面白慣用句の世界

 あれはいつだったか、某漫画作品が某局でドラマ化された際のトラブルから事件にまで発展した時の事。

 某ポータルサイトの、ネット民の意見が集まり、世間一般がこう考えている、かのように錯覚させるコメント欄での事。

 因みに、その時に大勢を占めていたいのは「脚本家、許すまじ」だった。横暴な一個人の所為でこんな事になった、という論調が国民の総意とばかりに書き込まれ、その流れに異を唱えようものならば袋叩きにされるという、某コメント欄あるあるが展開されていた。


 いきなり脇道に入った。


 脚本家という存在全般を非難する声の中に「原作があってこその脚本なのに、さも自分の手柄であるかのような顔をしやがって」(要約)云々かんぬん、というのがあったのだけれど、その中の言い回しに思わず吹き出してしまう箇所があった。もし口に牛乳を含んでいる瞬間だったら大惨事になるところだった。


「人の褌で神輿を担いでいるくせに」


 ――お分かりだろうか。吹き出した人は同志!


『人の褌で相撲を取る』

 意味:他人の物を利用して自分の役に立てる。

『神輿を担ぐ』

 意味:他人をおだて上げる。


 祭を思い浮かべる――上半身は半被、下半身は褌の男達が「エイサッ、エイサッ」と猛りながら神輿を担いでいる。

 両国国技館を思い浮かべる――ほとんど裸の男達ががっぷり四つに組んで「ノコッタッ、ノコッタッ」と相撲を取っている。


 合体!!!!


『人の褌で神輿を担ぐ』

 意味:他人の物を利用して他人をおだて上げる。


 ――新語の誕生である。


 でも、力士は『まわし』で相撲を取っている。『人のまわしで相撲を取る』が正しいのでは、という理屈屋さんも居るだろうが(はーい)、『まわし』は褌の一種という事で、プロ力士は競技として『まわし』を着用するけれど、一般人の遊びならば『褌』でやっていただろう(逆に『まわし』で神輿を担ぐ場面はないだろう)。


『慣用句』は《習慣として長く広く使われて来た一纏まりの言い回し》との事なので、昔あった事柄を元にしている『故事成語』と違い、は二の次なのかも知れない。世間一般が便利に使い続ければ、今後も幾らでも『新慣用句』が誕生するのだろう。


『人の褌で神輿を担ぐ』がより面白く感じられたのは、他人を非難している場面で使われていた事が大きい。事件自体は悲劇的だったが、その後のネット民の非難は喜劇的だった、というお話。

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