キャラは世につれ世はキャラにつれ

『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)のヒットで本格的なアニメブームが起き、オタクが誕生し、それが今のアニメの隆盛にまで繋がっている、と言われる。『ヤマト』のヒットはSFの一般化にも貢献し、『機動戦士ガンダム』(1979年)やその他、広義のSFというジャンルを定着させた。

 勿論『ヤマト』以前にも『鉄腕アトム』『鉄人28号』等のSF的な作品はあるが、『ヤマト』以前と以降とでは魅力の要素が大きく変わったようだ。


 SFの本来のテーマは文明批評や社会風刺だった。『盗まれた街』(1955年)や『猿の惑星』(1963年/1968年に映画化)も設定や登場人物等が何かの暗喩になっている。ホラーに分類される『ゾンビ』にしても同様の事が言えるようだ。


『ヤマト』や『ガンダム』にも思想やSF設定、物語の展開等、魅力的要素に溢れているが、それらに優るとも劣らない魅力として『キャラ人気』が加わった。『キャラ人気』がなければ、SFのような或る種マニアックなジャンルがオーバーグラウンドに浮上する事はなかったのではと思う程だ。コスプレ文化も『キャラ人気』がなければ成立しないだろう。


 ところが、この『キャラ人気』が肥大すればする程、本来のSFが有していた批評性は薄れ、「美少女が登場すれば良い」「メカが格好良ければ良い」「両方が組み合わされば尚良い」という事になった。

 それに合わせ、殊に1980年代は軽薄になり、1990年代は病み、2000年代以降はファンタジーの方が持て囃されるようになり、現在の異世界転生等になったという印象を受ける。


 そして『キャラ人気』はどうなったのか。勿論、今でも人気キャラは存在するが、どうも『属性人気』へと変遷したように感じる。

『陰キャ』『陽キャ』『悪役令嬢』『TS』『BL』『百合』――こういうのに全く詳しくないが、広義の役割を担ったキャラを配置する事自体に意味を見出す事でテンプレ作劇は誕生したのだろう。


 映画やドラマの登場人物にしても、昨今はとみに役者(タレント)のキャラを前提にした配役のようにも感じるし、作劇自体が漫画やアニメのフォーマットに寄せている気がしてならない。


 そう考えると、世の中全体が『キャラ化』したようにも感じる。テレビタレントやユーチューバーには『毒舌』『天然ボケ』『インテリ』『不思議ちゃん』『ナルシスト』等々のキャラ枠があり、時には何かしらの不祥事をきっかけに人材が入れ替わる。清廉なイメージの人は損をし、やんちゃなイメージの人は得をする。

 人間は本来もっと多面的だが、単純化してまるで物語の登場人物のように捉えて消費する。真面目一貫でやって来た人が何処かで転落する場合と、粗暴だった人が何処かで改心する場合と、どちらのイメージがより良いだろうか(元暴走族の教師や元ヤクザの聖職者等はやけに持て囃される)。


 しかし、ここまで書いて改めて考えてみた――人類は太古から有りもしない存在をキャラ化して来たのだ。妖怪、精霊、天使、悪魔、そして神様。物語(神話、説話、昔話)を受容する為の依り代としてキャラは有効に便利に機能するという事か。

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