自然は意外と不自然
漫画アシスタントの頃、スクリーントーンの削りだけはちょっとだけ自信があった。
デザインナイフ派とカッター派が居るが、僕は後者だった。両者は刃の角度が違う。それだけで人それぞれ使い勝手が全く異なる。卓球のホルダー(ペンかシェイクか)と同じと思えば解り易い(?)。
雲の浮かぶ空の表現にはよくドット柄のトーンを使う。「61番を貼って」とか「63番で押さえて」とか言っていた。
雲の部分はトーンの表面を削って表現するのが定石。この時の難しさの一つに「自然な感じ」というのがある。
自然物は往々にして、不揃い、不定形、不規則に見える。だから、規則正しく整列している雲は不自然に感じる。鱗雲とか何となく規則的に見える場合もあるが(よく観察すれば全く同じではない)、一般的にはランダムな方が「雲っぽく」見える。
でも、自然は時に不自然に見える事がある。多くは幾何学的なビジュアルに接した時にそう感じ取るのだろう。
鉱物の中には立方体や角柱の結晶を形作る物があるし、花も改めて考えたら絵に描いたように対称的な造形が多い。
「これはどう見ても人工物だ!」と古代文明説が唱えられたり、「大いなる意志の御業に違いない」と神の概念が持ち出されたり、人間(脳)は文物を捉えようとする時、恣意的に「自然っぽい」「自然っぽくない」と規定してそこに意味を見出す癖があるのだろう。
この《ぽい/ぽくない》というのが、リアリティーラインの線引きと言える。
歴史や科学等は考証の観点から正誤が指摘される事が往々にしてあるが、これは《リアル》かどうかの話であって、《リアリティー》があるかどうかの話ではない。
《リアル》《リアリティー》は多分にオタク的な使い分けだが、《リアル》は《リアリティー》という枠の中に含まれていると解釈した方が良いし、《リアリティー》を担保する要素の一つに《リアル》(考証)があると別言しても良い。
アニメに『リアルロボット系』というジャンルのがあるが、登場するほとんどのロボットは自重を考えるとあの脚の太さでは歩く事すら出来ないらしい。でも、動力は原子力とか電気とか《リアリティー》を担保する設定を作る。以前のアニメは漠然と宇宙エネルギーみたいな《リアリティー》を度外視した設定が多かったが、それはそれでそういう《リアリティー》だった筈だ。
でも、最も重要なリアリティーラインは、人間の価値観にあるのではないかと思う。
殺人は犯罪、というリアリティーラインは現実世界では説明を要しないが、物語世界では作品毎に多様な線引きが行われる。愛する人の仇討ちならば、仲間を守る為ならば、相手が悪人ならば、と様々にラインが引かれる。何なら、誰でも好きに殺して良い世界、というリアリティーラインもあり得る。
このそれぞれのリアリティーラインを場面毎に恣意的に変えてしまっては、リアリティーもへったくれもない。
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