美形の氾濫
創作物の中には『美形』が氾濫している。この世の中に美女とか美男とか言われる人がどれくらいの割合で存在しているのかは知らないが、少数派なのだろう。
時代や民族、その他の要因で、何が美形かは幅がある。日本人には日本人なりの美形の基準(範囲)がある筈だ。
ビジュアル作品(映画、ドラマ、アニメ、漫画)となると、美形であるかどうかはユーザーの目を引く大きな魅力になろう。
漫画家の人気は「可愛い女の子を描けるかどうか」とも聞くし、実写となれば尚更キャスティングが人気を左右する。
美形ばかりが入り乱れる物語。本来はそれだけでリアリティーが欠如している筈だが、そこへの突っ込みは聞こえて来ない。
小説となると、美形である事が物語の肝でなければ、特に容姿自体を描写しなくても成立する。
が、ものによっては、登場人物がどんな容姿をしているのかが重要になる傾向があるようだ。
表紙に主人公その他のビジュアルが提示されているタイプの小説がある。本文で容姿を説明するまでもなく「こういう見た目なので宜しく」と確約しているも同然である。
実際に読者がキービジュアル通りに思い描いて読んでいるのかどうかはよく判らないが、美形である事自体は大前提で、それぞれに自分の好みで妄想するのだろう。
転生系作品の場合、主人公(男性)は美形でない事が多いような印象も受ける。『主人公=読者』の構図が婉曲に想定されているとしたら『転生して美形になりました』はあっても、基本的には過剰に美形でも醜悪でもない、ビジュアル的には『普通』の方が没入し易いのだろう(勿論、醜男設定もあるだろう)。
そもそも、一般に読者は登場人物の見た目を想像しながら読んでいるものなのだろうか。
僕個人で言うと、割りとぼんやりとしたイメージで読んでいる。俳優の誰とか、特定の漫画のタッチとか、そんな想像すらしていないと言うか、興味が登場人物以外の部分にあり、人物への愛着を感じない事に関係しているのかも知れない。
何よりも「美形なのは当たり前」とばかりに書かれた作品が多過ぎて辟易としている。
殊に恋愛の要素を含意する作品は、その容姿が描写されていなくても美形であるかのようで、瘦身で手足が長かったり、瞳が大きかったり、透けるような肌だったり、しなやかな指だったり、艶やかな髪だったり、最大公約数的美形の原型を置き、全方位的にお茶を濁しているとも言える(女性から見た男性の理想形もまた然り)。
それにしても、人は何故、美形を求めるのだろう。
安全地帯というバンドのデビュー曲『恋の予感』の歌詞は『なぜあなたはきれいになりたいの?』だった(作詞:井上陽水)。昔は気にもしていなかったけれど、これは誠に根源的な問い掛けだなと思う。
古今東西、どんな少数民族にも美醜の概念が存在している筈だけれど、単なるモテ願望とは思えない。必ずしも他人の存在を必要とせず、黄金比の如き美への希求を本能的に内包しているのだろうか。人類の最後の一人として生き残った人間は、それでも尚、綺麗(美形)であろうと涙ぐましい努力を続けるのだろうか。
人口に膾炙しつつあるルッキズムなる概念は「容姿で差別してはならない」というのが大意だと思うけれど、暗黙の了解の如く厳然として存在する「でもやっぱり美形は魅力的」という価値観とどう折り合いを付けるのだろうかと思う。一時期『美し過ぎる○○』という形容が褒め言葉として流行ったが、もう使えないだろう。
しかしながら、この社会は今でも、美容整形から脱毛、植毛、ダイエットに至るまで、美へ誘導しようと手薬煉を引いている。今後は益々綺麗事と実情とが乖離して行くのかも知れない。
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