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小説にヘタウマはあり得るか?」への応援コメント


  • うん、最終的に口にしたいことは察しますが 笑、まあこのテーマはありとあらゆる芸事なり技能なりの、幅白い階層で存在する問題ですからね。音楽しかり、料理しかり、スポーツなんかもそういう部分があるのかな?

    三島由紀夫と松本清張との確執はまた次元の違う話という気もしますけれど、出版業界がいわゆる「文芸」小説至上からエンタメ路線へと舵を切り出して以来、小説の評価は――少なくともプロの編集レベルでは、「ストーリーの妙」が第一になったような気がします。以前いた小説講座でよく言われたのは、「文の上手下手よりも、話の筋のおもしろさを磨け」ということでした。美文を書ける人間はゴマンといるが、魅力的なストーリーを作れる者はひとにぎりだから、とも。つまりは、文体よりも物語の方に重きを置かれるようになったということなんでしょう。
    結果、「話が面白ければ許す」という、「カワイイから許す」みたいなことが横行するようになって w、度を越えて文章力がなってなくてもデビューさせる(つまり出版社がストーリーごと買い上げる)ことが一般化し、いわゆるヘタウマが増えた、ということなんじゃないかと。一側面の一部分だけの解釈ではありますが。

    作者からの返信

    演者の場合、顔立ち、体格、声等の先天的なものが実力を下支えする事はままあると思いますが、

    作家に先天的な才能はあり得るのか。恵まれた生育環境が物を言う事も多々ある気がします。三島、手塚、宮崎駿みたいな裕福な出とか。あるいは赤貧の出か。

    何れにしろ極端な方が才能を「開花させる」アドバンテージがあるのでしょう。

    平凡な出自は何事も武器にし難いという事で、表現媒体が増えた分、ヘタウマからテンプレまで何でも食い潰さなければ成立しない時代になったのかな。