第十件 婚約破棄は突然に?

そして、その時はやって来た。


皇太子ジークハルトの誕生日。

それを記念した晩餐会が、帝城の一室でもよおされる。


肩肘張らない場を皇太子が求め、参加者は自身と年が近い貴族の子弟子女していしじょのみ。


これには裏があった。

婚約破棄を止める者を排除するため、という目論見もくろみが。


貴族の家長は皇帝と同年代も多い。

同年代とまで言わずとも、ジークハルトから見れば倍以上の年齢ばかり。


万が一横槍が入れば、皇太子と言えどもその意見を切り捨てる事は困難だ。


それ故に建前を用意し、絶対に覆す事が出来ない環境を作り上げたのである。


晩餐会に招かれる者の中で皇太子と公爵令嬢の間に割って入れる者はいない。

この場に現れたが最期、コンスタンツェに逃げ場所などありはしないのだ。


そして、この場に来ない、という選択肢は彼女に存在しない。

何故ならば彼女は皇太子の婚約者なのだから。


そんな場のはじ、使用人達に紛れるようにリティは会場にいた。


(今日でお役御免、ようやく終わりですね。さてさて、どうなる事やら。)


会場の中心で友人達と語らう皇太子を見つつ、リティは思う。


万が一の時には身をていして彼を守らねばならぬ、と。


恋慕れんぼ

そんな事はあり得ない。


全ては己の命の為だ。

最後の最後、めでひっくり返されてはたまったものではない。


ここ三ヶ月の苦労を水泡にさぬために。

その決意に応じるように、彼女の眼鏡がキラリと光った。




「コンスタンツェ様!」


女子の声が会場に響く。

その声が指し示すのは、皇太子の婚約者にして仇敵きゅうてきである。


コンスタンツェ・フォン・フィンゼフト。

フェンゼフト公爵の長女にして、品行方正で才色兼備の令嬢。


麗しい外見に清い心を持つ非の打ち所がない、今世いまよの天使。

躊躇ためらいなく他者を殺して己の目的を完遂する、現世げんせの悪魔。


歪みに歪んだ天人天女悪鬼羅刹である。


「やあコニー、よく来てくれた。」

「ジーク様、この度はお招き頂き感謝致します。」


両腕を広げ、ジークハルトは彼女を歓迎する。

それに対してコンスタンツェはスカートの端を摘まみ、貴族の礼をもって返した。


裏を知らなければ、親しき中にも礼儀を重んずる、素晴らしき二人と見えるだろう。


だが、ジークハルトの心中は穏やかではない。

いつもの心を奪われていた時の通りに、彼は彼女に接するのだ。


公式の場という事もあり、彼は両手に白の絹手袋をしていた。

そして右の小指には形を似せた全く違う指輪をめている。


呪具を外した事を気取られないようにするための偽装だ。


コンスタンツェはその類稀たぐいまれなる才知さいちを悪のために使っている。

ほんの少しの違和感でも、何かに気付く可能性があるのだ。


リティによって解放された日から今日に至るまでジークハルトは演技を続けた。


元から愛無きゆえか、それとも自身の策略に溺れてか。

幸いにしてコンスタンツェは彼の変化に気付かなかった。


今この場が、皇太子が主役を演ずる大芝居の大団円なのだ。


リティから見ても、彼は豪胆だと思う。

命を狙われている事を理解しながら、愛しい者として接しているのだから。


中々出来る事ではない。

彼も帝家の男子なのだと、威風堂々たるマクシミリアンの子なのだとよく分かる。


帝国の未来は悲観するようなものではなさそうだ。


(おっと、まだ安心するのは早いですね。準備の方は・・・・・・。)


扉が開け放たれた入口の先。

廊下で話をする人の波の中に紛れるエルに目配めくばせをした。


広げた右手の手のひらをリティに向け、握り、再度開く。

その後に親指と人差し指で輪を作った。


五が二つで十。

丸は全てを表す。


即ち、準備は十全である、という合図だ。


計画実行の時は今。

今度はジークハルトに目配せをする。


彼が視線に気づいた事を確認し、左手中指で眼鏡の中心、ブリッジを押し上げた。

魔石灯が輝くシャンデリアの光が眼鏡に反射し、ちかっ、と瞬く。


作戦決行の合図である。


それを確認したジークハルトは一つ、誰にも気取られないように小さく頷く。


彼は息を吸い、そして会場に響くように声を張り上げた。


「皆!聞いてもらいたい!」


歓談していた会場が一瞬ざわつき、そして静まった。


突然の婚約者の行いに、婚約者であるコンスタンツェも驚いている。

そんな彼女に対して、ジークハルトは言い放った。


「今この場で、コンスタンツェ・フォン・フィンゼフトとの婚約を解消する!」


あまりにも突然の言葉に会場は一気にざわめいた。


ある者は驚き困惑し、またある者はその意図を読もうと試みる。

だが、誰も本当の事など知る由もない。


全ては皇太子の胸の中に。

真実はリティ達の手の中に。


「な、なぜ?何故なのです、ジークハルト様!」


コンスタンツェは突然の事に狼狽ろうばいする。


懇願こんがんするように、すがる様に、彼女は壇上だんじょうの婚約者を見た。


だがその裏に在るものをジークハルトは知っている。

それ故に、彼女を見る目は冷酷となる。


それは魔獣を見るかのような、疑い、恐れ、軽蔑する目だ。


なぜこんなことに?


そうコンスタンツェは考えている事だろう。

そして、この事象の原因を突き止めようと思いを巡らせているはずだ。


(おや。)


はた、とコンスタンツェとリティの視線がかち合う。

公爵令嬢は思った以上にさといようだ。


混乱する会場の中で冷静な人物を探し当てた。

そして、それがこの状況を仕組んだ者と確信したのである。


コンスタンツェは女を睨む。


だが、リティがそんな事でひるむはずがない。

彼女に向かって薄く微笑み返す。


そう。

この状況はコンスタンツェにとって完全に詰みなのだ。


背後にあるのは断崖絶壁、逃げる場所など存在しない。

そのために最後の一手を用意したのだから。


かつ


こつ


かつ


こつ


会場の外から足音が近づく。

その人物を目にした若者たちは驚愕し、行く手を阻んではならぬと道を開けた。


さながら船が海原を行くが如く。

人の波が左右に裂かれ、避けていく。


そして、その人物は混乱し狼狽する令嬢の背後に立った。


気配を察し、令嬢は振り向く。


「!!こ、皇帝陛下!」


彼女の目が見開かれた。

皇帝マクシミリアンはゆっくりと口を開く。


「この場は余の預かりとする。皆、解散せよ。」


完全に無音と言ってもいい会場に威厳ある声が響き渡る。


絶対権力者からの指示に、困惑しつつも一人、また一人と会場を立ち去っていく。


残されたのは二人の当事者と皇帝、そしてリティと皇帝を呼んできたエルだけだ。


エルによって扉は閉じられ、五人だけの空間が出来上がった。


「さて、コンスタンツェよ。」


皇帝は令嬢に声をかける。


「陛下!私は何も!この女が企んだ事に他なりません!!」


コンスタンツェはリティを指さし、皇帝に懇願こんがんする。


だが、彼女自身も分かっているはずだ。

それは無駄な足掻あがきである、と。


「よい、弁明を聞く気はない。」


手で制され、コンスタンツェは閉口する。


次に来るのは死刑宣告だ。


「オプトツィーゲ子爵の娘の殺害、そなたの手によるもので違いないな。」

「!!!」


核心を突かれ、コンスタンツェは驚愕した。


なぜ、皇帝がそれを知っているのか。

いや何よりも、なぜ彼女が死んだ、という事が露呈ろていしているのか。


だが、まだだ。

まだ終わりでは―――


「皇太后となり帝国を我が物とする。帝家への叛意はんい、余が見抜けぬと思うてか。」

「!!!???」


なぜだ。

なぜこんなことに。


その計画は自身と近習の者しか知らない。

彼女が漏らしたのか?


いやそれは有り得ない、あれは自身の絶対の味方だ。


ならば、何故。


そこまで考えて、彼女は思い至った。


ひと月ほど前に、やしきに盗人が入った事に。

何も盗まれなかったが数日は盗人が出入りしていたと報告を受けた事を。


令嬢はリティを睨む。

あの鼠は、確実にこの女、そして皇帝の背後に控える男の二人だ。


だが、もう遅い。

何もかもが遅すぎる。


確実に証拠となる物が存在する。

でなければ、皇帝が出張でばってくるはずがない。


「そ、それ、は・・・・・・・・・・・・。」


言い淀む。

それは肯定と同様だ。


もはや、どうにもならなかった。


コンスタンツェは膝から崩れ落ち、がくり、と肩を落とした。




こうして、婚約破棄は実現したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る