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感想文の感想」への応援コメント


  • 「まともに読んでまともに感想書く分には、どんなコメントでもいいんだよな?」と、国語教師へ当てつけのごとく書き散らすのが楽しいもんだから、読書感想文を書くのは好き――中学・高校時代の湾多はそんな人間でした 笑。高校時代に関して言えば、まあ校内では入選の常連だったんで、図書券もらえるのがまたうれしくて、それもあって感想文は一層楽しかったですね。
    なんて嫌な奴、とか思われてますでしょうか w。

    もとより、読書感想文は言うに及ばず、原爆の課題作文とか講演会のレポートとか、「どうやったらいい子ちゃんっぽく書けるか」などという発想がほぼなかったんで、ずっと後になって塾講師の仕事をやり始めた時に、面倒見る生徒のことごとくが、その手の忖度しか考えていないのを知って愕然としたもんでした。

    作文なんて書きたいように書けばいいんですよ――というのが一種の理想論だとは分かってるんですが、実際に何人もの子供に作文コーチした経験から言わせてもらうと、今回のエッセイで主張なさっていたような、変な「こういう文にしなくちゃいけない、こんなことを書いちゃいけない」っていう制限を小学生時代から押し付けることで、この国は国民教育においてとんでもない逸失利益を積み上げ続けているんではないかと思います。自分の心の中身と書いている文章がバラバラなのが当たり前になるし、そういうおかしい状態に麻痺してしまうから、学校出ても日本語表現が全然できない。テンプレ文をつぎはぎすることしか。
    あれはもはや「表現」ではなく、ただの「手続き」ですよね。そりゃこんなこと百年も続けてたら、国力も衰退するはずだ、と思うんですが。

    まあでも一方で、湾多みたいな日本語の書き方続けてたら、「空気読めてねえ」とか言われる人間に育ってしまうんですよね……。

    作者からの返信

    僕は一応理系(建築)の方に進んで漫画アシ、校正と年月を掛けて文章の方に接近して行った口なので、未だに自分に合っているか、やりたい事なのか、よく分からないです。

    GHQは日本の国語教育にメディアリテラシーも導入したかったようですね。アメリカ人は「市民が監視しなければ政府も報道も暴走する」という意識が強いからだと思いますが。

    でも、それを指導できる教師が居なかった。一夜明けて軍国主義から民主主義万歳に転向する変わり身の早さはあっても、ディベートとか出来ない。それが現在の上げ足取りマウント論破ゲームに繋がっているような気がします。

    識字率が高くてもね、ヤフコメ等の偏向した持論のぶつけ合いは笑える程に醜悪で、例の「原作と映像化」問題における妄想曲解リテラシーだけは一丁前、さすが異世界転生発祥国だとイライラ、ニヤニヤしながら見てます。