第5話

来人とは恋人らしくデートを重ねた。水族館からショッピングモール、旅行にも行った。あぁ神様、こんなに幸せになっても良いのですか。今までの苦しみを労ってくれたのですか。それとも刹那の時間を楽しめ、ということですか。どうせいつかは遅かれ早かれ別れるのだから、と。今でも少し遠慮してしまうこともあるけれど、彼が僕に微笑みかける姿は何にも替えることのできないものだと思う。

来人とのデートを2日後に控えた夜、バイト終わりに4、50代くらいの男に強姦された。

その日は予定していたよりも家に帰るのが遅かった。日付が変わるか変わらないかくらいの時間に最寄り駅に着き、近道をしようと思い、人がほとんどいない道を歩いていた。自宅まで10分くらいになった時、後ろからスーツ姿のサラリーマン風の男が僕に近づいているのが分かった。僕が早歩きにすると男も足早に歩いているのが足音で分かった。男がだんだんと近づき、僕はナイフで男に脅された。

「逃げるな。デカい声を出したら殺すぞ!」僕はマスク越しでも息を殺して声を出さないようにした。ナイフを首元に突きつけられたまま近くの公園のトイレに入るように言われた。

そして男がおもむろにズボンと下着を脱いだ。俺のペニスを舐めろ、と言われた。清潔感のありそうな普通のサラリーマンに見えたけれど、一回り以上も年齢が離れていそうな人に好意の1つも無かった。けれど、抵抗したらこのまま殺される。来人とも一生会えなくなってしまう。そう考えたら従うしかなかった。一回、一回と舐めていく度に自分自身の感情が一つ一つ消えていくのが分かった。血の気が引いていくというか、生気が少しずつ失われていく感覚がはっきりと確かに分かった。後ろ向きになれと言われ体を後ろにしたら下着まで降ろされた。硬くなった男のペニスが僕の肛門に無理矢理に入ってきた。するとすぐに男の粘液混じりの体液が「僕に」入ってきた。この人はコンドームを着けていたのだろうか。おそらく「生」で、したのだろう。いつの間にか男がいなくなっていた。気づかなかった。いついなくなったのだろう。僕はどのくらいこのトイレにいたのだろう。

やっと地獄から生還できた。ただそれしか思いつかなかった。来人との一泊二日のデートも楽しめなかった。何回も、大丈夫と聞かれたが大丈夫と答えるしかなかった。夜、彼からセックスしようと求められても、今日は気分じゃない、今日はちょっと、としか言えなかった。もし来人に感染させてしまったら。そう考えると求めには拒否するしか方法がなかった。不服そうな表情だったけれど、うなじのあたりをギュッと抱きしめてくれた。

「ひろさん」との連絡は意図的に取らないようにしていた。メッセージの返信もしなかった。きっと返信してしまうときっとセックスをする流れになってしまうから。

「あれ」から3ヶ月後、僕はHIVの検査を受けた。保健所の白い壁がやけに輝いて見えた。眩しい。建物全体が無理矢理に清潔感を出そうとしている。自分の体から取り出されていく血が汚らしいほどに鮮明だった。1時間後、呼ばれ部屋に入るとスーツ姿の男性とベージュ色のジャケットを着た女性が座っていた。男性から、あなたはHIV陽性でした。これからどうしていくか考えていきましょう、と言われた。どう、ってどう?。頭の中で、やっぱりという思いと現実を直視したくないという矛盾が生まれた。その日はただ呆然と「専門家」と名乗る人から治療法について説明を受けた。

その後、ある日たまたまニュースを見ていたら女性に対する強制性交の容疑で、あの男は逮捕されていた。

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