私も昔々に校正のアルバイトをしていたことがあります。と言っても、中身は広告の校正で、依頼元からの文の並びと全く同一の記事内容になっているかどうかのチェックでした。いわば、単なる間違い探しです。それでも、内容によっては一文字のミスで重役が菓子折り持って謝りにに行かなきゃならなかったそうなんで、責任は重大でしたが。
たまに、元の原稿そのものに間違った日本語を含んでることがあるんですけれど、それはそれとして出力するのがマナーなんだとか(直すこともありましたが)。
普通の投稿小説の誤字脱字レベルなら、ワープロソフトの日本語チェッカーでたいがい話が済むんですけれどね。それが証拠に、一太郎を使ってた私の十数年前の作品は、そのままそっくりアップ出来そうなほど、ミスがないんです。おかしいのは最近修正を入れたところだけ 笑。
暇があったら、昔のワープロソフトを今のシステムで使えるよう、パソコンをいじりまわすんですけれど、そのシステム自体、一定周期で別物になりますからねえ。
作者からの返信
ありがとうございます。
昔の作家の文章に「簡単な単語なのに何で漢字にしないんだろう」という箇所がしばしばあります。もしかしたら、作家の個性として敢えて原稿のまま活字にしているのかなと思う事も。
もしかしたら手書きの時代の方が誤字脱字率が低かったのでは、と思ってしまいます。今は語彙と共に誤変換というトラップが常に付き纏うので。
「こんな字も知らないのか」
「いや違うんだ、指先が馬鹿なんだ」
と言い訳したくなりますw
編集済
記述内容の正確性までチェックするとなると、もはや校正ではなく「校閲」の領域ですね。
昔の校閲者には、「この地域のこの時間では、ビルの間から月は見えないはずです」と赤を入れた、等のすごい逸話を持つ人たちがいました。
書く立場の人間は、よほど注意深くないと危ないです。それでも人がやることなので、どうしたって「ヌケ」はあるんですけどね。
作者からの返信
結局、信頼関係かなと思います。作品が世に出る前の、読者としての編集者や校正者の客観的な意見を聞きたい作者は居ますし。
カクヨムでも「粗探しすんな」と反目する声がありますが、そもそも信頼関係がなければ建設的になりようもないと思いますし、自作にどれだけ自信があるかどうかでも変わりますしね。