スポークの苦労

 漫画アシスタントをやっていた頃、基本的にその回で一番手間が掛かりそうなページから託される事が多かった(飽くまでも僕が居た現場の話)。


 花火大会で土手に集まった大勢の観覧客が夜空を見上げている見開きページ――これが一番大変だったと記憶している。

 小説だったら二、三行の一分も掛からないシーンかも知れないが、当該の見開きページは一日掛かりだった(一日約12時間労働換算)。

 でも、ほぼモブを書くだけだったので楽な方かも知れない。これが大都市の全景だったらどれだけ掛かるか――。


 最近はPC上のトレースや写真の嵌め込み等で作業時間自体は短縮されるだろうが、中には手書きに拘る漫画家も居て、そのアシスタントは悲鳴を上げる事になるだろう。

 アニメも含めてビジュアル表現には『描かずに済ます』という或る種のテクニックがある。面倒臭いから描かずに済ませる、という意味。

 方法としては例えば『手前に何かを置く』『どアップにする事で描く部分を減らす』『吹き出しで隠してしまう』等である。


 僕の経験の中では――自転車が面倒臭かった。

 例えば『弱虫ペダル』なんて如何にも大変そうだが、同作を見ると結構フリーハンドでガシガシ描いているようで、エモーショナルな走行シーンではこれが効果を上げる。フリーハンドもテクニックが要るが、写実を求める場合はパースを考えながら定規を多用する事になり、また違う手間が掛かる。


 四角いブロックを積み上げただけの物体ならば容易に描けるが、自転車は厄介物の一つ。人が乗っていると更に面倒で、人間とのバランスも考慮しなければならない。


 中でも車輪は大変。丸形定規なんて道具もあるが、ありとあらゆる角度から見た楕円を簡単に描ける訳ではない。アタリを付けて騙し騙し描く事になる。


 更に厄介なのはスポーク――車軸からタイヤに向かって放射状に等間隔で配されている針金のような金属である。

 シルクハットの英国紳士が乗っていそうな初期型の前輪が矢鱈に大きい自転車だったら比較的楽かも知れない。

 でも、現在の自転車のスポークは、車軸から針金状の金属が伸びているが、『二本ずつ平行に伸びている物』と『その間に風車状に伸びている物』とが組み合わさっている(ピンと来ない人は実物を見て欲しい)。

 正面や側面からならばまた良い。斜め前や斜め後ろ、斜め上から車輪のスポークを描く時と来たら――「面倒臭っ!」


 小説ならば「自転車に乗って駆け付けた」だけで済むかも知れない。今後、僕がスポークの構造を微に入り細に入り描写する機会はないだろう。

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