謝辞と忖度

 先ずはお礼を言いたい。

 冷蔵庫さん、ありがとう。

 数ある家電の中でも貴方は24時間365日休まず働き続けている。

「おい、俺達だって待機電力を消費しているから働いているぞ」という声が他の家電から聞こえそうだが、熱波の盛りにそれとは真逆の行為を強いられる冷蔵庫さんには頭が上がらないだろう。


 子供の頃から家電に対して不思議な感情を抱き続けている。一種の擬人化を介して機械を見てしまう癖がある。

「冷蔵庫さんは休まずずっと動いてて、でも不平不満を言わず人間の為に頑張ってる!」

 子供ならば「何て思い遣りのある子でしょう」となるが、大の大人がこんな事を考えていると知られたら、呆れられるか、病院を紹介されるかだろう。


 顕在意識では勿論、電気代の事が過る。しかし、潜在意識には別の何かが存在しているような気もする。「点けっ放しにした方が寧ろ電気代の節約になる」なんて話をされても、電気代よりも必死で稼働している機械の気持ちを忖度してしまう。


 はっきり言って、経済的に恵まれた家庭で育った。両親から電気代が勿体ないなんて注意された記憶はない。それでも、僕は昔から何故か節電を意識してしまう性質だった。例えば、両親が昼間まで点けっ放しにした電灯の豆球(非常灯)を、見付け次第「全くもう」と思いながら消すのが僕の日課だった。


 僕がこんな性質になった原因として一つ思い当たる事がある。

 昔の家電の取扱説明書にはよく「こんな取り扱いはNG」みたいなイラストが描かれていた。家電に顔があり、困っていたり、泣いていたり、痛そうにしていたりと、その可哀想なイメージが刷り込まれてるのではないか。勿論、僕は取扱説明書を捨てたりしない人間である。


 昨今の夏は、冷蔵庫さんだけでなくエアコンさんも24時間稼働が増えて来ている。

 もう十年以上も前の話だが、実家に居た頃、僕は最後の最後まで自室にエアコンを設置する事を拒んだ。扇風機は多用していたが、「パソコンさんが熱くて可哀想」という忖度込みの判断だった。

 現在の家には最初からエアコンがある。転ばぬ先の杖、不意の来客用という建て前で設置した。

 さて、今年も八月が来た。七月はエアコンさんのお世話にならずに乗り切った。今年も我が家のエアコンさんは壁のお飾りのまま夏が終わるのだろうか。

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