独立図書館連隊戦塵記

浦河蟋蟀

プロローグ

 その日、帝都は霧雨に煙っていた。

 晩春だと言うのに肌寒い、陰鬱な天気だ。にもかかわらず帝都のハラルディア・シュトラーセは、集まった人々の放つ熱気に包まれていた。

 彼らは雨が部屋に入るのも構わず窓を開け、あるいは服を濡らしながら街路に立っている。多くの人々は笑いさざめき、ときおりその間から「帝国万歳!」「劣等人種に死を!」などといった声が上がった。

 ごく少数の人々は、不機嫌に、あるいは怯えたように黙り込んで、部屋に引きこもっている。子供たちは、夏至祭りが少し早く訪れたようだと、無邪気に考えていた。

 事実、それは祭りと言ってよかっただろう。

 霧の向こうから、楽隊の音が聞こえる。曲は『智慧の城の騎士』。ごく最近に作曲され、全国の大学で演奏されるよう、帝国文部省で取り決められたものの一つだ。

 霧を透かしてぼんやりとした灯りが見えてきた。灯りは徐々に増え、それが長大な隊列が掲げる松明だとわかる。霧に反射して輝く松明は、薄暗い街に幻想的な陰影をもたらした。

 先頭に立つのは、帝都大学の楽隊である。黒の楽隊服に、暗緑色のマント。マントには、大学の校章が大きく刺繍されている。

 その後に続く学生も、服装はまちまちだが、みな一様に校章を縫ったマントを身につけている。歩調を合わせ、軍隊のように、石畳を蹴りながら規則的に行進していく。

 隊列は千人以上に及んだ。

 列の中ほどに、トラックの一群がいた。荷台には校章と国旗、ふたつの旗を持った学生が乗り込んでいる。その足元には、なにか四角いものが、荷台いっぱいに詰め込まれていた。

 本だ。

 夥しい数の本が、ガラクタのように無造作に積み込まれている。

 旗を持った学生は、歩きづらそうに本を踏みつけながら荷台の上を歩き回る。そして誇らしげな笑顔で、街道を埋め尽くす群衆に手を振った。

 長い行列は、歌劇場と百貨店の間にあるベルガー広場へと向かっていた。

 広場には、この催しを一目見ようと、万を超える群衆が集まっていた。周囲の建物から眺める者たちも含めれば、その数はさらに多い。

 広場の中央には、奇妙なものが置かれていた。木材を組んだ演台のようなもので、下には木の枝や薪、紙屑などが押し込まれている。広場の片隅には銀のヘルメットを被った消防士たちが、無表情で立ち並んでいる。

 群衆の視線を集めながら、隊列は堂々と広場に入場した。演奏が続くなか学生たちは整列し、トラックの群れはその後ろに整然と駐車した。

 最後のトラックが停止すると、隊列の先頭にいる学生が号令する。

「かかれ!」

 学生たちが駆け出した。トラックの一つに積まれていた木箱をつかみ取ると、本が積まれた荷台に走り寄る。曲は『勤労学生讃歌』に変わった。

 荷台から本がなだれ落ちる。学生たちはそれを拾い上げ、あるいは荷台に登ってそれを掬い取るように、木箱に本を詰め始めた。一杯になった者は広場中央の演台に向かい、そこに本をぶちまける。

 たちまち、本の山が築かれた。

 トラックの三分の一ほどが空になったところで、作業やめ、の号令がかかった。学生たちが隊列に戻る。

 先頭に立つ首都大学の学生代表が、おもむろに腕時計を見る。楽隊の方に手を挙げると、演奏がぴたりと止んだ。

 広場が沈黙に包まれる。

 自分に視線が集まったことを確かめると、学生代表はマイクに向かって口を開いた。

「生徒諸君。そしてお集まりの皆さん」

 スピーカーからの声は明瞭だ。帝国文部省から寄贈された、最新鋭の機材だった。

「本日は、この歴史的な催しにお集まりいただき、心より感謝いたします。また、会場の使用許可をいただいたヴェストシュルフト区役所の皆様、会場の警備を担当してくださる警察および消防署の皆様にも、謹んでお礼を申し上げます」

 周囲から儀礼的な拍手。

「…さて、皆様。僕の後ろにあるものをご覧ください」

 身振りで示す先には演台と、積み上げられた本の山がある。

「ここに積み上げられた本は、我が大学図書館と、首都の図書館から集められたものです。いくつかご紹介しましょう。たとえば…ヨハン・マクニザール『大陸興亡史』。頭の凝り固まった老人のたわごとを書き連ねた本です」

 聴衆から笑い声が漏れた。代表の弁舌は勢いづく。

「シグルド・ファラウス『精神の働きについて・序論』。性的異常者の妄想です。トビアス・マンハイム『白き頂』。軟弱なインテリ崩れの繰り言だ。エデュアルド・リヒターマルク『塹壕線』。逃亡兵の泣き言に過ぎない」

 一つ読み上げるごとに、笑いが起こる。群衆に合わせて笑っていた代表が、突然、声色を厳かなものに変えた。

「カスパー・メルツァー『資本革命』。危険な書物です」

 群衆が静まり返る。代表は彼らをじっくりと眺め回し、一段と声を張り上げた。

「このように危険で、醜悪で、堕落した書物の数々が、栄光ある帝国の、智慧と歴史の宝物庫である図書館に、あつかましくも紛れ込んでいたのです!それも、これほど大量に!」

 大きく手を振って、本の山を指し示す。学生たちの間から、許すな、燃やせ、という声。

「僕たち学生は、これら悪書のすべてを大学と、首都の図書館から排除することに成功しました。いま、皆さんがご覧になっているものがその成果です。簡単なことではありませんでしたが、帝国の未来のため、偉大なる学び舎を守る我々の義務なのです」

 そして、と付け加えて、代表が右手を上げた。数人の学生が、大きな缶を手に演台へ上がり、その中身を本の山にぶちまける。ガソリンだ。

「僕たちは今ここで、その義務を果たすのです!」

 隊列の先頭にいた一人が、松明を代表に手渡した。

「帝国よ永遠なれ!」

 代表が叫び、学生たちが唱和した。

 本の山に、松明が投げ入れられる。青い炎が本の山を舐め、次の瞬間、業火が高々と空に立ち上った。

 群衆からどよめきと歓声が上がる。

 ふたたび演奏がはじまる。『葬送』。フリードリヒ・シャウピニの名曲だ。

 学生たちが隊列を離れ、トラックから本をつかみ出して火の中に投げ込み始めた。だれもが笑い、歓声をあげている。

「さあ!皆さんも!」

 何人かの学生が、見物人たちに本を差し出す。勤め人らしい男が一冊手に取り、戸惑いながらもそれを火に投げ込んだ。その拍子に山の一部が崩れ、火の粉が盛大に巻き上がる。

 歓声が上がり、学生の一人が男の肩を叩いて笑いかけた。男もはにかみながら、笑顔で応える。

 それをきっかけに、群衆たちは本を火に投げ入れ始めた。

 日没を過ぎ、あたりが暗くなるにつれ、炎は一層美しく、幻想的に街を彩った。『葬送』の重厚な調べに人々は熱狂し、次々と本を投げ込んでいく。ときおり、代表が手を休めては演説を打ち、人々にこの催しの意図を改めて啓蒙した。

 数時間にわたってつづいたこの催しは、人々を激しく熱狂させた。参加者は目を輝かせ、炎と興奮で流れる汗を拭いながら、笑い合い、お互いを称えながら、本を焼き続けた。

 これが、後に帝国全土で行われた焚書の、最初のものだった。

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