第八件 真実知らば哀しみを

「次は家庭教師の真似事っすか、大変ですねぇ。」


同情をしているかのような言葉。

しかしエルはリティの隣でケタケタと笑っていた。


完全に他人事ひとごととして楽しんでいる。


「殴りますよ?」


そう言いながらリティは思いっきりエルの脚を蹴りつけた。


すぱぁん、という良い音が彼の脹脛ふくらはぎから発される。

悶絶するエルを尻目にリティは書類鞄ブリーフケースに資料を装填していく。


十二分に戦力を整え、彼女は第三外局から出発した。


向かうは帝城、皇太子ジークハルトの下である。


大門を潜り、水をたたえた内堀に左右挟まれながら帝城を望む。

門は過ぎているのだが、帝城の入口までは非常に遠いのだ。


その距離おおよそ五百メートル

古き時代、城を守るために巨大な堀が造られ、それによって橋も長くなった。


今となってはただ登城とじょうが面倒になるだけの代物である。


全幅二十メートルの橋の中央は馬車道、左右の端は歩道だ。


リティがすれ違う文官武官、誰も彼もが疲れた顔をしていた。

役人が帝城へ向かうのは面倒事ばかり、そして抱えて戻るのは問題ばかり。


この橋の長さはその憂鬱さを増幅する効果しか無いのである。


リティもその例に漏れず、そびえ立つ帝城を見上げて胃が痛むのを感じるのだった。




公爵別邸など比べ物にならない程に巨大な帝城の中を、使用人に案内されつつ進む。


複雑な構造も古き時代の防衛構造の名残である。

行きも帰りも使用人が付く、道を覚えなくていい事だけが気楽だ。


何度角を曲がり、階段を上ったか分からない頃、ようやく目的地に到着した。


両開きの扉は装飾が施され、明らかに今まで見てきた城内の扉とは異なっている。

ここが皇太子専用の学習部屋なのだ。


なお、私室は別にある。

あくまで学習のための場所だ。


贅沢な事だ、と内心思いつつ、リティは使用人の後ろに控える。


「失礼致します、殿下。リティーレヒ様をご案内致しました。」


扉をノックし、使用人は部屋の主に声をかけた。


「ああ、ありがとう。入ってくれ。」


優しそうな声が返ってくる。


それを受けて使用人は扉を開き、リティを中へと促した。

部屋の境を越え、リティは戦いの場へと入場する。




豪華絢爛な室内には、大きな長方形の机の側に立つ男子が一人。


百八十二センチの背丈と、線は細くとも筋肉がある身体は理想の姿。

父親よりも長い金の髪は、魔石灯の灯りを受けて黄金のように輝いている。


瞳は父よりも明るく、紫水晶アメシストの如き澄んだ色。

その明るさは彼の性格に比するものか、それとも彼が世間を知らぬ無垢ゆえか。


服装も父によく似ているようで僅かに異なる。


赤の布地に金装飾の上のは父とは異なり、一つの金ボタンが三列のシングルブレスト。

下の白のズボンは同じであるが、靴には違いが見える。


黒革の乗馬用のような脹脛ふくらはぎ丈のブーツは同じであるが、赤紐あかひも銀釦ぎんボタンであった。


そして、その表情は父親とは似ても似つかない。

柔和に微笑み、目には慈愛の心が滲んでいた。


彼こそが現皇帝唯一の男子。

ジークハルト・フォン・ゴルベルト=グローニヒ、その人だ。




一目で分かる程に、善良である事がよく分かる人物である。

父親である皇帝マクシミリアンが心配するのが分かる危うい善人だ。


「殿下に国内の諸事を伝える役を仰せつかりましたリティーレヒでございます。」

「ああ、よろしく頼む。私はまだ若く、知らぬ事が多い。色々と教えてくれ。」

「はっ、尽力致します。」


リティは深く礼をする。


本心を裏に隠して。




皇太子ジークハルトは実に真面目な、とても分かりやすい優等生だ。


教えた事は勉学用の雑記帳にしたため、疑問は積極的に尋ねてくる。

遥か下の身分のリティに対しても教師への礼を忘れない。


リティが考え違いを指摘するとすぐさま理解し、怒る事無く感謝を伝える。

問いかけに正しい解答を出す事を心掛け、間違いはその原因を考察した。


数多あまたの教師が見たならば、これほど良い生徒はいないと言うだろう。


だが、国の中に国を孕む帝国をまとめ上げるには素直すぎる、とも言えてしまう。


資質に不足は無いが視野が足らぬ、という感じだろうか。


事実、リティが教える過去の帝国内政の問題に対して、優等生たる解答をしてくる。




ある事業を行う際に金が足らぬ貴族があった。


帝国としては効果が分からぬ事業に金をつぎ込むわけにもいかない。

だが、その貴族はその事業に確実な利益を見出していた。


この場合、帝国を統べる者としての解答はどうするべきであるか。




皇太子はこの問いに、金を出す、出さない、という二択で悩み、うんうんとうなった。

だが、結局答えは出せず、リティにその時の解決策を問うてきた。


この問題の解答は、その貴族が商家から金を借りる、という事だった。


上から金を貰えないならば、自身の周りから集めればいい。

だが税として取るのは領民をいたずらしいたげるのみ。


体面よりも利益を考え、庶民から金を借りて利益が出たら返せばいい。

一時の恥よりも将来の益を得る、それこそが貴族のあるべき姿なのだ。


この視点は彼にとって目から鱗だった様子。

目を輝かせつつも表情を引き締め、雑記帳に書く文字に興奮が見て取れた。


実の所、答えは一つではない。

一と一を合わせれば二となる、という足し算と施政しせいは違うのだ。


皇帝として特例法を作り上げて金を与えても良い。

その貴族が他の貴族に声をかけ、資金を集めるのも有りだろう。


多額でなければ一時的に民から徴税するのも可能である。

無論、利益が出たら還元しなければならないが。


重要なのは利益や損ではない。

その結果に責任を持ち、結果に備える事なのだ。


彼にはまだその視点が無い。

性格そのままに、正解の道は一本しかない、と思い込んでいる。


悪い事では無いが、若さゆえ、といった所だろうか。


かく言うリティもまだ二十三の若者なのだが。




そんなお勉強も一段落、ジークハルトは使用人に茶の用意を命じた。

使用人は部屋を後にし、室内は一時的にリティとジークハルトの二人だけとなる。


色々と確かめるのは今だろう。

リティは探りを入れ始める。


「流石は殿下、飲み込みが大変良いですね。」

「まだ未熟と実感したよ。貴女に教えをう事が出来て私は幸運だ。」


相手を立てる事も忘れない、彼は人たらしと言える。

純粋ゆえの魅力は彼だけの能力だ。


「そう言って頂けますと教師冥利みょうりに尽きます。学園の教師も同じ思いでしょう。」

「そうだろうか?もしそうならば良いのだが。」

勿論もちろんですとも。ところで殿下は学園ではどのようにお過ごしなのでしょうか。」

「む、どのように、か。中々言い表しにくいな・・・・・・。」


ふーむ、と小さく唸りながら、ジークハルトは右手を顎に当てて考える。

自分の事を客観的に説明するのは中々難しいものだ。


「勉学や武芸は新しい事を常に学べている。友人達とも語らう、仲は良いだろう。」

「それは理想的な学園生活ですね。」

「そうなのか?私は他を知らぬから何とも言えないが・・・・・・。」


彼の視野はやはり狭い。


学園で皆とつるむ事が出来ず、一人で寂しく食事をしていた者もいるのだ。

そう、彼の目の前にいる女とか。


余談である。


「婚約者のコンスタンツェ様とも仲が良いと聞き及んでおります。」


コンスタンツェ。

その名を出した瞬間、皇太子の目の色が変わった。


「ああ、彼女は本当に素晴らしい女性だ!私は彼女以上に私を理解してくれる者を知らない。誰よりも私を愛し、夢を語り、未来の帝国を志し、万民を慈しむ、理想的な貴族の令嬢と言えるだろうな。今はまだ婚約という状態であるが、すぐにでも皇太子妃となってもらいたいものだ!」


先程までの柔和な印象はどこへやら。


若者ゆえの恋に身を焦がす姿にリティは若干気圧され、閉口する。

そんな彼女の様子に気付き、ジークハルトは恥ずかし気に苦笑した。


「ああ、いや、すまない。彼女の事となると、どうも、な・・・・・・。」

「い、いえ、それほどの愛の深さがあるならば、帝国の未来は明るいでしょう。」

「そ、そうか。そうであるならば実に良い事だ。」


取りつくろうようなリティの言葉にジークハルトも乗る。

そんなやり取りをしていると、使用人が茶を運んできた。


今日の勉強会と探りはここまでである。


彼に別れの礼をして、リティは再び使用人の案内の下で帝城の外へと至った。




そして、この日の皇太子の様子でリティは理解した。


彼は魔法によってなにがしかの影響を受けている。

そしてその元凶はコンスタンツェである、と。


夕日に染まる帝城をリティは見上げる。

思いのほか早く、事は済みそうだと心に秘めながら。

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