乱丁落丁体験

 昔、夏樹静子の文庫本(母の本棚にあった)を読んでいた時、途中で話の展開が分からなくなった事がある。どう見ても話が飛んでいる。それが証拠にページを捲ると明らかに文章が繋がっていない。

 こんな事があるのか――初めての体験だった。

 本屋へ行き、同じ文庫本を手に取って当該ページを確認すると、果たしてが存在していた。家にあった文庫本の方は何ページかがごっそり抜けていたのだ。勿論、誰かが剃刀で綺麗に切り取った訳ではない。


 それとはまた別の話。

 世を騒がせた犯罪や事件を纏めた本(1960年代発行)を読んでいたら、辻褄の合わないページに出くわした。見ればノンブルが20ぺージ程、飛んでいる。ぱらぱらと前後を捲っていると、全く別の箇所にその20ぺージ程が挟み込まれていた(と記憶している)。


 前記の夏樹本のノンブルがどうだったかは憶えていないが、何れにしろ乱丁本というのはどんな経過を以て世に出回るのだろうか。

 同じ体裁の本でも正しい版と間違った版とが出回っている事実を考えるに、原稿の段階でページを組み間違えた訳ではなく、製本の段階で手違いがあったという事なのだろう。それにしても不思議だ。


 乱丁の中には、ページが袋綴じのようになっていたり、エラー紙幣で言うところの福耳(紙の端に食み出した余分な部分)が付いていたり、上下逆さのページがあったり、色んなパターンがあるらしい。

 昔よりは発生頻度が低くなっているだろうと想像するが、機械で製本していても人間が関与する工程があるのならば中々ゼロには出来ない。一種のヒューマンエラー。


 いつだったか、藤子・F・不二雄全集の一冊が配送されて来て、中を見たらびっくり。紙の表面が薄く剥ぎ取られたように破損したページがあったのだ。例えるのならば、セロテープを貼ってそれを剥がそうとしたら紙の表面が破れ取れてしまった、という感じ。

 出版社へ送付すれば交換してくれると耳にし、そうしたところ、ちゃんと新品が届いた。


 エラー切手やエラー貨幣等、不良品マニアが居るのだから、きっとエラー本にもマニアが居るに違いない。何ならもっと発想を飛躍させれば――こんな感じで小説のネタが生まれたりする。

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