遂に『犬神家の一族』を読む、その1
1976年版映画『犬神家の一族』、何度観た事か。
劇場では観ていないが、テレビ放送、そして今はサブスクで何度も観ている。もう作業用BGMにしたいくらい。
最も古い記憶では、親子三人、茶の間のテレビで観ていた。僕は、佐清が広間でマスクを捲るあの有名なシーンを直視出来ず、炬燵の中に潜った事を憶えている。
その後、何度も映像化されているが、多くの人が1976年版の映画を推す事だろう。
そして僕は、遅ればせながら令和の時代にやっと原作小説を読んだ。
事前に多少知識を入れていたが為に、設定や展開等について映画版との差異を新鮮に堪能出来ず、それは少々残念だったが、折角なので感想を書いておきたい。
●登場人物の名前
『青沼静馬』というフルネームは絶妙。何処か清廉な雰囲気を湛えながら同時に禍々しさも醸し出している。『あおぬましずま』と韻を踏んでいるのは、意図的なのだろうか。
『野々宮珠世』は如何にも美人を連想させる名前だし、その祖父『野々宮大弐』も神官に相応しい響き。
犬神佐兵衛からまるで可愛がられなかったと説明される三人の孫『佐清』『佐武』『佐智』だが、佐兵衛の一字を貰えたのは、対外的には犬神家の正統な後継者だからなのだろう。読者としては『佐』で纏っていて分かり易い。
彼等の母親の名前が一見安易に思える『松子』『竹子』『梅子』なのも、読者が(何なら作者自身も)混乱しない工夫だろう(『清子』『佐子』『智子』だったらもっと有難いのだけれど)。
因みに、静馬の母『青沼菊乃』は、単行本化の際に『梅乃』から変更されたのだとか。「梅子と被るのは良くない」との判断だろう。
●『それはさておき』『さて』
この接続詞が矢鱈と使われる。きっと横溝氏の他作品でも多用されている事だろう。持ち味とも言えるが、余りにも多くて笑ってしまった。
●スフィンクス
『スフィンクスのようになぞを秘めて美しい』とは、ヒロインの野々宮珠世の事。
絶世の美女という設定で、事ある毎にその美貌が描写されるが、その形容にスフィンクスを用いるのが面白かった(数か所も出て来る)。
時代的にスフィンクスという存在が神秘の象徴として瑞々しく感じられたのか、単に作者が好きだったのか。
珠世は頭脳も明晰で、単なるか弱いヒロインではない印象を受ける。本作品の事を全く知らない読者だったら、犯人候補として読み進めるかも知れない。実際、金田一は当初、命を狙われている珠世が自作自演をしている可能性を疑っていた。読者のミスリードを意図したかのようにも見える。
●『ああ』
探偵小説の定型なのか、地の文に感嘆の『ああ(嗚呼)』が多用される。講談調と言うか、活弁士風と言うか、作者に依る『語り』のテイストを感じる。確か江戸川乱歩にも似た調子があったと思う。
本作では『ああ、愚問愚問!』なる言い回しが最もインパクトがあった。会話文ではなく、飽くまでも地の文で登場する。
現在の特にラノベの一部に見られる表現は、この『語り』の延長線上にあるような気がしないでもない。よく登場人物の内面が態々地の文で描写される。『はあ?』『なんですと!』『マジかよっ』等々、これは作者自らの『語り』で、登場人物にその内面を表出させているように感じる。
社会派推理小説の代表格、松本清張は、『語り』の如何にも勿体を付けた、はったり表現が好きではなく、どんなに衝撃的な場面でも至って冷静に書くべきだと主張した。何でも、横溝氏の小説を『お化け屋敷』と評したとか。
●個人的に初耳の単語
『一瀉千里』『輾転反側』『猿臂』『しんねり強い』等々の他、中でも『ネツい』なる単語が印象に残った。
辞書を繰ると『ねつい:態度がしつこい。粘り強い。熱心』とある。方言としても全国で使われているようだが、本作では片仮名で『ネツい』なのも面白い。
●片仮名表記
擬音擬態語の『シーン』『キーン』『ガリガリガリ』『ドキッ』『パチクリ』『ギラギラ』はまだ解るが、『ハッキリ』『ジットリ』『ビッショリ』『ギゴチなく』等が見受けられた。『グーの音』は面白かった。
●造語
『一瞬――二瞬』という表現が見られたが、『二瞬』なる単語は辞書に載っていない。ニュアンスとしては『一瞬の後の次の一瞬』か。
何でも『数瞬(一瞬よりもやや長い時間)』という言い方はあるそうで、辞書によっては載っているようだ。
作家は日本語の番人ではなく、自由に造語を作り、それを広め、最終的に辞書に載せてしまう程の影響力を持つ存在と言える。堺屋太一は『団塊の世代』を一般名詞のレベルにしたし、池波正太郎は『仕掛け人』に殺し屋の意味を付け加えた。
●構成
冒頭に『発端』という章があり、主に犬神佐兵衛の来歴が語られる。映画版では徐々に語られる秘密が、最初から割と明かされてしまう。
例えば、犬神佐兵衛が神官の野々宮大弐と衆道関係にあった事。作中で改めて語られるが、その際は飽くまでも作中の人物にとっては初耳という描写で、先に明かされている読者は驚かない(映画版は後半辺りで初めて明かされる)。
また、作中で古舘弁護士が金田一に『三姉妹に依る青沼親子への凶行』を説明するが、後に松子自身も告白する。
松子は当事者の一人なので更に詳細まで語るが、これも読者は既に知っている情報なので、驚きとしての効果は減殺される(映画版では伏線のように青沼菊乃の姿を一瞬インサートし、後にその全貌が開示される)。
漫画もそうだが、長い連載では当初のプロットを変更したり、作者が既出情報を失念したりと、何かと構成が乱れ勝ちになる。
一方で、忘れっぽい読者を慮った「大事な事なので二回言う」的構成とも解釈出来るが、単行本に纏める際にはこの辺りを整える作家も居る。
実際、ウィキペディアに拠ると単行本化の時手直しされたようだが、連載時は細部が未規定のままスタートしたようで、その影響もあったのだろうか。
●総合的感想
登場人物は多いが読み易いと思った。が、これは既に筋を知っているからかも知れない。
更に、事件の元凶とも言える犬神佐兵衛の存在に興味が引かれた。この点については改めて書きたいと思う。
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