第九件 目覚めは落胆と共に

皇太子の家庭教師を始めて既に一ヶ月。


彼への探りは常に続けている。


両親について。

姉達について。

友人について。


学園について。

教師について。

貴族について。


そして、婚約者について。


その中で、やはりコンスタンツェについてだけが異常だ。


彼女について語る彼は熱っぽい。

もっと言ってしまえば、多少の狂気を感じる。


そして、新しい情報も手に入れた。


学園ではほぼ常にコンスタンツェと共にいる、という事だ。


婚約者であれば、他の女を警戒するために当然とも言えるだろう。

だが、その本性を知る以上は話が異なってくる。


永続的に精神へ作用させる魔法など、そう多くは無い。

だがその全ては、禁呪であったり、大規模な準備を必要とするものだ。


ただ近くに居続けるだけで、どうこう出来るものではない。


しかし今、皇太子はコンスタンツェと離れている。

それでありながら、彼は彼女を強く思い続けている。




一ヶ月、彼に探りを入れながら、色々と考えてきた。


彼の持ち物に何かのまじないを施している。

否、荷物は使用人に持たせるもの、皇太子自身は基本的に何も持ち歩かない。


少女を殺害したのと同じように薬を盛っている。

否、彼の口に入る物は全て毒見されるもの、先に使用人に影響が出るはずだ。


学園や帝城に呪術が仕込まれている。

論外、どちらもそんな事が出来るほど警備は甘くない。


可能性を浮かび上がらせ、そして消去する。

それを続けてきた。


あと一歩、手掛かりが無い。

リティは頭を悩ませる。


「ふぅむ、彼女はどうやって殿下に影響を及ぼしているのか。」

「中々難儀な事で。しっかし、婚約者にそこまでやるたぁ怖いですなぁ。」


エルはいつも通り、机に脚を乗っけながら肩をすくめる。

リティも同意見だ。


「しっかし、周りの連中に気取られない、って、令嬢は魔法得意なんすかね?」

「一般人や他の貴族よりは得意でしょう。・・・・・・他者が気付かない、か。」


エルの言葉に思い至る所が有り、リティは顎に手を当て考える。


「エルさん、もし貴方と私が恋仲だったとして、貴方は何を私に贈りますか?」

「は?いや、俺、局長はタイプじゃないんで。パス。」

やかましい。ただの例えです。別に私じゃなくても良いので。」


えー、と不平を口にしながら、エルはペンを上唇と鼻の間に挟みながら考えた。


「そーっすねぇ。花束、服に靴、首飾りと指輪、宝石、物はこんなとこっすかね。」

「なるほど、参考になります。」


リティの謝辞にエルは一言、はぁ、と気の無い言葉を返した。


彼女は気付いていないが、今まで人と深い仲になった事が無いと宣言した形。

わざわざ自虐発表するなんて、変なへきだな、とエルは思う。


そんな彼の疑問など構わず、リティは深く考えて込んでいた。




今日も同じく、ジークハルトの下へ。

毎回使用人に案内された事で、帝城の中の道も大分覚えてきた。


まあ、それもあと少しの間の話である。

今回の一件が終われば、皇太子への家庭教師もお役御免だ。


そのためにも、さっさとケリを付けたい。

毎回、あの無駄に長い橋を憂鬱な気持ちで渡りたくはないのだ。


「おお、リティ先生。よく来てくれた。今日もよろしく頼む。」

「はい、殿下。」


いつのまにやらリティは愛称で、先生を付けて呼ばれるようになっていた。

それだけ彼に頼りにされている、という事だろう。


本当の役目がやりやすくなる、実に良い事だ。


ここ一ヶ月と同じように、一頻ひとしきり勉強を済ませてお茶の時間。

使用人が一人控えているが、気軽な雑談の時間、と言って差し支えないだろう。


学園生活について。

特に変わりはなく、勉学武芸ともに順調。

友人達とも仲が良く、共に切磋琢磨せっさたくましているようだ。


私生活について。

皇帝から、他国貴族との会談の席に同席するように命じられた。

緊張したが特に問題なく終わって安心したとの事。


婚約者について。

百万の言葉でも足りない位に語りに語る。

やはり、異常だ。


そんな彼の熱弁を受け流しながら、リティは気付く。

ここ一ヶ月、彼の指にそれがある事に。


「殿下、その右小指の指輪はもしやコンスタンツェ様から?」

「ん?ああ、その通りだ。流石リティ先生、お見通しだな。」

「随分と珍しい指輪ですね、少々拝見させて頂いても?」

「構わないが、彼女からお守りと言われていてな、外すわけにはいかないんだ。」


その言葉で確信する。

これが呪具だ。


ジークハルトはリティに右手を軽く差し出した。


彼の瞳と同じ紫の宝石を銀のつたが包むような意匠いしょうのそれほど大きくない指輪。

一見すると地味で、だが綺麗な装飾品だろう。


だが、宝石を包み込む意匠には特別な意味合いがある。

それは『捕らえる』という事だ。


リティが持つ録音用の魔道具も同じ。

あれは、音を『捕らえる』ものである。


この意匠が示す意味、そしてその呪術はすたれて久しい。

第三外局で五年、帝国の陰に日向に駆け回った事で得た知識だ。


意図して調べ、核心を持って彼に『お守り呪い』として渡したのだ。


その指輪が『捕らえた』のは、最早分かり切っている。

皇太子ジークハルトの心だ。


そこらの娘が知るような事柄ではない。

どこで彼女がこの呪法を知ったのか。


それはおそらく、南方貿易商の話からだろう。


南方の先住民に伝わる呪術、それは古き時代の帝国のそれと同じ系統だったのだ。

彼女が買った民芸品はそれに関連する品。


その気になって作ろうとすれば、ある程度の金が有れば作る事は出来る。

そして、それに魔法を込めて自身の婚約者へと渡した。


これをどうにかすれば、状況は好転するはず。

だが、どうするべきか。


奪い取ってぶち壊すわけにはいかない。

後ろにいる使用人が、不敬という大罪たいざいの告発者となるだけだ。


ならば、少しばかり細工をすればいい。


その指輪がもたらしている影響はそれほど強くはない。

魔法の心得があったとしても、所詮しょせんは素人、箱入り娘の仕業だからだ。


海千山千うみせんやませんのリティからしたら、子供の悪戯程度である。


魔力を指先に集中させ、ほんの少しだけ指輪に触れた。


生じている魔法を一時的に妨害ジャミングする。

それだけで十分。


事態は好転した。


「むぐっ、ん、ああ?」


小さくジークハルトはうめき、何度か目をまたたかせた。


その顔には驚きが浮かんでいた。

信じられないものを見るような、不可思議な事象に困惑するような、そんな顔。


「殿下?」

「あ、ああ、すまない。少し疲れが出ただけだ。」


リティの声にジークハルトは軽く首を横に振る。

そして、使用人に茶の代わりを持つように指示をした。


それが示すのは、リティに話があるという事だ。


「先生、これは一体、どういう事、なのでしょうか・・・・・・?」


右の小指から大切だったはずのお守りを外す。

それを持つ左の指は小刻みに震えていた。


ゆっくりと、爆弾でも扱うかのようにそれを机の上に置く。


「彼女が貴方様を操り、そして将来、しいさんとしているのです。」

「な・・・・・・・・・・・・。」


信じられない。

それが言葉ではなく表情からうかがえる。


人の良い彼にとっては青天の霹靂へきれき

愛していたはずの婚約者が自分を殺そうとしているなど考えられない。


当然だ。

余りにも酷で非情な真実である。


「信じられないのは無理もございません。」

「なんと、何という事だ・・・・・・。」

「全て陛下に奏上しております。その上で教育係を仰せつかりました。」

「そういう事だったのか・・・・・・。いや、先生ありがとう。おかげで真実を知れた。」


リティが彼に婚約破棄を、と言うのは不敬だ。

先生役ではあるが、遥かに目下の身分の者が帝家の婚姻に口は出せない。


皇帝が命じたのは、皇太子に婚約破棄を宣言させる事。


その決断を皇太子にさせるまでがリティの仕事だ。


ここまで十分。

皇太子は既に、最大限の不信感を婚約者に抱いている。


「だが、一つ頼まれてはくれないだろうか。」

「はい、なんなりと。」


皇帝からの頼みよりはずっと気楽にリティは返事をした。


「私の誕生日に開催する晩餐会ばんさんかいで宣言する。どうか同席してもらいたい。」

「はっ、かしこまりました。」


その言葉にジークハルトは救われたような顔をした。


「そう言ってもらえて助かる。やはり心細いというか、な。相手が相手だ。」

「いえ、そう思われるのは当然の事、私も可能な限り、協力致します。」

「頼む。」


強い意志を宿した目で、皇太子はリティを見たのだった。

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