのだろうか。
「それに」
煌夜はくるりと振り返る。明らかに一般観光ルートから外れた道。しかし完全な獣道ではなく、ある程度整備しようとした跡が見える、半人工的な道。
それは長年使われたものではなく、つい最近になって何者かが急ごしらえで作ったものに違いなかった。
知らず、煌夜は大きなため息を吐いていた。
この暑さだというのに周囲からは蝉の鳴き声すら聞こえない。
日陰にいるというのに突き刺さる陽が、遠くにぼんやりと霞む陽炎と嘲笑った気がした。
「あ、バス停」
ようやく開けた場所に出た。
見えたのは白地に緑のラインの観光バス。
やっと徒歩で彷徨わなくてよくなるとホッと息を吐く。
とりあえず、夏休み終わったらノエル殴ろう。
そう心に決めて、煌夜はバスを目指してまた歩き出すのだった。
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