登場人物の名前
命名は中々難儀する作業である、と思うのだがどうだろう。
実社会の傾向として、子供の命名は特徴的、唯一的、独善的の流れがあるように感じる。親の拘りの発露といった感じ(昔からそうなんだけれど)。
武士階級の人間は一生の中で何度も名前を変えた。幼名に始まり、やがて通称を名乗るようになる。通称は日常生活で使用する名前だが途中で変える事もあったようで、更に
諱は死後に明らかになるような隠された名前で、これは本名が呪いを掛ける際に必要な目印にされるので、存命中は他人に知られないように通称で呼び合っていた、とか何とかあやふやな知識。
その他、官職名や号、
諱は漢字二文字が一般的なようだが、特に読み方が難しいと言うか、ほとんど当て字のようなものが多い。まるでキラキラネームだ。
何だか話が逸れた――。
池波正太郎氏は、江戸時代に実在した医者の一覧から漢字を繋ぎ合わせて『(藤枝)梅安』と命名したという。
松本清張氏は、電話帳から適当にピックアップして付ける、と明かしていた記憶がある(実際、平凡な名前の人物が多い)。恐らく、何処にでも居る普通の人が事件に巻き込まれる様子を描きたかったのだろうと思う。
藤子不二雄両氏の作品は、遊び心満載の名前が多い。『パーマン』の主人公、須羽ミツ夫は『
『キャッツ・アイ』『キャプテン翼』には
近年は漫画家、アニメ、ラノベの隆盛で、同じ拘るにしても字面的に『格好良い』名前が幅を利かせているように見える。もうほとんど現実世界のキラキラネームと相互作用を起こすかの如くである。
近年は「作品は我が子同然」と公言する創作者を見掛けるようになった。恐らくは、登場人物に自らの思いを仮託するような作風の漫画家が言い始めたのではないかと想像するが、当然、登場人物も我が子のような感覚で捉えている筈で、適当な名前にはしないだろう。
対して、小説家にそういう感性の人が居るのかどうか、イメージが湧かない。作品に対する客観度が高いのだろうか。
ペンネームも自分の分身として拘る人は拘るのだろうし、カクヨム内には逆に「適当に付けた」という感じの人も見掛ける。
因みに僕のペンネームは、先祖が代々名乗っていた『惣左衛門』から取っている。時代劇でよく『彦左衛門』とか『助左衛門』とかを『ひこざ』や『すけざ』と愛称で呼ぶからである。世が世なら僕も『惣左衛門(○代目)』で普段は「そうざさん」と呼ばれていたかも知れない。
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