書き直しの効用
クリエーターの中には自作に手を加えて直す人が居る。勿論、ここでは世に発表した後のケースの話をしたい。
確か、作家の大江健三郎氏は何度も何度も書き直すのだとか。雑誌等に掲載したものを本に纏める段階で手を入れる人は沢山居るだろう。漫画家だと、手塚治虫氏は結構書き直しているらしい。
映画監督にも偶に居る。市川崑氏は1976年の『犬神家の一族』を2006年にリメイクしている。ポピュラー音楽となると、セルフカヴァーという事で無数に例が存在する。
クリエーターは何故、やり直すのか。
その1:悔いが残っている説。
時間的、金銭的、その他、如何ともし難い都合で思うように完成させられなかったケースは、最も多いように想像する。実際、そう回顧しているインタビュー等を目にする。
その2:過去を払拭したい説。
翻ってみたばかりに昔の自分に実力不足を感じてしまい、もう一度、今の実力でやってみたい、というのも人情だろう。
その3:もう一花咲かせたい説。
ヒットに恵まれなくなったので、昔のヒット作を引っ張り出して、何なら色んな部分を今っぽく改変し、結果何が起きるかと言えば、ファンからの総スカン――。
総スカンと言えば、全ての説に共通するのがファンの拒否反応。特にオリジナル原理主義的ファンは、やり直しを受け入れない傾向がある。しかし、やり直しは必ずしも作者の意向ではなく、出版社や映画会社、テレビ局等、利益追求を意図した制作側の思惑があって起きる悲劇(喜劇)だろう。
カクヨムは公開後でも幾らでも書き直せる。僕にとってはそこが一番良い点。見直しては書き直している。書き直す度に良くなっているのか、寧ろ駄目になっているのか、どちらにしても自己満足の世界。これは素人の特権かも知れない。
そう言えば、映画やドラマ、漫画や音楽には他人に依るリメイクが数多存在するけれど、小説では終ぞ聞かない。偶に聞くのは、他作家に依る続編とかスピンオフとか。小説には文体があり、これが変わってしまうと作品そのものが別物になってしまうくらいアイデンティティーと同義なのかな――なんて事を思ってしまう今日この頃。
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