第6話 不意を打つ者たちⅡ
リィン、と鮮麗で透き通った音が鳴った次の瞬間には、光線は私の身体を貫いていた。痛みの余波は電流のように全身を伝い、左手の指先がわなわなと痙攣した。
「ぐっ、ああ……!?」
今までに体験したことがない、肉を焼き貫かれる感覚に、私は思わずその場に頽れてしまう。訓練用のゴーレムとは何度も戦ったけど……鈍痛と刺通でここまで違うとは思っていなかった。
患部に手を遣ると、出血量はあまり多くなかった。光線が高温だから、傷口が爛れて結果的に止血の効果を果たしているのだ。
「あんたって本当に馬鹿よね」
跪く私を裁定するような厳かな佇まいで、ハナニラは侮蔑を滲ませた視線で射貫く。
「せっかく自由の身になったのに、普通に生きないで
「―――っ!」
その名に耳朶を打たれた時、まるで天啓を受けたかのような衝撃に見舞われた。
ああそうだ。
左肩に蟠る痛みのことなんかすっかり忘れて、私は真に迫った姿勢でハナニラに尋ねる。
「アネモネ……そうだ、アネモネは!? あのとき、ハナニラたちと一緒に連れて行かれた、アネモネは今どこに……!」
五年間、自分の中で何度も反芻してきたその名前を私は叫んだ。
自分が逃げるのではなく、衰弱していた私を優先して逃がしてくれた彼女の名前が、身体の内で快く反響する。そんな私にハナニラは、まるで致命的な罠を踏んだ獲物をねめつけるような、寧悪な勝利者の笑みを見せた。
そして、口角を吊り上げたその半月から、残虐な言葉が吐き出される。
「あんなやつ、とっくの昔に死んでるわよ」
……なにを言われたのか……少し、全然、理解らなかった。
否、理解したくなかった。
「…………ぇ」
空気が漏れるように、たった一音だけが音になる。
「だから、あんたがここに来る何年も前に死んだって言ってんのよ」
五年も経ってもなお、ずっと鮮明だったアネモネの顔が、急速に褪せていく―――。
『待ってるからっ!』
『ずっと信じて、待ってるからっ!』
アネモネの声が段々と、滲むように揺らぎ出す。触れ合った温かい記憶が感傷に犯される。
いつの間に雨が降り出したのか、私の頬を雫が伝った。
「……うそ」
かろうじて音になったのは、現実を拒絶する逃避紛いの言葉だけだった。
「本当よ」
「……そんなの信じない……! アネモネはきっと生きてるッ!」
何の根拠もなく否定する私を、ハナニラは攻撃性を多分に含んだ目で睨みつけた。
その目は、
さも気に食わないと言いたげな――。
「そう……なら、あの世に行って自分で確認してくれば?」
ハナニラの周囲に従いていた『五芒星の花』が急速に光を溜め、充填の完了と同時に発射された。さきほど撃ち抜かれた反省から『夜空』を深めていたものの、侵食しきれなかった衝撃に身体は浮き、車両に撥ねられたかのように転がった。
「ぐっ……!」
追撃を掛けられる前に私は復帰し、『夜空』が投影された四本の腰帯をハナニラに伸ばした。しかし差し迫った私の腰帯は『五芒星』の包囲射撃に撃ち落とされ、続けて『五芒星』は第二射の発射準備に入った。
呑まれそうになるペースを奪い返そうと、私は地面すれすれの超低空飛行で肉薄する。
(腰帯だと『五芒星』の光線に止められる……どうにか近づいて、ホウキで……!)
そんな、あれこれ考えられる余裕はすぐに消し飛ばされる。
『五芒星』が湛えていた光が、万物を灼き滅ぼすような眩い赫色に変化した。中心に収束した膨大な光は、抑圧された反動で増幅するように、十字状に光条を伸ばす。
(攻撃方法が変化した……!? 誘い込まれたんだっ!)
ハナニラの口から、宣告のような冷たい詠唱が吐き出される。
「――――
赫い閃光が迸り、視界が染め尽くされたと同時に強烈な爆発に襲われた。
絨毯爆撃のような、連続して破裂する火炎が衝撃波を伴って全身を打ち付ける。周囲の建物を倒壊させて、私の身体を本道である中央通りまで吹き飛ばした。
「ああああっ……!」
「きゃあああああああああ!」
まだ幼い少女の悲鳴が、困惑していた私の意識を劈いた。
首と眼球を動かして下方を見る。
爆発で飛散した瓦礫の落下先は、たくさんの人が行き交う歩道だった。
人の頭蓋骨を砕くに十分な硬度と重量を持った大小様々な瓦礫が、ただ重力に身を委ねて、歩道にいる人たちに向かって降下する。このままでは、死傷者が出ることは確実だ。
「くっ……! 絶対に、させない――!」
焦燥感で加速する思考は即座に最適解を導き出し、ほぼ本能的に腰帯を翻した。二秒にも満たない僅かな間隙で、私は人命を奪える可能性のあるサイズのものを全て侵食し消し去った。
やった、と喜ぶのも束の間、爆風による慣性を
「くうっ、あぁ……!」
苦悶の声を吐き出しながらうずくまるも、ハナニラの飛行音が聞こえ、すぐに起き上がる。
私が顔を上げた時には、既に『五芒星』は第三射を放っていた。体調に比例して動きが緩慢になった腰帯を、盾のように配置する。
だが、私の三倍も手数のあるハナニラの光線を全て防御するのは、流石に不可能だ。夜空色に染まる腰帯の防御網を突破した光線が、パンタグラフや車輪周りを破壊する。
がくん、と何かが切り替わったように列車が揺れ、急激に速度は上昇し始めた。モンブランのようなウィーンの傾斜に列車は身を任せて加速する。
自分の立っている屋根を見ると、丁度、運転席あたりに風穴が空いている。弾丸に穿たれたような穴から見える運転席では、血に濡れた速度メーターを残して、運転手が消えていた。
さっきの光線が、路面列車の動力機構を運転手ごと撃ち抜き、ブレーキが作動しなくなったのだ。
「このままじゃ……!」
路面列車が走る線路を目で辿った先には、多くの観光客が行き交っている駅があった。減速していない今の状態で行けば、駅前で曲がり切れずに横転し、そのまま駅構内に突っ込むことになる。
ウィーンの急速な斜面は列車の速度を煽り、減速の気配を取り払う。生き残った僅かな減速機構が作用するが、車輪は鉄を溶断するような火花を撒き散らし、耳を劈く高音をけたたましく鳴らしながら加速を続行させる。
列車の速度に応じて私の焦燥感は増幅し、それに拍車を掛けるように、ハナニラは第四射を放つために『五芒星』に煌々と光を充填させた。
(いったい、どうすればいい……!?)
路面列車を止めるなら、すぐにでも始めなければ間に合わないだろう。駅前にいる人は勿論のこと、今現在この列車内にいる人たちも危ない。
減速に腰帯を割くことで発生するデメリットは……ハナニラの攻撃を防げなくなることだけ。
そう、私が傷つく――たったそれだけで済むんだ。
答えさえ導き出せれば、あとは逡巡も葛藤もなく決断することが出来た。
私は折れたパンタグラフに腰帯を二本巻き付けて、もう二本を地面に打ち付けてブレーキを掛け始めた。『夜空』の腰帯に削られたレール周りの地面が隆起し、砂煙が雪崩のような勢いで立ち上がる。
ハナニラが溜め込んだ光線を一斉に放った。
飛来した光線群は
痛みと出血で視界が明滅し、生命維持すら限界に近づいたことで魔術も不安定になり出す。
肉体は明々と告げている。もう魔術を使うことすら危ういと――このままでは死ぬと。そう告げている。
それでも、私は―――っ!
「……ッ! 止まれえええぇぇぇぇっ!!」
喉の奥から這い上がってくる鮮血を口の端から垂らしながら、私は肺腑を震わせて叫んだ。
人間の魔力は、食事や睡眠などの人間的活動によって回復する。しかし、人間の情動もまた、人間的活動の一つに他ならない。
膨れ上がった私の感情を糧として、身体の奥底から魔力が溢れ出す。
戦う意志が、強い感情が、叶えたい想いが――魔術という形で具現する。
ついぞ列車は、駅前のカーブに差し掛かるまでに停止することはなかった。
それでも――転倒してしまわない程度までには減速し、脱線は無事に回避された。
安心した心に応じて、パンタグラフに巻き付けていた腰帯が緩やかに解けた。それによって、カーブした際の慣性に煽られて、私の身体は屋根の上から堅い石畳の上に放り出された。
水に浸した雑巾を落としたように、地面に投げ出された私の身体からは血が飛散した。周囲から聞こえてくる悲鳴が僅かなのは、私の聴覚が機能する余裕もなくなっているからだろう。
「……っ!」
身体が重い。目を開けておくことすら怠い。考えることが億劫で、息が吸いづらい。今にも眠ってしまいそうだった。
休息と治療を要求する身体に鞭打って起こす。私の前に、ハナニラが悠然と降り立った。
その目は、正気を疑うような侮蔑で細められている。
「あんたって、そんな性格だったっけ? 昔はもっとマイペースで、ボケっとしてなかった?」
「……ハナニラは、変わらないんだね……っ」
かろうじて立ち上がりはしたけど、もはや直立していることすら出来なくなっていた。上半身が前のめりになって、敵を斬るためのホウキは、今や歩行を支えるための杖となっている。
「変わったわよ、あたしは」
私が発した「変わらない」という言葉が癪に障ったのか、ハナニラは不愉快そうに眉を顰め、
「あたしはもう、搾取されるだけの無力な
『五芒星』が私にとどめを刺そうと、魔力を装填した。
「―――ッ!」
私は
私のすぐ横を、光線が通過した。
こんな死に体で使う『夜空』に光線を防げるだけの機能はないが、目隠しくらいにはなるだろう。ハナニラの視線を遮った私は、逃走経路を求めて周囲に視線を巡らせた。
……しかし、路面列車の逆走の際に、駅前にいた人たちはみんな避難していた。だから人に紛れ込むことは出来ないし、陸走列車に乗り込んでも、ハナニラによって追撃を受けるだけだ。
逃げ場が、どこにもなかった。
「くっ……!」
誰も巻き込まずかつ、自分が助かる選択肢を見つけられず、私は目的地もないまま走り出す。次第にホウキを持つ体力も失われ、勝手に手から滑り落ちた。トリシエラから受け継いだ大切なものだったけど、命の存続を求める本能が勝手に足を進ませた。
左側に流れている大きな川は、空を埋める曇天をその身に映し、穿たれて波紋を広げ出す。
雨が、降り出したのだ。
ぽつぽつとマイペースに降り出した雨は、瞬く間に強くなり、私の髪を濡らして肌に張り付かせる。服が濡れたことで重みが加わり、負担を受けた足元は酩酊しているよりも覚束ない。
ぱしゃっ、と水たまりを踏んだ音がした。
見ると、『五芒星』を付き従えたハナニラが、観念を催促するような真に近い表情でこちらを見ていた。
本能が諦観でもしたのか、自然と私の足も止まった。雨の音が、妙に耳障りだった。肌に張り付く濡れた
「鬼ごっこは終わりよ、ミモザ」
罪人の名前を呼ぶように、ハナニラは厳かに言い放った。
死に瀕してもなお、敗北を認めず目を屹然と細める私を見て、ハナニラはただ『五芒星』に光を充填させた。そこでふと、ハナニラは思い出したかのようなわざとらしい笑みを浮かべた。
「ああでも――あの世に行ってもアネモネとは会えないわよ」
言われたことの意味が一瞬、よく理解できなかった。
だってそれじゃあ、まるでアネモネが――。
「アネモネはまだ、生きているんだから」
「え―――」
困惑と絶望に呆けた私の顔を見て、ハナニラは寧悪に嗤った。
光線が放たれた。石畳を砕きコンクリートを溶かす高熱量の光線は、私の心臓を灼き貫いた。身体は背後にあった川に投げ出され、浮遊感と共に曇天を見上げる。
あね、も、ね…………―――。
手を伸ばしたところで雲を掴めるわけでも、想いがアネモネに伝わるわけでもない。
私はそのまま川に落下して、水底に沈んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます