犬だって食えない

花里 悠太

離婚届

「仕事、仕事って私だって育児も家事も大変なのよ!」

「だとしても、俺だって仕事頑張ってるんだよ!」


 彼らの小さい子供が寝静まった後。

マンションのリビングでは、子供を起こさないように夫婦が声を殺して言い争っていた。

それなりの給料をもらい、それなりの生活を送り、子供にも恵まれた家庭。

彼らはお互いに対する不満を我慢できなくなって、ついにぶつかり合っている。


「あの子が生まれた時は、育児も家事も手伝うって言ってくれてたじゃない!」

「ゴミ出し、風呂掃除、洗濯はやってるだろ! ちょっと最近帰りが遅くなってるだけじゃないか!」


 彼らが待望の子宝に恵まれて3人家族になってから早くも2年が経とうとしている。

最初のうちは可愛いいばかりだった子供も、夜泣きするようになり、イヤイヤ期を迎え、育児も大変になっていた。

お互いにお互いを支え合う覚悟を決め、家事分担を決め。

何とかここまで夫婦で家庭を支えることができていた。

しかし、この日夫婦はぶつかりあい、机の上には名前と判子が押された緑の紙が置かれている。


「後時々食事だって作ってくれるのには感謝してるわよ! でも遅くなるなら遅くなるって言ってよね!」

「育児頑張ってくれてるのは感謝してる! 連絡できなかったのは悪かったけど仕事の都合ってのもあるだろ! 今度は連絡するよ!」

「子供が体調崩したらどうするのよ!」

「そしたら携帯鳴らせよ! 何としてでも帰るよ!」


 子供が起きないように声は抑えているが、溜まりに溜まった鬱憤うっぷんをぶつけるかのように言い合う二人。

一通り言葉を交わしあうと、妻がふっとクールダウンして緑色の紙に手を伸ばす。


「ここまでかしらね」

「……ああ、そうだな」

「私はもう言うことは無いわ」

「そうだな、俺もいうことは何もない」

「じゃあ、おしまいね」


 言うと、妻は離婚届を引き出しにしまう。

何事もなかったかのように二人は談笑し、子供と一緒に就寝するのであった。


 お互いにストレスが溜まると、離婚届を真ん中に置いて心置きなく言い合う夫婦円満の儀式。

一向に提出されない離婚届は、時々机の上で犬も食わない夫婦喧嘩を見守っている。

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犬だって食えない 花里 悠太 @hanasato-yuta

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