面白さのハードル

 どんな人が、どんなタイミングでその作品に触れるかによって、感想や評価が180度変わる事もあるのではないか。

 多くの人が絶賛する作品もあれば、酷評する作品もある。それと同時に、賛否が大きく分かれる作品も数多ある。よくよく考えれば不思議だ。何故こんな事が起きるのか。


「面白い」の要素は多岐多様に亘る。設定、人物像、演出、構成、展開、結末――まだ多くのコンテンツに晒されていない白紙状態の幼少期に接した作品は、知識や経験の少なさ故に名作と即断し勝ちだ。

 そして、個人的な思い入れが『正当な』評価を邪魔する。実写作品となると出演者の存在も大きい。ファンだった人が出演しているから、というバイアスも大いに掛かる。


 逆に、後年に見返した際に「思ってた程には大した事ない。何であんなに夢中になってたんだろ」みたいな現象が起きるのは、次々に色んな作品を享受し、知識や経験が増え、擦れっ枯らしになるからだろう。


 年を取るに連れ、そう簡単には満足出来なくなる。どうしても過去に享受した作品と比べてしまい、或る意味で不自由さが増す。

 だから、若かりし頃に気に入った作品を何度も何度も反芻し、「やっぱり良いものは良いな」と満悦する。これは、時代の移り変わりや新たな価値観に対応出来ない事の裏返しでもある。


 自分が親になると子供が悲惨な目に遭う物語を平常心では見られなくなるとか、何らかの被害者(または加害者)になってしまうと同様の事件や事故を扱った物語を愉しめなくなるとか、専門的知識を得ると物語設定の杜撰さに興醒めしてしまうとか、結局、作品の感想や評価に絶対的な指針なんてものは存在しないように感じる。


 社会全体の価値観の変容も作品に影響を与える。嘗て名作と称された作品から差別的な色合いが浮かび上がる事がある。

 一方、いつの時代にも良いと思えるスタンダード的作品も存在する。世代が「今となってはあり勝ちだけど、安定した魅力がある」と感じ、世代が「こんな昔にこんな作品があったんだ、寧ろ新鮮」となれば、名作と言っても差し支えないだろう。


 知識、経験の積み重ねで見えて来る面白味も存在する一方で、無知であればある程、純粋に愉しめてしまうという逆説もまた真なり、と思う今日この頃である。

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