ご都合主義の都合

 ご都合主義という言葉にポジティブな意味合いは全くないように感じる。完全に批判、侮蔑、悪口に分類される単語だろう。

 しかも『都合』ではなくて『ご都合』である。嫌味感が凄い。


 物事に色々と都合があるように、創作にも都合があるに決まっている。現実の世界に都合があるのだから、虚構の世界にも都合があって当然。なのに、物語が作者の都合(と思われるかたち)で展開すると、「あり得ない」「上手くない」「面白くない」の『3ない評価』を下される。


 現実の世界は中々都合通りに展開しないので、虚構も都合通りに展開するのはおかしいというのが『ご都合主義批判体系』の骨子なのだろう。


 しかしながら、現実と虚構は同列の価値基準で存在しなければならないのだろうか。

 現実が面白くない(都合通りに展開しない)から、虚構で溜飲を下げたい(都合通りに展開させたい)のではないか。

 虚構には確実にそういう機能、需要が存在する。「どうせ実人生はぱっとしないんだから、せめて物語の中では好き勝手にさせてよ」と。


 このメンタリティーには自意識の四分の一くらいは共感しても良いが、やっぱり乗り切れない僕が居る。

 これは、実人生に於いて虚構と現実とをどう位置付けるかの問題だ。虚構は虚構に過ぎないと実人生から切り放すのか、虚構と現実とを重ね合わせる(そして虚構から得たものを実人生に活かす)のか、この両極の考え方が分水嶺になろう。


 僕が書くものは、主人公が不幸に見舞われるパターンが多いかと思う。この場合にも「物事がそんなに都合悪く進むかねぇ」という突っ込みがあり得る。

 どちらに転んでもご都合主義の批判は纏わり付いて来る。幸せになろうが、不幸せになろうが、結局は作者の都合なのだ。

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