一次選考という名のハードル

 昔々、或る所にうっかり漫画家を夢見る男子が居たそうな。

 男子は出版社の漫画家賞に応募する度、落ち着かない日々を過ごしておった。


 或る賞の中間発表号が発売される日は、男子はいつものようにいそいそと書店へ向かい、恐る恐る雑誌を開く。


 何と、男子の作品は一次選考を通過しておった。


 それは数多の応募者が居並ぶ中の小さな小さな名前に過ぎなかったが、僕は才能があるんだ、と男子は小躍りして喜んだ。


 残念ながらこの時の投稿作は二次選考を通過出来なかったが、勢い付いた男子は、今度は出版社に原稿を持ち込む決心をした。

 数多の投稿作に埋もれながら首を長くして発表を待つよりもプロへの近道に違いない、と思ったのじゃ。


 緊張の面持ちで訪れた出版社は『小○館』。エントランスで受付を済ませ、エレベーターで上階へ。

 扉が開くと、そこはもう人気青年誌『ビッグコミック・ス○リッツ』の編集部じゃった。


 編集者は名刺をくれて丁寧に対応してくれた。

 生まれて初めて目の前で自分の原稿を読まれる気恥ずかしさと緊張感に、男子の心臓は早鐘じゃった。

 編集者はどんどん読み進めて行く。もっとゆっくり丁寧に読んで下さい、なんて事は言えず、無口な時間が続いた。


 編集者は先ず、完全原稿である事を褒めてくれた。何でも、ちゃんと仕上げていない原稿を持ち込む人も少なくないそうな。


 後に知った事だが、この時に対応してくれたのは名物編集者らしく、漫画の現場を特集したテレビ番組に出ているのを見て驚いたもんじゃ。


 編集者は一気に読み終え、原稿の角を揃えてテーブルに置いた。

 しかし、反応は決して芳しいものではなかった。


 数々の指摘を受け、男子は落ち込んだ。もう諦めようと思う前に、もう死のうと思う程に落ち込んだ。

 家を出た時は、きっと良い反応がある筈だ、一次選考だって通過した事があるんだ、と勝手に妄想していたのだから、その落ち込みは激しかった。


 編集者は色んな事を教えてくれた。男子は覚束ない受け答えでそれを聞いていた。

「○○先生の○○って作品、知ってる? これに似たアイデアだけどもっと凝ってる」

「あの高橋留○子先生だって鉛筆で描いた下書きの方が線が綺麗だよ、それくらいペンで描くのは難しいんだよ」

「影響されたくないからってプロの作品を読まない人が居るけど、やっぱり沢山読まなきゃ駄目」

「一次選考は全員、通してる」


――え?


「漫画家志望者に自信を与える為にね。志望者が多ければ多い程、そこから新たな才能が見付かる可能性が高まるから」


 一次選考って何?

 それって選考じゃないじゃん。

 変な糠喜びをさせないでくれよ。


 男子は浮かれていた自分が大層恥ずかしくなったそうじゃ。

 様々なアドバイスを受けた男子は思わず呟いた。

「……漫画って難しいですね」

「そりゃ難しいよ!」

 そう言いながら、編集者は袖口にくっ付いていたスクリーントーンの欠片を灰皿へ捨てた。


「まぁ、今回の作品はまだまだだけど、途中の展開はちょっと驚いたから、努力賞だったらあげられるよ」


 編集者の言葉に嘘はなかった。

 後日、一次選考の時よりは少し大きく男子の名が誌面に載った。

 嬉しかったが、一次選考を通過した時のようには心が躍らなかった。何だかお情けみたいに貰った努力賞に、複雑な気分を味わう男子じゃった。


 賞金は定額小為替のかたちで支払われ、男子は目出度く最寄りの郵便局で一万円也を手にしたそうじゃ。

 生まれて初めて自分で描いた原稿でお金を貰った瞬間じゃった。


 今はもうペンを持たなくなって久しく、ペンダコの名残りが何となく右手中指にある程度、そしてもう男子と呼ばれる年齢でもなくなった。

 噂に拠れば、何処ぞで小説を気取った駄文を書いておるそうな。びた一文にもならんが、それでも構わんという事じゃ――。




 ほぼドキュメントでお送りした。

 漫画だけでなく何処の賞の選考も案外こんなものかと思う(どうかな?)。応募規定さえ守っていれば一次通過というのも聞く(守れていない作品が結構あるのだろう)。


 エピソード内の編集者の言葉通り、出版社は常に才能を求めている。世に存在する才能を取りっぱぐれない為には門戸を大きく開いておきたいだろう。


『○○賞一次選考通過作品!』などと謳うアマチュアの投稿作を見る度、僕は今回のエピソードを思い出してしまうのだ。

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