俳優は○○が命!

 昔『芸能人は歯が命』なんてCMがあったけれど、その話ではなくて俳優の話。


 俳優の魅力に大事な要素と訊かれた貴方は何と答えるだろうか。

「そりゃ、顔でしょ!」

「勿論、演技でしょ!」

「存在感でしょ!」

 どれも間違ってはいない。そうだと思う。

 でも、近年すっかり蔑ろというか二の次、三の次にされている要素がある、と感じている。


 それは『声』。


 発声と言い換えても良い。

 近年「この人は良い声をしている」という俳優が本当に少なくなったと感じる。

 

 子供の頃、僕はアニメを観ながら「この声、他の作品でも聴いた事がある」と興味が湧き、エンドクレジットのキャスト名を書き留めては声優毎に出演作をノートに纏めていた。

 どうも最初から『声』に興味を持っていたらしい。


 その後、ラジオを聴くようになり、ラジオドラマや朗読も好きになった。

 音声コンテンツは、顔の作りなんて関係ないのは勿論の事、声だけで演技をしなければならないから技量が要る。所謂『存在感』も耳を愉しませるのには余り役に立たないと思う。


 昔は声が魅力的な俳優が沢山居た。声を聴いただけで「あの人だ」と直ぐに判ったものだ。

 石坂浩二、蟹江敬三、草野大吾、佐藤慶、森本レオ、渡辺篤史、西田健、高橋長英、江守徹、市原悦子、岸田今日子――ちょっと思い付くだけでも枚挙に暇がない(存命者も含む)。

 現在は、余り有名ではない昔の映画やドラマも動画配信で観られる。そういうのを観ていると、出演者の多くが声の仕事(ラジオドラマ、朗読、ナレーション等)で聴き憶えのある人だったりする。


 嘗て声の仕事は俳優の仕事の一部だった。やがて声優というジャンルが確立し、ほぼ声専門の人達も活躍するようになった。この事が『良い声の俳優が居ない』状況を生んだのではないかと思う。


 前述の石坂浩二氏の『金田一耕助シリーズ』は根強い人気だ。今でもナンバーワン金田一の呼び声が高い。その理由について、時代劇研究家の春日太一氏が言及していたところに依ると、石坂氏は若くして声の大事さに気付き、自らの発声を意識的に変えたという。その事が、特に金田一にとって重要な『事件の解説』に説得力を生んでいる――と。

 声(発声)は演技に、引いては作品世界に説得力を生むという事実。上記した他の俳優にしても、同じ事が言えるだろう。


 現在の声優は、のイメージが強い。その事を嫌うアニメ監督も居るようだ。声の仕事の主戦場がアニメであれば致し方ないとも言えるが、そもそもがアニメ作品のジャンルに偏りがあるように感じる。『萌え声』の需要が多ければそれに応える供給は増えるし、イケメンキャラばかりであればそれ相応の声が多くなる。


 昔の声優は俳優が担っていたので、演技の質は映画、ドラマと遜色がなかった。勿論、アニメ作品ではアニメっぽい声を出してはいたが、同時に洋画の吹き替えも多かった。古い洋画を観ると、その吹き替えに現在のような癖(欧米人っぽい口調?)は余り感じられない。もしかしたら『吹き替え演技』というのもあるのかも知れない。


 昔の物真似芸人はよく俳優の真似をしていた。今でも往年の俳優をレパートリーにしている人は多いように思う。

 最近の若手俳優をネタにしているケースは余り思い付かない。所謂『自然な演技』が主流になって来た(アクが強くなくなった)からとも言えるが、声に魅力がなくなったからではないだろうか、と感じる事頻りなのだ。

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