第一件 帝国諸問題のゴミ箱

―――さかのぼる事、三か月前。


「はぁぁぁぁ・・・・・・・・・・・・。」


憎たらしい程に晴れ渡った空にため息が消えた。


門に詰める衛兵に声をかけ、出入り用の小さな扉から外に出る。

少しばかり歩いて振り返った。


天を突くが如くそびえる、我が帝国の象徴たる帝城ていじょうが彼女を見下ろしていた。



年の頃は二十三。


波がかった癖のある、肩口くらいの長さの薄橙うすだいだい色の髪。

それをクリップ式の金の髪留めで首の後ろで纏めている。


赤が強い琥珀色の瞳の前では、細四角の眼鏡が光る。

背負ってしまった厄介事に、瞳は暗い色を含んでいた。


百六十センチちょうどの身体は、ため息と共に猫背となり小さく見える。


上は、白のブラウスに濃い緑のベスト、その上から紺のジャケット。

下は、ジャケットと同じ色の特徴の無いくるぶし丈のパンツ。

足元は、これまた平凡な焦げ茶の革靴。


彼女の名はリティーレヒ・フォン・ラントヴィルツ。

ラントヴィルツ伯爵家の次女であり、帝国内務省に勤める才女である。



と言えば聞こえは良いが、ラントヴィルツ伯爵家は歴史が長いだけの弱小貴族。

内務省勤めといえど、第三外局がいきょくの局長という閑職かんしょくである。


古参の伯爵家という家柄から無視出来ない。

だが、力のある貴族では無い事から重用ちょうようする理由が無い。


その事から適当に部局を作られて、局長の肩書を与えられたのだ。

彼女が統括する外局は、簡単に言ってしまえば『何でも屋』であるだろう。


そんな生業なりわいに適した業務を先程与えられた。


だが、その業務こそが彼女が深いため息をく理由である。


「はぁぁぁぁ・・・・・・・・・・・・。」


存在しない幸運が逃げ出す溜め息をもう一度。

帝城を背に、彼女の職場へと重い足取りを進めた。




帝城の大門から真っすぐ伸びる大通りの坂を下る。

その先に広がる、大龍すらも収まる程に広い凱旋がいせん広場へ。


広場を横断する形で進んだ先の右手。

そこに彼女の職場がある。


正面から見ると釣鐘つりがねのような形の赤煉瓦れんが造りの四階建て。

中央の大扉を開け、建物内部へと進む。


警備を担う兵士に敬礼されつつ、真っすぐ奥へと歩いて行く。

突き当りを右に曲がり、再び突き当りまで直進。


丁字路ていじろを今度は左へと曲がり、長い長い廊下を歩く。


彼女が歩く内務省の建物は、上から見ると蟹の爪のような形をしている。

建築家は何を思ったのか、その脳内を覗いてみたいと常々思う。

まあ、上に伸ばせないから奥に伸ばした、というだけの事だろうが。


爪の根元の四階建ては内務省本局。

つまりはエリート達の巣窟そうくつである。


では爪の先は、というと、出世コースからあぶれた者達の隔離先。

彼女の職場である第三外局を含め、特殊な業務を行う部局やたら名前だけが長い適当な組織が入っている。


爪の先へと到達し、右へ。

蟹の右爪の右端みぎはし突き当り、そこが第三外局の部屋である。


深い茶色の両開き扉と金プレートの部局名が書かれた看板だけは立派な窓際部署。

もはや見慣れたその扉をリティーレヒは開いた。


「ふぁぁ・・・・・・お、リティ局長、お帰りですかい。お疲れ様っす。」


大あくびと共に、部屋へ入ったリティの右から男が出迎えの声をかける。

木製の執務机に両脚を乗せた、何とも横着おうちゃくな姿だ。



百七十八センチの無駄に高く筋肉質な図体ずうたい


ぼさぼさの黒い短髪に全く整えられていない無精髭が彼の性質を示す。

榛色はしばみいろ―ヘーゼルブラウン―の瞳は濁っているように見えた。


白のワイシャツはよれてしわが目立つ。

その胸元のボタンを上から一つ開け、長袖をまくり上げて半袖にしている。


机の上に放り出した両足を包むズボンも、やはり皺だらけだ。

信じられない事に黒の革靴を履いたまま、脚を机に載せていた。


リティから七つも年上とは思えない、いい加減で怠惰たいだな男。


彼はエルヴィン・ツー・アフティランク。

アフティランク男爵家の次男坊にして、第三外局唯一の局員である。



「エルさん、机に脚を載せないで下さい。部外者に見られたらどうするのですか。」


彼に苦情を入れる。

局長からの苦言に肩をすくめ、エルは机から脚を降ろした。


「不在の間、何かありましたか?」

「そういや、さっきまた書類が届きましたよ。机に置いていきました。」


エルは、俺は寝てましたけど、と言葉を付け加えた。

苦情申し立てが少々遅かったようだ。


リティは少しばかり肩を落としながら、扉の反対側にある自身の席に掛ける。


その場所から正面に見えるのは、両開きの扉。

左には、横着かつ無気力な唯一の局員であるエル。


そして右、そこにもエルと同じ机が設置してある。

だが、その場所には定員は存在しない。


いずれ増えるだろうと机と椅子だけを設置したものの、五年経っても空席のままだ。

人の代わりに糸でまとめられた大量の書類束が山を作っている。


そして右手壁際かべぎわには、天井まで付くほどの高さの木製の書類棚。

棚には大量の本が隙間なく収納されていた。


「はぁぁぁぁ・・・・・・・・・・・・。」


リティは三度みたび、大きなため息を吐く。


「なんですか、いつも暗いっすけど、今日は更に暗いですねぇ。」

「いつも暗いは余計です。少々厄介事を受けまして。」

「あー、やっぱろくな事じゃ無かったわけですか。陛下からの呼び出しは。」

「その言い方は不敬ですよ。」


結構年上の部下をたしなめる。

へいへい、と気の無い返事を返して、エルは黙った。




ゴルベルト=グローニヒ帝国。


財政破綻寸前のグローニヒ王国をゴルベルト帝国が助ける形で統合した国家。

帝国の中に王国が残る二重帝国、特殊な事情をはらむ国である。


皇帝にして国王、マクシミリアン・フォン・ゴルベルト=グローニヒ。


彼からの呼び出しを受けたリティは驚愕した。

窓際も窓際、目立つ事の無い外局の局長を皇帝が呼び出したのだから当然である。


執務室へ通されたうえに、皇帝は人払いを命じる。

この時点でリティは寿命が三年は縮んだ気がした。


そして告げられたのは一つの依頼。

何の事は無い、調査依頼だ。


だが、その対象が問題であった。


調査対象は息子の婚約者。

つまり未来の皇太子


コンスタンツェ・フォン・フィンゼフトの事である。


公爵令嬢を調査せよ、という依頼。

人払いをしてまでそれを頼むという事は、何かの思惑があるはず。


それを問うと皇帝は言った。


念のための調査に過ぎない、と。


皇帝は平和裏へいわりに二重帝国成立を成し遂げた傑物けつぶつ

何かの勘が働いている可能性もある。


もしくは下級貴族であるリティには明かせない、何かの思惑があるのかもしれない。


皇帝からの極秘裏な依頼。

いなや、はあり得ない。


たとえ、どれだけ心労で胃が痛くなろうとも。


そんなこんなで、彼女は暗鬱あんうつたる思いで自身の席へと戻ってきたのだ。




「マジすか、それ。いやマズイ、なんてもんじゃ・・・・・・。」

「そう、その通りです。」

「成功ならともかく、失敗したら俺ら、首が飛ぶんじゃ?」


驚きの表情で問うエルの言葉に、リティは頷いた。


首が飛ぶ。

比喩ひゆではない。


公爵家を探るという事は、帝家の婚姻に水を差す形となるわけだ。

万が一失敗してそれが露見ろけんしたらどうなるか。


皇帝マクシミリアンはこう考えているのだろう。

その時に尻尾切り出来る者を動かせばいい、と。


白羽しらはの矢が立ったのが、内務省第三外局。

つまりはリティとエル。


貴族の二人は家に縛られる。

逃げ出す事などできようはずがない。


信用は出来るが、失っても惜しくはない。

そう判断されたのだ。


判断された側はたまったものではない。

突然、生きるか死ぬかの境界線に立たされたのだから。


だが仕方がない。


内務省第三外局ここは厄介事や無理難題が放り込まれる場所。


帝国諸問題のゴミ箱なのだ。

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