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どうしようもなくなったら頼ってくれ、という祐介の厚意に甘える機会は、意外とすぐにやってきた。例のエナドリオールナイトから、二週間後のことである。
夕方、帰宅した達樹が自室でくつろいでいると、瑛士から電話がかかってきた。
『急で悪いんだけどさ、今日、彼女が泊まりに来るからよろしく』
なにがよろしくだ。そういうことはもっと早く言え。――とは口が裂けても言えそうにない。今でも、達樹にとってはキュートなわがまま野郎なのだ。スマホからは、さらに身勝手な『頼み事』が流れてくる。
『彼女、直接うちに来るみたいでさ。もし先に来たらおれの部屋に通しておいてくれない? おれ、あと十五分くらいでそっち行くから!』
「え、俺は? どうしたらいい?」
『どっか適当に泊まってきて。……え? 外泊代? ネカフェやカプセルホテルならそんなにかからないでしょ! おれはいつも自腹なんだからさー、達樹も自腹でよろしく。じゃ!』
言いたいことだけまくし立てて切れてしまった。しかも、なんかめちゃくちゃな理屈をこねていた気がする。スマホをビーズクッションの上に放り投げた瞬間、インターホンが鳴った。
訪ねてきたのは小柄な若い女性。長い髪と猫のような目元が印象的な、かわいい子だった。会ったことはないが、写真で見たことがある。瑛士の彼女だ。大きめのカバンを肩にかけており、本当に泊まるつもりで来たことがうかがえる。
『瑛士くん、来たよー』
連絡をもらってから五分も経っていないのに、もう来たのか。達樹はインターホン越しに応対する。
「同居人です。瑛士なら、あと十五分くらいで帰ってくるよ」
そう伝えてドアを開けると、彼女は達樹を見るなり驚いた。そういえば、今は派手な外出着のままだ。彼女は一瞬だけ怯えたような表情をしたが、達樹に敵意がないことを察し、すぐに警戒を解いた。
「瑛士くんって、本当に五十嵐くんと住んでるんだ」
「俺たち、同郷の幼馴染で。学部が違うから、学校じゃあまり接点ないけど」
「やば、瑛士くんのこと疑っちゃった……ルームシェアなんて嘘で、他に女がいるのかと。あとで謝らなきゃ」
瑛士が頑なに彼女を家に呼ばないため、浮気か二股を疑ったところ、達樹とルームシェアしているから、と言い出した。それで、抜き打ちで確かめに行こうとしたが瑛士にバレて話し合いの末、急遽決まったのが今日のお泊まりだという。
「心配しなくても、瑛士はきみ一筋だよ」
瑛士の部屋に案内された彼女は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい、突然押しかけて」
「いいよ、謝らなくて。不安にさせた瑛士が悪いんだから」
これが俺達の関係を壊した女か……と内心思ってしまったが、良い子そうで安心した気持ちの方が大きい。彼女のせいで崩壊したわけではなく、彼女のおかげで前向きな変化がもたらされた。そう考えるほうが、建設的だろう。
そのとき、玄関の方でバタバタと音がした。ようやく元気なウサギが帰ってきたようだ。
「遅いぞ。来客を待たせちゃダメだろ」
三十分後。「じゃ、あとはごゆっくり」と物わかりの良いフリをして家を出てきた達樹は、駅前のベンチに腰掛けて頭を抱えていた。最低限の荷物と着替えは持ってきたが、この後のことは何も考えていない。とりあえず、祐介に今日は泊めてあげられないことは伝えるべきだろう。スマホのメッセージアプリを開いて連絡を入れると、即座に返信が来た。
『珍しいな。なにかあったのか?』
『追い出された』
さすが祐介、返信が早い。すぐさま電話もかかってきた。通話した方が早いということだろう。
『もしもし? 追い出されたってどういうこと?』
「かくかくしかじかで」
『マジ? そんなことある?』
「あるんだなぁ、それが」
『行くとこないなら、うち来る?』
「え、いいの?」
『言っただろ、どうしようもなくなったら呼んでくれって』
駅前のネットカフェに避難するつもりだったが、彼の厚意に甘えるのも悪くない。ありがたい申し出を受けることにした。
『今どこ? ……わかった、すぐ行く』
ほどなくして、祐介がやってきた。ちょうど授業が終わり、帰路につくところだったらしい。本当は遊ぶ予定をキャンセルして駆けつけたのだが、わざわざ言うことでもないので、達樹にはあえて伏せておく。
「五十嵐くんも大変だな。いきなり押しかけてきて、追い出すかフツー」
「でも、来ちゃったものはしょうがないし。おとなしく退散してきたよ」
諦めたような表情で苦笑いする達樹を、祐介は気の毒そうに見た。
「うち、実家だからちょっと遠いし窮屈かも。それでもいいか?」
「俺は構わないけど……ホントにいいのか?」
心配そうな達樹に、祐介は母親とのトーク画面を見せた。
「大丈夫。大歓迎だって」
大学の最寄駅から電車で一時間。住宅街に林立している戸建ての一つが祐介の実家だ。大学の近くに借りているマンションはもちろん、山の中にポツンと建っている畑付きの実家とも違う、洋風のおしゃれな一軒家。
「おじゃまします」
祐介の両親は、達樹の服装と態度の差に驚いたものの、事情を知ると快く家に上げてくれた。夕飯をご馳走になりながら、家族団欒に混ぜてもらう。半年近く実家に帰っていない達樹には、ちょっとだけ懐かしくてあたたかい空間。
出されたカレーは、中辛をベースに肉がゴロゴロと入ったものだった。達樹が実家で食べていた、辛口の野菜が多めに入ったものとは全く違うが、とても美味しい。スパイスとハーブが効いていて、いくらでも食べられそうだ。
「息子がお世話になってます。まさか、本当に男の子だったとは……」
「そうそう。てっきり、女の子の家に適当に転がり込んでいるものだと」
「オレをなんだと思ってるんだ」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ祐介と両親を微笑ましく見ていると、「ただいま!」と大きな声がした。ドタドタと大きな足音が近づいてきて、祐介によく似た若い女性がダイニングに飛び込んできた。
「お腹空いた! ご飯!」
残業してから満員電車で帰ってきたのだろう。丁寧に結わえられた髪としっかり施された化粧は崩れ、シンプルなシャツとスラックスはシワが寄っている。いつぞやのボロ雑巾にそっくりだ。達樹は笑いだしそうになるのをなんとかこらえた。一人っ子の達樹からすると、きょうだいの存在は少し羨ましい。
「どうも、おじゃましてます」
達樹が挨拶をしてようやく気づいたようで、彼女もぺこぺこと頭を下げた。
「あ、どうも。祐介の姉です」
それだけ言うと大盛りのカレーに手を合わせ、ものすごい勢いで食べ始めた。この細い身体のどこに消えているのだろう。
「それにしてもよかった、祐介の友達がしっかりした子で。大学生になってから、ずいぶん遊んでいるようだから。父さん、心配してたんだぞ」
「ハイハイ。ちゃんと言わなかったのは悪かったって」
「ウチの子、ちゃらんぽらんだけど、よければこれからも仲良くしてあげて」
「ちゃらんぽらんは余計だっての」
祐介らしい賑やかな家族を見ていると、達樹も自然と笑みがこぼれた。
「ご家族が俺を気に入ってくれたのは嬉しいんだけど」
就寝前。客用の布団に寝っ転がった達樹はそう前置きしてから、微妙に引っかかっていたことを訊いた。
「俺のこと、友達だって紹介したの?」
ベッドに座り、スマホをいじっていた裕介が答える。
「だって、それ以外に上手い説明ないだろ。よく一緒に遊んでいるのも五十嵐くんってことになってる」
友達じゃないけど、家には泊める。始発まで過ごせる場所が欲しかった人間と、夜ふかしに付き合ってくれる人を求めていた人間が偶然出会い、利害の一致で繋がった。ただ、それだけの関係。
「嫌だったか? 友達扱いされるの」
達樹はふるふると首を振った。
「悪い気はしないけど……なんか、申し訳ないな。俺、きみに対して酷いことを考えていたから。後ろめたくて」
幼馴染の代わり。虚無を埋めてくれる存在。庇護欲を満たしてくれる弱い生き物。あわよくば、それが自分を頼って依存してくれるほどの関係に――。
「でも、きみが俺の目を覚ましてくれた……と思いたい。うん」
ある意味、恩人みたいなものかもしれないね、と達樹は言葉を続けた。あれ以来、ずっと考えて、瑛士や実家とも相談して決めたことがある。
「あの部屋、引き払おうと思うんだ。ルームシェアを解消する」
ようやく幼馴染離れする決心がついたようで、その顔は晴れ晴れとしていた。引っ越しは夏休みの間に終わらせる予定だという。
「だから、あの部屋にきみを泊めることもない。もう二度と、都合の良い存在として扱わない」
それはまるで、自分に言い聞かせるようだった。瑛士と離れて暮らしてうまくいく確証も、祐介に依存しないと言い切れる自信もないのだろう。それでも、達樹の決断を嬉しく思った。
「じゃあオレも、成人するまで酒飲むのやーめた」
ごろんと大の字になって言う。
「どうして?」
「オトナの楽しみはそのときまでとっておく、ってやつに乗っかってみたくなったから」
半分は本当だが、もう半分は嘘だ。達樹がどうしようもない人間を卒業するのなら、自分も同じように努力すべきだと考えのだ。対等な友人なら、お互いを引き上げる関係でいたい。重いから言わないけれど。
「今日は大変だったな。ゆっくり休めよ」
「うん。……ほんと、ありがとね」
そっと目を閉じ、意識を手放す。
日付が変わる前に眠りについたのなんて、いつ以来だろう。
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