ミスリードはどれだけミスなのか
嘗て某団体が関与し、世を震撼させた一大事件があった。
一連の事件の中で、或る一家の殺害を実行した訳だが、その事件現場で某団体の関与を想像させる遺留品が見付かった――。
さて、これがミステリー小説の前半辺りの展開だったとしたら、読者はどう感じるだろう。「冒頭からそんな単純には展開しないでしょ」「何らかの関与があったとしても、それだけではない秘密がありそうだ」などと思うのではないか。
某団体のスポークスマンも、これは何者かに依る罠である、我が団体関係者を犯人に仕立て上げる為に事件現場に置いたものだ、犯人がこんなに判り易い証拠を残して行く訳がない――と主張していた。
ところが、蓋を開けてみれば、某団体の人間に依る犯行であり、遺留品は果たして犯人がうっかり現場に落として来てしまった事が判明した。これが物語だったら『ミスリードと思わせてそのまんまだった』という落ち。
因みに、件のスポークスマンがどれだけ事件の全容に関与していたのかは知らないし、ミステリー好きだったのかどうかも知り得ない。
ミステリーは、物語を面白くする為にあれやこれやと工夫しつつも自然でなければならない、論理的でなければならない、驚かさなければならない、という呪縛の上に成り立っている。その為に伏線やミスリードを多用する。
けれど、現実は意外と、不自然だったり、非論理的だったり、驚くに値しなかったりする。作劇にはよくリアリティーという言葉が付き纏うが、現実がリアリティーを欠いている事も多々ある。
物語には何かしらのリアリティーラインがある。
魔法を使える世界ならば何でも魔法で解決、という訳には行かない。SFにしろホラーにしろ、その世界内のルールがあり、何でもありにならないようにする。でないと、ハラハラ、ドキドキも起こり難いだろう。
ちょっと前の連続テレビドラマの話。
憧れだった男性に無理強いをされて妊娠、その子を密かに出産。その後、男性は色んな女性を不幸にしていると知り、復讐を画策する(かなりざっくり解説)――という物語があった。
因みに、復讐に燃える女性は現在、警察官。「警察官が復讐鬼だとっ?!」ではなく、事実上のレイプで出来た子の父親を殺人犯に仕立てて復讐(我が子の事は愛している)という骨子に吃驚した(ネット上でも同様のツッコミが目に付いた)。
しかも、物語が最終回に近付くに連れ、次々と『驚きの事実』が目白押しという『サービス精神』。昔懐かしい大映テレビのような、二時間サスペンスのようなドラマが今でも通用するのかと、何だか笑ってしまった。「こんな事は現実には絶対にない」かどうかよりも、作り手が「視聴者は別に気にしないだろう」と思っているのかどうかが気になった。これは広義のリアリティーラインと言って良い事例だと思う。
飛んでもない事件や事故が起きた時に『まるで映画(漫画、小説等々)みたいな話』という感想をよく耳にする。これは『現実の出来事とは思えない』の意味だけれど、遠回しに『映画(漫画、小説等々)は非現実』の含意もある。その癖、フィクションに対して『あり得ない』『リアリティーがない』『ご都合主義』なんてツッコミも多く聞かれる。
やっぱりポイントはリアリティーライン(の位置)かと思う。ラインの位置が書き手、読み手で共有出来ていないと「んな訳あっか!」となるのだろう。
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