第6話

もうこの恋は「賞味期限切れ」になっていて。

「期間限定フレーバー」のように思えば楽に考えることができるのだろうか。

これを「煩悶する」と言うのか。カタルシス。愛情の枯渇。恒常なんて悠久なんて永遠もない。ぬるくなった炭酸水。炭酸がぬけた炭酸水。


「ひろさん」から何回も「何で返信してくれないのー?」とけたたましいくらいのメッセージが人が変わったように毎日来た。急に「話したいことがあるからカフェで会いたいです。」と堅苦しい言い方で朝方にメッセージが来た。我慢できなくなり仕方なく「行くよ。どこに行けばいい?」と聞くと、マップアプリのURLが送られてきた。珍しくお昼過ぎにカフェに集合なんて不思議だな。そう思いながらも、足早にカフェに着いた。

どこに座っているのだろう。探すと、それらしき男の人はいなかった。

急に艶めいた長い黒髪の女性が席から立ち上がり、僕に話しかけてきた。

「あら、祐希さんね。はじめまして。怪しい者じゃないから安心して。」まるで子どもを見つめるような目で微笑みかけた。

「あっ、はじめまして。あの、どちら様でしょうか。」

「私は理沙。広志の知り合い、って感じかな。」

「もしかして、ひろさんのお知り合いですか?」

「ふっ、あなたは普段あの人のことをそう呼んでいるのね。」全ての点が繋がったように口角が上がったのが見えた。

「はい?すみません、一体何のことだか全く分からないんですけど。」僕はただ困惑するしかなかった。

「彼から何も聞いていないのね。ふっ、笑っちゃうわ。彼とは大学の同級生で、私は広志の婚約者。」

「えっ?彼は彼女とかはいないんじゃ?」

驚いた。でも確かに、そうだ、と思った。彼女がいそうな顔をしているもの。きっと二人は親密な仲になって数回の内にセックスをしたのだろう。同じ学部だったのか、それともサークルで知り合ったのだろうか。無意味な行動は大学生の特徴だし、無意味に酔いつぶれ、誰彼構わずにセックスをする。意中の人からぞんざいに扱われ泣き、これも「エモい」と形容したがる脳みそお花畑の大学生の感性。まあ、大学生なんてそんなものだろう。

”今日の朝送ったのは俺じゃない。多分、俺の彼女が送った”そう「ひろさん」からたった今メッセージが来た。

「おい、理沙!なんでここにいるんだよ。」後ろから広志の声が聞こえた。少し苛立っているように見えた。

「あら、ちょうどいいところに来たのね。良かった。」理沙は少し笑みを浮かべているように見えた。

「何が、良かった、だよ。こんなに人がいるところで...みっともないから止めてくれ!」広志は声を荒らげた。さっきよりも声のボリュームが2段階くらい上がった気がする。

「よくそんなことを言えるね。別に私は男性であろうが女性であろうが、性別うんぬんかんぬんの前に、私ともう1人関係を持つ人がいるのが嫌なの。婚約者がこんな状態なのは誰だって嫌でしょう?」

「まぁ、そうと言えばそうだけど。」少し広志がたじろいでいた。

「何でこんなことしたのよ。セックスレスだったから?」

「それも、まぁ、あるかもしれない。俺が求めても理沙は拒否するばかりだったし。」

「だって仕方ないじゃない!おばあちゃんの介護もしないといけないからコロナになんか罹かる訳にもいかないしもし私含め家族が感染したらどうしようもなかったから!本当は広志とセックスしたかったけど、私も広志も色んな人と仕事柄会うし。だから、避けたくなかったけどどうしようもなかったのよ!」理沙はものすごい剣幕でまくし立てた。話したことで今までのことから解放されたようだった。

「そんなこと言われても仕方ないだろ。」

「ここでどっちを取るのか決めてよ。このまま中途半端な状態を続けても誰も得しない。結局誰が好きなの?もし、このウブな僕ちゃんをあなたが選ぶなら私はもうあなたとは連絡も何も取らないわ。でも、もし私を選ぶならこの子の連絡先を今ここで消して。」

広志は何も言わずうつむいてしまった。

この沈黙を破るために僕は「あのこと」を言うことにした。

「実は、最後に広志さんに会ってから男に暴行された。そしてHIV陽性だった。だから、もうセックスはできない。これが出来なきゃ僕といる意味がないでしょ。もうこれから会わないよ。今までありがとう。楽しい思い出をありがとう。」

彼を見ていた、というよりも彼の方向にある壁を見てこう言っていたという方が正しい。僕が平常心のままで言えることはこのくらいしかなかった。これ以上何か僕の脳から何か言う信号が出されると、全ての感情も理性も体の全ての器官が崩壊する。本当はそんなことはないはずだし、仮にそうなってもそんな大げさなことは無いと分かっている。でも、これ以上僕は何も言うことはどうしても出来なかった。もう彼の姿も端正な顔立ちも見たくなかった。見てしまったら確実に取り乱すし、感情の行き先が無くなってしまうから。僕は走ってカフェを出た。きっとあのままあそこに居たとしても彼は、僕に別れを告げ彼女を選ぶだろう。そんなことはもう目に見えている。

広志は追いかけてこない。彼女にまた何か言われたのだろうか。それともあの雰囲気で追いかけることは出来ないのだろうか。どこかで分かっていた。彼の僕に対する扱いはこんなものだ、と。

初めて来た街で別れを言うなんて、こんなにも「エモい」ことあるのだろうか。きっと正常な感覚の大学生ならそう思うのだろう。クソみたいな感性を持った大学生ならこんなこと思うだろう。ここで失恋ソングなんて聞くのだろう。

息を整えながら、来人に電話をかけた。

「もしもし。今、大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。次はいつ会える?最近会えてないからさ。」

「ごめん、もう別れよっか。来人も新しい人と付き合いたいでしょ?最近、セックスしてないよね。実は、最後に来人とセックスした後、HIV陽性ってことが分かって。多分、来人は感染してない。けど、もう僕は、セックスは出来ないようなもん。こんなに楽しい時間を一緒に過ごしてくれてありがとう。幸せになってね。僕よりも相応しい人はきっといると思うから。勝手でごめん。でも、ありがとう。大好きだよ。」

「ちょっ…。」

来人の困惑した声が電話越しに聞こえる。けれど、ここで電話を切らないと未練が一生ついて回るだろう。申し訳なさで心が支配されそうになりながら電話を切った。

桜は昨日の雨で散り、葉桜になっているものもあった。今日は、桜を見る余裕があるんだな。ありがとう。心の中でそう呟いた。

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「はるか遠くその遠く」 @yuu040905

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