第三部「誰がために砲声は鳴る」7
ヴォヤチェク・フラデツの車両基地に並んだ装甲書架車を、イアンはげんなりとした顔で眺めていた。
徹底的な整備を受けた車体は塗り直され、夏の日を受けて輝いている。もとは無愛想な灰色だったのが、緑のまだら模様に変わっていた。
「中隊長殿」
車を眺めていたイアンに、ヤーヒムが声をかけてきた。
「そろそろお時間です」
「ああ、はい」
振り返って答え、車列の先頭へと歩いていく。
「見送り、ありがとうございます。忙しいのに」
「何をおっしゃいます、ここが正念場じゃありませんか」
「正念場ねえ…」
つぶやきながら、イアンは車のボンネットを軽く叩いた。
「ま、こいつが棺桶にならないように気をつけますよ」
「またそんな縁起でもないことを」
心配そうなヤーヒムに苦笑いして見せ、イアンは車列の前に出る。そこには、五十名ほどの人だかりができていた。
半分ほどを占める私服の人々は、陸軍の募集に応じた運転手たちだ。若い世代はすでに他の部署に取られてしまい、ここにいるのはほとんどが四十代より上の年代だった。
三名ほど女性の運転手もいる。皆、ベテランらしい落ち着きで、顔見知りと話したり、並んだ装甲書架車をしげしげと眺めたりしていた。その腹の据わり様は、資料に書かれた年齢に不安を感じていたイアンを安堵させた。
残りの半分は護衛の小隊だ。中佐によると、北部に展開する連隊から借りたもので、イアンたちを送り届けた後は前線に残るのだと言う。よくもまあ、あちらの指揮官に承諾させたものだ。これも中佐の魔法の一つだろう。
車両基地の詰所から衛兵が小走りでやってくると、運転手たちに声をかける。
「まもなく、独立図書館連隊長、エリク・ランダ中佐より、出発のご挨拶があります!皆さん、整列をお願いします!」
民間人がいるからか、あまり軍隊調でない言い方だ。
小隊長の号令が響き、護衛隊が素早く整列する。少し遅れて、運転手たちが大雑把な列を作って並んだ。イアンがその先頭に立ち、ヤーヒムは少し離れた後方でそれを見守る。
イアンの右隣に、護衛隊を指揮する少尉が並ぶ。左側に、先程までのイアンに負けず劣らずげんなりした顔のラティーカが立った。
「お疲れ。モテる女はつらいな」
「張り倒しますよ」
イアンの冗談に、ラティーカは剣呑な口調で答える。
彼女は先程まで、護衛隊の若い兵士たちに捕まって質問攻めにされていた。愛想笑いにも疲れてきたところで、ようやく号令がかかったのだ。
「ていうか、見てたんなら助けてくださいよ。あの人達、わたしのこと珍獣か何かだと思ってるんですから」
「上手くあしらってたじゃないか。あの調子でやってりゃいいんだ」
「…部下が失礼した。後で注意しておく」
呑気なイアンに代わって、隣の少尉がそう言った。ラティーカが頭を下げ、イアンは「悪いね」と気楽に応じた。
「傾注!」
衛兵が再び叫ぶ。
脊髄反射の速度で、護衛の兵士たちが一斉に捧げ銃の姿勢を取る。先頭の三人は敬礼。運転手たちも、帽子を脱いだり背筋を伸ばしたりして居住まいを正す。
やがて基地の下士官に先導されて、ランダ中佐が全員の前に立った。後ろには静かに周囲を警戒するカルラがいる。
中佐は隊列を見回し、折り目正しく敬礼する。その手が下りると、兵士たちが小銃を下ろす音が響き渡った。
「独立図書館連隊長、エリク・ランダ中佐です」
低いがよく通る、あの印象的な声が響いた。
「本日、諸君は新たな任務を受けて前線へと出発します。わが連隊のプロヴァズニーク大尉およびスプルナ軍曹相当官、護衛に協力いただく第一六七歩兵連隊第三大隊の兵士諸君。君たちは必ずや任務を全うしてくれると、小官は確信しています。陸軍の、ひいては全共和国市民の期待に応えてくれるよう、奮励努力のほどを期待します…そして」
一拍置いて、中佐は視線をわずかに右に向けた。
「今回の任務に志願してくださった運転手の皆様には、感謝の言葉もありません。皆様のような、勇敢で自由を愛する市民の存在は、陸軍にとって大きな支えです。皆様のような人々が存在する限り、共和国の勝利は揺るがないものと小官は確信いたします」
運転手たちの反応は様々だ。もっともらしくうなずく者もいれば、苦笑いを浮かべる者もいる。
「無論、戦争である以上、安全とは言えない任務であることは事実です。しかしながら、この任務に携わった人々の名を、共和国の歴史は決して忘れることはないでしょう…任務の達成と、皆さんの無事を祈ります」
中佐がスピーチを終える。イアンはそれを見計らって二歩前に出ると、振り向き、隊列を見渡して息を吸った。
「今回、輸送隊を指揮する第九〇一中隊のプロヴァズニーク大尉です。すでにご存知とは思いますが、今一度、本任務の概要を説明いたします」
一度小さく咳払いして、続ける。
「これより我々は当基地を出発、北上してアロード集積所を目指します。到着は明日の日没前を予定。翌日より、現地に滞留している兵隊文庫の積み込みを開始。完了次第、配布予定の各部隊へ出発します。安全確保の観点から、車両は分散させず常にひとかたまりで動くことになります。配布を終えて空になった車両は、そのつど現地の輜重段列に加わって、その指示に従って帰還してください。私の乗る車両が最後の一台。護衛の小隊はこれが空になった時点で原隊に復帰していただく事になります…以上、なにかご質問は」
特に声は上がらなかった。イアンはうなずく。
「では、任務開始となります。皆さん、よろしくお願いします」
向き直り、中佐に向かって敬礼する。背後の兵士たちがそれに続いた。ゆっくりとした答礼で、中佐はそれに応える。
「総員乗車!」
護衛小隊の下士官が胴間声で号令した。弾かれるように隊列が分かれ、兵士たちが車両に乗り込んでいく。運転手たちもまた、それぞれ割り当てられた装甲書架車のほうに歩いていった。
「天候の崩れはしばらく無いそうだ」
走っていく人々を見ながら、中佐が言った。
「いい話はこの程度だ…本当なら、軍楽隊で送り出してやりたかったがね」
「いりませんよ、そんなもの」
イアンが苦笑いで答える。中佐も小さく笑ったが、それはすぐに普段の鉄面皮にしまい込まれた。
「もう一つの任務の方も、よろしく頼む」
イアンが手に持った鞄を持ち上げてみせた。中に入っているのは、ヴェヌシェ・ジェニアルニの原稿とその遺言状、兵隊文庫掲載に関する数枚の書類だ。第二六連隊にいるというルドルフ・ジェニアルニに接触し、書類にサインを貰わなくては、ヴェヌシェの原稿を兵隊文庫にすることはできない。
「わかってます。先のことを考えりゃ、こっちのほうが重要ですからね」
「そのとおりだ。そしてそれは、君が必ず生きて戻らなければならないということも意味している。それをよく理解しておくように」
「その点に関しちゃ、ご心配なく」
軽口で答えて、イアンは差し伸べられた中佐の手を握った。続けて、無言で差し出されたカルラの手も握る。ラティーカも同じように握手した。
カルラはラティーカの手を握ると、何かを言いかけて、結局
「…気をつけて」
とだけ言った。
ラティーカはカルラの手を両手で握りしめ、笑ってみせた。
「出発準備、完了いたしました!」
護衛隊の少尉が駆けより、報告する。
「それじゃ、行ってきます」
「幸運を祈るよ」
敬礼して別れ、イアンはラティーカと並んで車列の方に歩き出した。
装甲書架車の前にヤーヒムが立っている。律儀に敬礼して、運転席のドアを開けてくれた。
「どうかお気をつけて。お早いお帰りを願っております」
「そうありたいもんですね…留守中、中隊をお願いします。ヤーヒムさんにはこんな事ばっかり言ってますけど」
「任せてください。どうかご自分の心配を第一に…ラティーカさんも、危なくなったらすぐ逃げるんですよ」
「はい。中隊のみんなによろしく」
心配顔のヤーヒムに手を降って、イアンはドアを閉めた。
装甲書架車のエンジンをかける。数回、咳き込むような音を上げてから、騒音とともに車体が震えた。
先頭の護衛車両がクラクションを鳴らした。出発の合図だ。
イアンが窓から身を乗り出して帽子を振る。
前の車に続いて、ゆっくりとアクセルを踏み込む。砂を踏む音とともに、巨大なタイヤが前進をはじめた。装甲書架車十二台の長大な車列が、ヴォヤチェク・フラデツの営門を荘重に通り過ぎていく。
ヤーヒムと中佐たちが見守る中、車列は砂埃だけを残して旅立っていった。
基地の営門を出ても、広大な演習地を出るまでに三十分はかかる。周囲の景色は変化に乏しく、ときおり演習用の施設や掩蔽壕が目に入る以外は、草地と森が延々と続く。
窓の外を眺めていたラティーカが、ふと声を上げた。
「あれ、なんの建物ですかね?」
イアンは助手席の窓にちらりと目をやる。
窓の向こうは草原が広がっている。その向こうに奇妙な建築物があった。
高さは五階建てほどで、細長い三角形をしているらしい。壁は下側が広がるように角度がついている。窓は一つもないが、バルコニーのようなものが等間隔に配置されていた。
「ありゃ建物じゃないぞ」
視線を前に戻して、イアンが答えた。
「ニュース映画で見たことないか?あれが機動要塞だよ」
「え!」
ラティーカは驚きの声を上げて、窓からわずかに顔を出す。
「て事は、あれ、動くんですか」
「現代科学の驚異ってやつだな…たとえ歩きと変わらん速度しか出ないとしても、な」
いつもの皮肉でラティーカに答える。
「陸軍の派閥争いで生まれた怪物だよ。火力はでかいが、大きすぎ重すぎで機甲部隊に追随できない。役に立つのかどうか、怪しいもんさ」
「でも、あれも前線に行くんでしょう?」
「今ここにいるってことは、イーゼ・ランのほうだな。配置はリマノの北だったはずだ。使えそうなものは何でも使う…当たり前の話だがな」
「何でも、ですか…」
不安そうにつぶやく部下を、イアンは訝しむ。
「どうかしたか?」
「…これ、やっぱり持ってなきゃだめですか?」
そう言って、自分の腰回りに手をやった。黒革のウェストベルトにホルスターが吊られている。陸軍の制式拳銃だ。
肩に細いベルトをかけて支えているが、女性としても大柄な方ではないラティーカにはいかにも不釣り合いに見えた。それは自分もそう変わらない事を、イアンは自覚している。
「一応、前線に行くわけだからな…我慢してくれ」
「正直、怖いばっかりなんですよ。自分の足とか撃っちゃいそうで…射撃訓練でもぜんぜん当たらなかったし」
「俺もさ」
諦観のにじむ声でイアンは答えた。
「まあ、大砲の弾や爆弾相手に、役に立つようなもんでもないしなあ」
「だったら」
「とは言え、だ。ちょいと微妙な立場とは言え、俺は将校でお前は下士官だ。周りの目を考えても、丸腰ってわけにゃいかんよ。軍隊ってのはそういうもんだ。それにな」
あからさまにげんなりした顔のラティーカに、イアンは続ける。
「あまり考えたくないが、帝国軍の偵察隊なんかとカチ合う可能性もゼロじゃない。最終的に、自分の身を守る手段は持ってなきゃいけないんだよ」
「…もしそうなったら、撃たなきゃいけないんですか」
「相手の弾が飛んでくる前にな」
顔を青くして黙り込んだラティーカに、弁解するように付け加えた。
「可能な限り安全なルートを取る。ヤバくなったらすぐ逃げる。俺に約束できるのはこれだけだ。すまんが、それで納得してくれ」
「…わかりました」
ぼそりと返事をして、ラティーカは窓の外に目を戻した。そのまま、ふたりとも沈黙する。
彼女の不安は当然だ、とイアンは内心で考える。正規の軍人ではない、学費目当てに本の整理のアルバイトに来たような彼らにとって、こんな事態は予想外もいいところだろう。混乱しないほうが不思議だ。
そんな彼女にこの上、拳銃の「もう一つの使い道」を説明する気には、イアンは到底なれなかった。
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