第5話 不意を打つ者たちⅠ

 警察署は屋敷のような風情がある、象牙色の立派な建物だった。出入りしているのは警察官のみならず、失くしものを尋ねに来た観光客然とした人もいる。受付窓口にもかなり人がいて、待っている時間も惜しい私は、玄関口で静かに立っている見張りの警官に魔女徽章を見せた。

 魔女の身分証明書であるそれを見た警察官は、豆鉄砲で撃たれたかのように目を白黒させて、私と徽章に視線を往復させた。それから「少しお待ちください」と言い残すと、廊下を走りどこかに行ってしまった。

 数分後、先ほどの警察官が一人の婦警を連れて帰って来た。燃えるような赤い髪色の婦警の胸には、地位の高さを窺わせる金色の徽章が付いている。

「私がここの警察署長、ヒルダ・アーベントだ。会えて光栄だよ」

「サヨ・ノーチラスです。ライ……昨日の異端者に話を聞きに来ました」

「そうだろうと思っていた。では裏へ行こう」

 ヒルダさんに案内されながら、私は署内の奥の方へと足を進める。廊下を三度曲がりドアを二つくぐった頃には、辺りには民間人どころか警察官も見当たらなくなっていた。

 もう誰にも聞かれないと考えたのか、ヒルダさんは前を向いたまま話し始める。

「君が昨日捕縛したライエという花師ガーデナーは――」

「ヒルダさん」

 私は足を止めた。

「―――いいえ、ヒルダ・アーベント」

 審問するような冷たく厳しい声音に諫められ、ヒルダさんも足を止めてこちらを振り返った。その表情は相変わらず一切の変化がない真顔だったが、その目には身構えるような警戒心が息を潜めている。

「警察署長は、花庭園ガーデンの関与が疑われる誘拐事件の発生時には、弾劾戦線リアフロント異端審問官インクイジターの要請をすることが義務付けられているはずです。私たちがウィーンに花庭園ガーデンがあると踏んだ理由は、別のところにありますが――大学生が話のタネにするほどの規模のものを、あなたはどうして、弾劾戦線リアフロントに報告しなかったんですか」

 異端審問官インクイジターには、民間企業や地域団体への資料請求権、また警察などの国家組織に対する(ある程度の)捜査協力の強制を執行する権利を有している。さすがに、異端審問官インクイジターが警察署長の罷免権利までは持ち合わせていないが――今回の件を弾劾戦線リアフロントに報告すれば、ヒルダさんが罷免される可能性は十二分にある。

 ヒルダさんは静かに見つめ返していたけど、諦めたように目を伏せた。

「……そうだな。弾劾戦線リアフロントに要請しなかったのは、完全に私のミスだ。まさかこの街に花庭園ガーデンがあるとは夢にも思っていなかった」

「一般人がウワサするほど、被験花ひけんかの調達が行われていたのにですか?」

「たしかに三年前――私がウィーン警察署長に就任する前までは――現地住民や観光客の子どもが誘拐される事件が起こっていたそうだ。だがそれらの事件は全て解決済みとという報告を受け、資料にも花庭園ガーデンの関与の可能性はゼロだと記載されていた」

「……つまり、ヒルダさんよりも前からウィーン警察にいる誰かが、花庭園ガーデンに内通しているということですか?」

「信じたくない話だがな。さらに言えば、前署長が関与していたことも考えられるだろう」

 ……たしかに、前署長が花庭園ガーデンと内通していたとすれば説明がつく。

 警察署長がヒルダさんに代わる時に、自分がこれまでしてきた汚職を全て片付けてから去ることは十分に可能だろう。後は、自分が築き上げてきた情報網や花庭園ガーデンとの関係性を、同じ意志を持っていた部下に引き継がせればいい。いざとなれば、ヒルダさんに責任を負わせられる。

 警察が花庭園ガーデンと内通している可能性は高いが――たぶん、ヒルダさんじゃないのかも。

「しかし、警察署長である以上は何を言おうと言い訳だ。弾劾戦線リアフロントからの罷免も受け入れよう」

 前方に見えてきた所長室を名残惜しそうに見つめ、ヒルダさんは残念そうに囁いた。過ちを咎められる子どものようにしおらしく肩を小さくしている。

「あ……いえ、まだ決まったわけでは……。それに、内部調査は行われても、いきなりヒルダさんが罷免されたりはしないと思いますし……」

 私が慌ててフォローするように付け足すと、ヒルダさんは安堵したように息を吐き、口の端を上げた。

「それはよかった。まだ後処理も残っているからな」

 案内されてやって来たのは、署内の奥まったところにある署長室だった。出入口の扉の正面には窓ガラスがはめられ、日差しが室内に入り込んでいる。置かれている調度品はウィーンの文化を感じさせる物で揃えられ、ワインレッドの絨毯がそれらの品性を佳く魅せている。

「いま部下が事情聴取の準備をしている。それが終わるまで、お茶でも飲んで待っていてくれ」

 視線で促され、私は部屋の真ん中に置かれた来賓用のソファに座った。

「君は冠号エイリアスを持っているそうだな。徽章に宝石が付いていたという」

 かちゃかちゃと、お茶の準備を進めるヒルダさんが思い出したように言った。

 冠号エイリアスは、実力を示し功績を上げた魔女にだけ与えられる称号のようなもので――トリシエラは〈真夜中の魔女〉という冠号エイリアスを持っている――それを持っている魔女の徽章には宝石がはめ込まれている。私の徽章を見た部下から、ヒルダさんは聞いたのだろう。

 称揚するように言われ、私は照れを誤魔化すように頬を掻いた。

「あはは……でも、私が冠号エイリアスを持ってるのは、トリシエラの後継者サクシードだからってだけの理由だから、実力も実績もないですよ」

 ヒルダさんは昨晩のネリネのように、少し言葉にするのを躊躇ってから口を開く。

「顔があまり似てなかったから、私の考えすぎだと思っていたが……もしや君は、弾劾戦線リアフロントの元先導者、トリシエラ・ノーチラスの娘か?」

「血は繋がってないですけどね……って、なんでヒルダさん、トリシエラのこと知ってるの?」

 確かにトリシエラの名前は、魔女の中では知らない者はいないだろう。でも、秘密裏の業務遂行が望ましい弾劾戦線リアフロントの在り方から、トリシエラの功績は一般には知られていないはずだ。

 共通の話題を見出したかのように目を輝かせる私を見て、ヒルダさんは苦笑した。

「こう見えて私は元々、侵攻戦線オーヴァーフロントの魔女だったんだ」

「えっ! そうだったの?」

「もう七年も前の話だがな。私がトリシエラを見たのは、北欧の接界点ポータルに現われた『極星王』との戦いの時だ」

「『極星王』……それって、トリシエラが北欧の接界点ポータルと一緒に滅ぼしたっていう異生命のことだよね?」

 ヒルダさんは小さく頷いた。

「『極星王』は、その小さな身体に絶大な力を内包していた。距離を省き障害物を透過して視る千里眼。それに互換して力を発揮したのが、視認した対象を必ず穿つ聖槍。……こちらがどこに隠れていようとも奴の千里眼に視つかり、その数秒後には串刺しにされるんだ。トリシエラがいなければ、あの戦いは『極星王』による一方的な殺戮となっていただろう。

 ……ふふっ。北欧の接界点ポータルを消した代償が、恒久的な夜が続く『閾夜きょくや』だけで済んだんだ。つくづくトリシエラ・ノーチラスには驚かされるよ」

 美しい絵画を思い起こすように、ヒルダさんは声を柔らかくして弾ませた。お茶を用意する後姿しか見えないけど、きっとその表情もまた綻んでいるに違いない。

「トリシエラは今、どうしているんだ? 彼女のことだから、きっと今も世界中を駆け回って花庭園ガーデンを潰し回っていることだろうが」

「あ……」

 この場で膨張していたトリシエラのイメージ象が段々と萎んでいくような、寂しい錯覚が私の中で起こった。ヒルダさんの憧憬を霞ませないか心配になったけど、嘘を吐くわけにもいかないので、正直に言うことにする。

「トリシエラは……『極星王』との戦いが終わった後、魔力炉心に傷を負ったみたいで……今はもう、戦えないみたい」

 動かしていた手を止めて、ヒルダさんは静かに息を吐き出した。

「…………そうか。だから後継者サクシード、か」

 幼少期に見た美しい絵画が褪せてしまったように、ヒルダさんは寂しそうに呟いた。

 彼女の中にあるトリシエラのイメージは変わらないが――そのイメージはもう、いま生きているトリシエラからは乖離してしまったかもしれない。

「『極星王』との戦いで……私と同じだな」

 自分の古傷を愛おしそうに撫でるように、ヒルダさんは鷹揚に呟いた。

 こんこん、と扉がノックされた。入って来た婦警の一人がヒルダさんに耳打ちした。

「……わかった。では外で待機していろ」

 婦警が出て行くと、ヒルダさんは私の反対側のソファに腰を下ろした。トレイの上から紅茶の入ったティーカップが机に置かれる。

「聴取の準備が出来たそうだ。まあ、せっかく入れたのだから飲んでいくといい」

「はい。ありがとうございます」

 紅茶の中では、雲のようにミルクが揺らめていた。

 口元まで運ぶも私は猫舌なので、ふーふーと息を吹きかけて冷まそうとする。外で待機って言ってたし、あんまり待たせるのも悪い。

「君は、どうして異端審問官インクイジターになったんだ?」

 さっきまでとは一転、非情で厳しい調子でヒルダさんは私に尋ねてきた。

「どうしてって……花庭園ガーデンに囚われてる友達を助けたいからです。あとやっぱり、トリシエラに憧れてるから」

「……そうか」

 紅茶を唇に触れさせると、ほんの少しだけ冷まされているような気がした。どうにか飲めそうだと思ったので、少しずつ口に含んでいく。

「こんな風には思わなかったのか? 花庭園ガーデンは異生命を倒すために組織されたのだから、本当に世界のためを思うなら、異端審問官インクイジター花庭園ガーデンに構ってないで異生命と戦っているべきだと」

 いったい何の話を……そう疑問が浮かんだのと紅茶を呑み込んだのは、同時だった。

「お前たちは、無駄なことをしていると」

 喉の奥で雷が弾けた。

「かぁっ……!?」

 声にならない悲鳴を上げて、私はティーカップを落とした。静かな室内に破砕音が響き、私の服を紅い飛礫が鮮血のように彩った。

 自分で自分を扼殺するかのように、私は喉を両手で抑えながら床の上でのたうち回った。

 喉の奥で蟠り、止むことなく連続する雷撃のような激痛に、持って来ているホウキで自分の首を斬り落としたい衝動に駆られる。次第に痛みは嚥下されていき、身体の奥まったところ、食道や胃が蹂躙され悲鳴を上げるように痙攣が始まった。

 紅茶を飲まず机の上に置いたヒルダさんは、ソファから立ち上がると、苦痛で見悶える私の腹部思いっ切り蹴飛ばした。

「ぐあっ……!」

 咳込んだものの、喉奥に居座り続ける痛みは消えてくれない。むしろ、咳込むことによって助長された。

「本当に馬鹿な女だ」

 つまらなさそうに私を見下ろすヒルダさんの視線は、私を透過して、スイスの森の中にいるトリシエラを見ているようだった。

接界点ポータルを一つ潰せるだけの力を持っていたのに、花庭園ガーデンに執心するだなんて」

 さっきまで正義と矜持が湛えられていたヒルダさんの瞳が、紅茶の底のように昏く濁っていく。

「どのみち、異生命を打ち倒せば花庭園ガーデンは解散されるんだ。だったら弾劾戦線リアフロントなんかに居ずに、侵攻戦線オーヴァーフロントで異生命と戦うべきだろう?」

 反論したいという想いも、発声を妨げる痛みに屠られた。

 自分と同様に床に寝転がるホウキを握りしめ、私は這って扉の方に進む。段々と脳の真ん中あたりが痺れ出して、断続的に思考が妨げられ出した。

花庭園ガーデンを潰す行為は、自国を売り渡すような裏切りだと思うが――彼女は最後まで、それを理解できなかった。それだけが、本当に残念だよ」

 逃げるアリを追うような悠然とした足取りで、ヒルダさんは私に歩み寄って来る。

(……早く、普遍魔術で毒を消さないと……!)

 解毒の魔術を発動させるために、私は聖書の一節を諳んじようとして――気づく。

 自分が声を、単語すら発せなくなっていることに。

「声が出せないだろう?」

 嘲るようなニュアンスを包含し、ヒルダさんは高圧的に言った。

「異生命によって植生が変化した、東南アジアから仕入れた痺雷しびらい百足むかでの毒だ。人間の発声器官を完全に麻痺させるから、自分では普遍魔術による解毒は出来ないぞ」

(そういうこと……!)

 普遍魔術には、詠唱を省いて発動する略式詠唱という手法があるが――発声が出来ない状態であるなら、それは省略対象である詠唱も存在しないことと同義になる。

 つまり発動に際して、「詠唱しない」ことは許されても、「詠唱できない」状態は許されないということだ。言霊とはよくいったものだ。

 普遍魔術による解毒も出来ず、立ち上がれるだけの体力と気力も削ぎ取られた私は、惨めに床に這いつくばることしか出来なかった。

「私も北欧での戦いで傷を負っていなければ、侵攻戦線オーヴァーフロントで戦い続けたが……今の私では、足手まといにしかならない。だから花庭園ガーデンの援助という形で、この世界に貢献しようと考えたんだ」

 天啓のように、私の頭の中に「北欧」という単語が過った。

 まだ、可能性はある。

「……自傷か?」

 床に這いつくばっていた私が自分の左手に噛みつく様を見て、ヒルダさんは困惑したように声を漏らした。

 だから、私が続けざまに、血塗れになった手でカーペットを引っ掻き出したのを見て、ついに錯乱したとばかり思っただろうし――私の手が止まり、同時に私の意図を察知した瞬間には、急激に増幅した焦燥感でヒルダさんは叫んだ。

「これは――ルーンか!?」

 かつて北欧で使われていた、文字を起点として魔術の発動や組成を行う秘文ルーン魔術。

 血によって描かれたルーンは即座に発動。私の体内を侵していた激痛と毒は、潮のように引いて消えた。

「―――いざ紐解かんリーディング!」

「くっ……! 待機班、全員入って来い!」

 勢いよく扉が開け放たれ、剣や手斧など霊装で武装した警察官たちが突入して来る。ヒルダさんの息が掛かった彼ら彼女らに捕まれば、生きて帰ることは無理だ。

 その内の一人が、セーフティを外した魔銃のトリガーに指を掛ける――。

「―――【夜夜の天際ファーゼストナイト】!」

 撃ち出された弾丸は、私が身体に纏った『夜空』のローブにあたって消滅した。

 帯状になった四枚の『夜空』を私は室内で暴れさせる。元魔女であるヒルダさんは余裕ある態度で躱し、警察官たちは見慣れない固有魔術の攻撃に怯んでいる様子だった。

 場を混乱状態に陥れた私は、署長机を踏み台にして、窓ガラスを身体で割り外に飛び出した。

 全身に掛かる重力と浮遊感に身体を持っていかれないように意識しながら、三階から受け身を取って着地する。しかし、十メートル以上も高い位置かの自由落下は、さすがに無傷とはいかない。立ち上がろうとした途端に、地面に打ち付けた全身が鈍く痛み、私は顔をしかめた。

 今の私は、黒衣箒ローブルームに『夜空』を投影しているのではなく、ローブ状に形作った『夜空』を身に纏っているに過ぎない。つまり、飛行能力が皆無だった。さっきの状況下では、一度黒衣箒ローブルームを纏った後に【魔術書】を紐解くリーディングしている余裕もなかったのだ。

「あそこだ! 撃てェ!!」

「―――っ!」

 身体を撃ち抜かれる未来図が脳裏を過り、私は身に纏っていた『夜空』のローブを脱ぎ去り、頭上にばさりと広げた。傘のように私の全身を覆い隠したローブが降り注いだ弾丸を『侵食』し無力化する。

「今のうちだ……! 形相回帰リカレンスエイドス!」

 詠唱に応じて、私の身体に妖しい輝きを帯びた黒い粒が纏わり、黒衣箒ローブルームの形に変化した。

「抽出――再投影!」

 弾幕を防ぐ傘になっていた『夜空』のローブが、輪郭を崩壊させた。霞のようにたなびいた『夜空』は、そして私に憑りつくように黒衣箒ローブルームと一体化する。これで通常時の状態に戻った。

「早くネリネのところに行かないと……っ!」

 巨大な化物に睨まれているかのような威圧感を背後に感じながら、私は低空飛行で警察署を後にする。

 警察署長が花庭園ガーデンと繋がっているということは、多くの警察官がそれに関与している可能性が高い。私の暗殺に失敗したヒルダさんが、何の事情も知らないネリネの元に部下を派遣して毒殺することだって十二分に考えられるし――絶対にライエは、昨日の内に逃がされている。

 ウィーン警察が花庭園ガーデンと癒着していることを、すぐにでもネリネに伝えないと……。

 逸る気持ちに背中を押される私の前に、黒衣箒ローブルームを来た魔女が一人、現れた。

 こんな街中にいる魔女は、異端審問官インクイジター花師ガーデナーの二択――状況から見て確実に後者だ。

 その彼女が、ゆっくりと顔を上げて――。

「…………え」

 郷愁と猜疑が溶け合ったこの気持ちに、もっと近しい言葉はたぶん――当惑だ。

 一刻も早くネリネの元に駆けつけないといけないのに、気づけば私は飛行速度を落として、彼女の前に着地していた。身体に重く圧し掛かる運命的な引力が、私にそうさせたのだ。

 華麗なウィーン街並みは杳然と遠くなり、世界で私と彼女が二人きりなったかような隔絶感に包み込まれながら、私は自分の正気を疑うように目を開ける。

「なんで……ううん、ほんとうに……ハナニラ、なの?」

 かつて――私と同じ花庭園ガーデンにいたハナニラが黒衣箒ローブルームを纏って、そこに立っていた。

 長かった藍色の髪は短くなり、琥珀のような瞳は怜悧な情調を孕んでいる。しかし敵対者を威嚇するような鋭い目つきは、被験花ひけんかだった時のままだ。

 そうして、相も変わらず私のことを睨んでいる。無力な被験花ひけんかではなく、私の敵対者として。

「あんたが花庭園ガーデンを去って以来だから――五年ぶり、でいいのよね。ミモザ」

 五年前までの私の名前を――被験花ひけんかとしての私の名を、ハナニラは音にした。

 思考がハナニラ本人だと告げているのに、心は未だ理解が追い付かずにいる。しかし過去を照応するような問いかけに、彼女が紛れもなく――同じ境遇で寝食を共にした、同郷者であることが如実に示された。

 運命的な再会による衝撃と、理解しきれず蟠る緊張感に、私は声を震わせながら尋ねる。

「その黒衣箒ローブルーム……なんで、被験花ひけんかだったハナニラが……」

 問われ、ハナニラはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

「世代交代ってやつよ。見込みのない被験花ひけんかは、次の被験花ひけんかを育てる花師ガーデナーになるっていうのが花庭園ガーデンでは当たり前なの。まあもっとも? あたしに限っては力づくで奪い取ったんだけど」

 ハナニラは誇らしげに顎を少し持ち上げ、優越感で口の端を半月状に吊り上げた。雰囲気というか佇まいというか――傲然と漏れる尊大な自信が、ハナニラの姿を私に大きく見せている。

「じゃあ本当に……」

 警戒心を高めて身構えた私に、ハナニラもまた瞳から温度を消し去っていく。

「ねえミモザ。あたしはウィーンの花庭園ガーデンを管理する剪定者プルーナーとして、ライエのミスを消す必要があるのよ。だから――恨むなら、異端審問官インクイジターになった馬鹿な自分を恨みなさい」

 ハナニラの背後から『五芒星の形をした花』が複数個、姿を現した。宙に浮かぶ『五芒星』たちはハチドリのような素早い動きで陣形を固めると、その身を風車のように回転させて中心に赤い閃光を湛えた。

 全身から気力が抜け落ちていくような、敗北感という言葉が近しい感覚が私を襲った。

(光属性の魔術っ!? やばい、私の夜属性のじゃ―――)

 動揺で魯鈍になった私の思考を置き去りにして、光線は凛麗な音を響かせて撃ち放たれ――『夜空』の侵食防壁を容易く突破して、私の左肩を貫いた。



 重そうな鉄色をした雲は、青空を完全に覆い隠して雨を降らす準備を終えていた。街灯が必要になりそうな灰の帳が街には下ろされており、もう少し暗ければ、夜になったかも分からなさそうだった。

 自分の方も早く買い出しを終えようと、ネリネは少し早足で市場を進んでいた。

 とはいえ、頭の中を巡っていたのは、任務のことなどではなく――サヨのことだった。

 銀河鉄道の夜のストーリーを聞いて、ネリネは美しいと思う以上に物悲しいと感じた。自分の命を犠牲にしてまで――友達や恋人ならまだしも――意地悪なクラスメイトを助けるなんて、とてもじゃないけど共感できない。

 だって、他人のために自分を犠牲に出来るその人は、誰からも守られていないじゃないか。

 優しさは求めるものではなく差し出すもの――でもそれは、お互いに差し出し合うことで成立するに過ぎない。

 誰かの幸せのために自分を犠牲にするカムパネルラが思う「幸せにならないといけない人」の中には、カムパネルラ自身は入っていないのだ。……いや。きっと、誰かのために死ぬことそれ自体が、カムパネルラにとっての幸せなのだろう。

 ならば、そんな生き方をするトリシエラに憧れる、サヨの心は、何を想ってるのだろう……。

 あのとき……サヨが「トリシエラみたいで好き」と言ったときの貌が、サヨがどこか遠くに行ってしまいそうな予感をネリネに与えた。

 だから、サヨが好きな『銀河鉄道の夜』を読んでみようと思った。少しでも、彼女のことを知りたくて。

「……ううん。今は、任務に集中しないと」

 サヨと自分、二人分の私服は既に買い終え、腕に抱えて旅館に持ち帰った後だった。なので、両手は空いていた。

 わざわざ荷物を一度置きに戻ったのは、これから買うものが、万が一でも紛失したり取扱を誤ることがあれば、人命に関わる大事になるかもしれなかったからだった。食料品と手榴弾を一緒に運ぶ人なんていないだろう。

 市場から程近い場所にある集合住宅街。そこの一区画に設えられた、地域住民に親しまれている商店街にネリネはやって来た。市場ほどではないにせよ、それなりの人で賑わっている。地域住民は観光客で溢れる市場よりも、こちらの方が利用しやすいのかもしれない。

 ネリネが足を止めたのは、小奇麗なランプ専門店だった。ショーウィンドウには様々な種類のランプが並んでいる。古めかしいアンティーク調のものや、アジアンテイストのカラフルなものなど、方向性の異なるランプが互いの特徴を引き立て合うようにして飾られていた。

 ネリネは手すりを握って、ゆっくりとドアを開けて中に入る。

 からんからん、という客の入店を知らせる淑やかな音が、静かな店内に響いた。

 店内には窓がなく日差しは一切入ってこないが、それはランプを佳く輝かせるために意図的に行われているのだと、店内の様相を見てネリネは理解した。

 棚に並べられ、壁から吊り下げられているランプたちが、ひそやかな暗闇に包まれる店内を幻想的に彩っていた。歩く度に鳴る靴音は、ランプに反響すると華麗に装われる。どこからか微かに聞こえるオルゴール音が、この場に滞留する妖しさをいい意味で引き立てていた。

 少し狭い通路を進み奥に行くと、カウンターの前で店主が椅子に座っていた。何か本を読んでいるようで、顔に付けられた眼鏡のレンズには、ランプの彩が綺麗に反射している。

「いらっしゃい。何か欲しいものはあったかい」

 ネリネは何も言わずに、店主の前に魔女であることを示す徽章を置いた。

 代金だと思って目を向けた店主は、それが魔女徽章であることと認識すると、大きく開けた目でネリネを瞠めた。

「……異端審問官インクイジターか」

 魔女徽章に彫刻された夜鷹のデザインは、弾劾戦線リアフロントに属する魔女であること――異端審問官インクイジターの証明証だった。

 ここは霊装補遺店――異端審問官インクイジターが霊装を現地調達するために利用する、弾劾戦線リアフロントが世界中に設置している霊装の提供所だ。

 一般店舗にカモフラージュされているため一般客も利用するが、その実は、殺傷能力が一定基準を超えた攻性霊装や、一般では流通していない霊器素材を異端審問官インクイジターに提供してくれる。この霊装補遺店のおかげで、異端審問官インクイジターはホウキ以外の霊装を持ち歩く手間を省けているのだ。

 ネリネはポケットの中から、サヨと相談しながら羅列した物資のメモを差し出した。それを受け取った店主は、近くのランプを手元に持ってきて文字を照らし出す。

「必要なのは……零器素材が『氷籠血晶』『瑣瑣竜骨』『固定小核』『偽装炉心』『冬の残響』で、霊装が『似衝壁』を十個と『堤防毛布』が三十枚。それと…………魔銃?」

 用途が分からない霊装で目を止めて、店主は低い声で呟いた。

「型は?」

「ショットガンです」

 多人数に対して殺傷能力の高いものを挙げたネリネは、糾弾するような目を向けられた。

「『瑣瑣竜骨』と『固定小核』が必要ってことは、スケルトンを合成するつもりだと思うが……あれはゴーレムよりかは精密でも人間ほど繊細じゃない。ショットガンなんか持たせたら、被験花ひけんかごと吹き飛ばすぞ」

「いえ、それは錯覚用です」

「錯覚用?」

弾劾戦線リアフロントからの増援が間に合わなかったら、警察とわたしたちだけで戦うことになります。そのとき、花師ガーデナーの退路にそれを置いて『警察官がそこにいる』と思わせるんです」

「……なるほど。人員を裂かずに『ここもダメだ』と錯覚させて、退路を一つ潰すのか」

「はい。ブラフだって気づかれても、多少の時間稼ぎにはなるはずです。なので魔銃は、遠隔操作術式を組成できる準加工性にしてください」

「……わかった。そこで待っていてくれ」

「わ、わかりました……?」

 ネリネは指示された場所――部屋の真ん中に立ち、店主が霊装の準備をしてくれるのを待つことにする。椅子に座るように促すわけでもなく「立ったまま待て」と言われるとは思っていなかったので、少々困惑してしまった。

 自分の両脇に佇む背の低いガラス棚を、ネリネは茫然と眺めていた。杳々と光るランプを眺めていると、時間の流れがひどく緩慢になった気がした。

「……娘がな、ウィーンの外にある線路近くの草原でいつも遊んでたんだ」

 ふと懐かしむように、店主は椅子に座ったまま小声で話し始めた。

「妻も一緒だったから、てっきり大丈夫だと思っていたんだ……」

「えと……なんの話ですか?」

 話の進む先と意図が見えず、ネリネは怪訝そうに眉をひそめて尋ねる。ランプが店主の貌に張り付ける昏い影で、表情は不明瞭になっている。

「昨日の夜、ここに来た奴に言われたんだ」

 店主が自嘲するように、目を細めて言った。

「――娘を返して欲しかったら、明日ここに来る異端審問官インクイジターを生け捕りにしろって」

 ネリネの警戒心が最大まで高まったのと同時に、両脇のガラス棚の陰から、ショットガンを持った花師ガーデナーが二人立ち上がった。

「悪いが、ぼくは正義よりも娘の方が大切なんだ」

「―――っ、形相回帰リカレンスエイドス――!」

 ランプが作り出す暗闇の中から、黒く光る粒子が現れてネリネを包み込んだ。

 黒衣箒ローブルームを纏ったネリネの全身を散弾が打ち付けた。防護魔術でも打ち消しきれない衝撃に、ネリネの意識は霧散した。

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