五年越しの葬儀

 左足を引きずり続けることを選んだ。

 その怪我に対する確かな治療法は存在していて、それを行う上でのリスクはほとんどないということも分かっていた。それでもおれは、不慮の事故を呪い続けるかのように、その事故現場から今の今まで、五年の月日を、地面に恨み言を綴るかのようにして、その足を引きずり続けてきた。

 放ってくことで、何かしらの希望が生まれるわけでもない。その確かな治療法は、日常生活を何不自由なく過ごせるようになるものだった。手術の失敗はほとんどのケーズで認められず、その後の経過も良好なものばかりで、趣味程度であれば、スポーツだって続けられるものだった。しかしおれは、その治療によって、何かしらの奇跡を損なうような気がして、それから逃げてきた。つまりその治療を選択することは、おれの競技者としての夢を完全に終えてしまうことと同義だとしてしまった。自分自身の手によって、終わる道を選んでしまうことだと捉えてしまっていた。

 かといって、その治療を受けることのほかに、事態が好転する手段はなかった。むしろそれを受けたほうが、その奇跡が起こる可能性は高いということを、頭では理解していた。だからそれは完全に気持ちの問題であり、どうしようもない苦境に立たされながらも、夢を諦めきれないという自分の性分を、明らかにしていた。

 手術を受けず、足を引きずり続け、どうやらそれは悪化こそしないようだが、当然生活に支障をきたしていた。おれはこの怪我、病の診断名を、自分が競技人生を終えなければならないという事実そのものと混同して、それから逃れるように忘却した。何という名前の部位が、どのような怪我を負っているという事実が、おれを終わらせるのか、そんなことを考えたくはなかった。そして二年が経って、この足はもう思うようには動かないのだと、ようやく悟った。

 そのころ、競技者として活動していたときに世話になっていたスポーツ用品店の店主の容体が悪くなっていた。さらに、そこの息子がほかの職に就いていた影響で、後継ぎがいないという問題も抱えていた。おれは自身の体と将来について、このままではだめだとは思いつつ、もう不可能になった夢を見続けることをやめられない状態だった。そんな時期に、その店へ行く用事が生まれた。そこはおれの家からはそう遠くない位置にあり、店への用事というよりは、そこの人間に対するものであった。当時はよくしてもらっていた、現在は入院して現場を離れる店主からの頼まれごとであった。臨時で店を回す奥さんとその息子の嫁に進捗を伝えると、話題はおれのことになった。彼女たちは、すでによく知っていて改めて聞く必要もないはずのおれの足の様子を確認すると、その店で働くことを提案してきたのだ。

 おれのそのときの経済的な事情でいえば、過去、おれは二部リーグではあったがチームに所属していて、それなりの収入を手にして、ほかに没頭する趣味もなく、今でさえも浪費癖がないことから、蓄えはあった。少しの間は働かずにいることができた。しかしもうどうにもならない現実を直視し続けて、そこから逃れたかったのかもしれない。あるいは現実的な考えとして、これから減る一方の蓄えを危惧したのか、そんな複数の思いがあって、おれはその提案を受け入れた。

 引きずるような足は、思いのほか負担にならなかった。店はどちらかといいえば、その場で商品を売る形式ではなく、注文に応じて取り寄せておいたり、定期的な備品の納入を主とした経営であり、荷物の配達をおれが行うこともない。実際にそれらが用いられる現場を知っていることも手伝って、意外にもすぐにその仕事は馴染んだ。

 しかしおれは店主という立場自体は忌避して、あくまで臨時の担当者という存在でいたかった。そこの店主とはおれ自身も交流があったし、その人が持つ信頼こそが経営を成り立たせていたという面も大きいと思っていたからだ。実際に一から顧客との関係を整頓していくのは難しい作業だったし、いくつかの取引ではそれが尾を引いて、それをきっかけとして別の取引に目を向けられてしまったりもした。だが店主の容体は悪くなる一方で、ついには直々に店主を引き継ぐことをお願いされ、断ることもできなかった。

 それからおれは、それまで以上に力を注いだ。店主の願いはおれの心を確かに震わせたが、それだけが原因ではない。そのころには、そこで生きていくことの美しさを知り始めていたからだ。かつて夢見た景色を忘れたことはない。いまだに悪夢はおれに取り付いていて、忘れたものがそこにあるかのように、事故現場へ足しげく通った。おれのもとに未来豊かなの選手が訪れるたび、自分を呪った。そしてそれと同じくらい、願った。彼ら彼女らのを、おれのが悪霊除けとなって、避雷針となって、いつまでも真っすぐに歩き続けられることを願った。

 真摯な想いが金を生む、ということはない。経営は、良くも悪くも傾かなかった。それでも、一生をかけてそれを続けていけるような未来の展望が、おれにはあった。


 そんなある日のことだった。経歴から言えば同期の、今もなお競技を続けている彼が、店に現れた。彼は、所属するクラブの備品の関係で訪れてきたのだ。なんでも近くではここでしか取り扱っていないという話を聞いてやってきた。つまり彼とおれはそれなりに近い関係にあったが、決してそのことをきっかけとして来たわけではない。まったくの偶然だった。彼はおれがここで働いていることは知らず、おれもその日に入っていた商談の相手が彼だとは知らなかった。

 彼とおれは高校時代から同地区のライバルであり、お互い卒業後もプロとしてその競技を続けてきた。どちらも長いことうまくはいかず、第一線からは外れた二部リーグの燻りであった。試合で顔を合わせば、なんとなく緊張がほぐれ、オフシーズンはともに旅行をしたりもした。あるいは常に相手を蹴落とす感覚も共存していて、自分が一つ上に上がるには、負けてはならない相手であるとも認識していた。そのことも隠さず伝え合ったし、よきライバルであり続けた。お互い、これからという時期であった。おれは競技者として実質的に死んで、彼は生き延びた。これは勝手な俺の予想だが、同じような経路を辿ってきたおれたちは、お互いの気持ちを理解できすぎてしまい、だからこそ彼は、その事故のあと、おれを訪ねることはなかった。おれにかける言葉が思いつかなかったのだと思う。

 彼はもちろんおれの悲劇的顛末を知っていて、おれの顔を見て、確かな動揺が走っていた。おれのほうも、競技に携わっていたころの知り合いに出会ったのは久しぶりで、少しの動揺があった。事故直後のおれの精神状態では、彼らに出会うのは苦痛でしかなく、面会を断り続け、今の今までその機会は訪れなかった。だから少し動揺したが、すぐに、今となっては慣れた店主の顔に戻り、そして彼も、客としてのそれを全うした。

 やがて仕事の話は終わり、当時の話、そしてお互いの空白期間の話もした。おれは今でも心の傷が癒えたわけではないし、引きずっているが、それを踏まえてもなおここにいる。ここに見出した希望と、それが決して、夢から遠ざかった者が持つ、妥協の心、もう手が届かない場所にある夢の代替手段としてのそれではないと考えていることを、赤裸々に話した。それは感情的になって話した、だとか、彼の顔によって昔の気持ちを思い出したとかではなく、どちらかといえば、そのようなことを照れずに話すことができるのは、むしろ彼しかいないような気もして、つまり場の雰囲気にあった話のように感じてのことだった。

 やがて彼のほうも、自分のことを語りだした。おれはこんな状況でも夢に囚われていた、だから彼の現状の立場も知っていた。入院生活中も、そのあとの夢遊病患者のような日々でも、おれは自分がかつていた競技の情報を監視していた。おれの事故から一年後、彼は悲願の一部リーグへ立ち、しかし今もなお苦境にいる。目立った活躍はないし、チームも最下位を迎え、降格も視野にあった。

 ここで働くことで、他人を応援する美しさを学んだおれだが、人間として汚い面も、当然持ち合わせている。薄汚れた醜い嫉妬に気持ちが支配されると同時に、やはりそれと同じくらい、祝福と期待に満ち溢れていた。彼は今の苦境を自虐することはなく、しかし一部リーグで戦えていることの嬉しさは隠せない様子で語っていた。おれたちは五年という月日をもって、互いへの感情を咀嚼し終えていた。衝動的にぶちまけてしまいそうな言葉は飲み込んでいて、かといって本心から遠ざかった何かをぶつけるわけでもない。お互いのつらさを分かち合う残酷な時だけをすっ飛ばして、あのときの関係値のまま、接しあえるようになっていた。


「頑張れよ」

 その言葉は、本来おれには投げかけられ続けるはずの言葉だった。空気を読んだ一言としても優秀で、嘲笑を含めた意味でも使える。どのような角度からでも放り投げることができたはずのそれは、たまたまか、おれにはまだ手にしたことのない響きだった。そのがんばれよに含まれた真剣さが、おれにはわかった。同じような経緯を途中まで歩んできたおれと彼。自身が陥った苦境を今までほとんど分かち合ってきて、しかし事故がすべてを分断した。おれは彼についての情報、知識だけを得て、彼はおれの気持ちを予想することだけが、この五年の月日で交わされたコミュニケーションだった。おれたちは人生で一番の友達といえるほどの中ではなかった。ライバル、戦友としての情がそのほとんどを占めていて、境遇が似ているということだけが、その中でも特別な雰囲気を醸し出していただけだった。それでもおれは、彼の本心と、ここに至るまでの苦悩の日々を、その目を通して、あの日々で分かち合ってきたように、知った。

 諦めきれずに、こんなところで、本来掴みたいはずの夢とは違うものにしがみついているおれ。そんなおれを馬鹿にすることは、とても簡単だった。誰が見ても明らかな不幸な事故を、それでも陰で笑うことは容易く、それを好む人種は思っているよりも多い。

 彼の目を見れば、その言葉の裏にある想いをくみ取ることは簡単だった。彼もまた、諦めと絶望の渦巻く、その中にいたのだ。悲劇というのは、単純に明確な怪我を必要としない。いつでもケリをつけられるぬるま湯のような生活、あるいは、いつまでも諦めることが視野に入らないぬるく長い地獄。負けても手に入る十分に生活のできる金。上りも下がりもしない評価。誰にも見られていない、その上、誰にも見られていないということを確認できない環境。そのなかでも腐らずに生き続けること。確かな実力差を自覚しながら、それでももがくこと。周囲は簡単に諦めていき、現状維持ばかりをしている。そんなものを見続けた彼は、諦めを知り尽くしている。いつでも彼の周りには、彼を引退へと追い込む罠があったのだ。苛烈で濃密ではなくとも、薄く引き伸ばされたような、繊細な地獄にいたのだ。その目を通して諦めを見尽くしてきて、自身すらもそれに飲み込まれそうになり、いや、飲み込まれたことも一度はあったのかもしれない。それでも、その一線を越えたとしても、さらにそこから帰還する。そうして今の彼がここにいることに、その目を通して気が付いた。


 それと同時に、あのころの自分が、いまようやく死んだことに気づいた。五年も抱え続けた、あのころの気持ちを埋葬することの良し悪しはわからない。しかし、あのころの気持ちを忘れずに思い続けることは、地中に埋めても、燃やし尽くしたあとでも可能なのだ。足りなくなった足のパーツを探しに事故現場へ戻ることもなくなった。その代わりに、まだ燃え続ける遺体に触れて、あのころの熱を思い出すことを始めた。ふがいない結果ばかりの日々、悔しさとともに燃え上がる情熱とともに、あのころの自分が死に、それでもなお、思いはに残り続けている。

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首の太い婆 大沼史尾 @oonumasio

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