そんな老人は何処に居る?

「のう、婆さんや」

「何じゃ、爺さんや」

「儂は今年で何歳かのう?」

「まだアタシの方が年下じゃよ」


 ――みたいな老人の会話があったとする。「儂」とか「○○じゃ」とか所謂「役割語」を使う事がよくあるけれど、昔話ならばいざ知らず、現代の老人がこんな口調な訳もなく、でもショートショート等で寓話的な雰囲気を出したい時にはまだ生きている口調だろう。


 因みに、僕の祖母は自分の事を「俺」と言っていた。方言だったかも知れないが、割と或る世代までの女性は使っていた主語のようだ。まさか幼少期から使っていたのか、それとも或る程度の年齢になって「役割」を自覚して使い始めたのだろうか。


 それにしても、どうして「儂」や「○○じゃ」みたいな言い方が老人の「役割語」になったのだろう。老人言葉は何となく方言の匂いもする。昔話の舞台は、都市部ではなく地方(田舎)のイメージがある。それも関係しているのかも知れない。


 江戸時代、殊に武士は年寄りでなくても「儂」という主語を使っていた、と物の本で読んだ記憶がある。「○○じゃ」という言い回しも同じく。だとすれば、江戸時代生まれの世代が当時の口調のまま明治期や大正期まで生き、それを耳にしていた子や孫の世代が古い世代の口調(老人言葉)として定着させたという推論はどうだろう。ま、既に何処ぞの誰かがこの手の研究をして解明しているのかも知れんが、儂にはよう分からん事じゃ。



 追記(2023.09.31)

 某公共放送の某叱られる番組で「関西弁の名残り」と解説していた。

 関西から江戸に流入して来た知識人は関西弁を使っていたが、若い世代に依る江戸言葉の台頭で、「~じゃ」は次第に旧世代(年寄り)の口調と認識されるようになった、との事だった。

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