3

 気の抜けたエナジードリンク。あるいは、ボロ雑巾。深夜一時に現れる妖怪かもしれない。祐介はいつも、かろうじて人の形を保った状態でやってくる。

 だが、この日は少し様子が違っていた。

「よぉ」

 いつも通りに差し出されたコンビニ袋には、サワークリーム味のポテトチップスとピンク色の見慣れない缶が一つ。それがエナジードリンクだとわかると、達樹は顔をしかめた。またこんなものを飲んで。先週、気持ち悪くなったのをもう忘れたのだろうか。

「早くない? いつも、日付が変わってから来るのに」

 不思議に思って祐介を見ると、彼の身なりが比較的ちゃんとしていることに気が付いた。服装自体はいつもの格好だが、目立った汚れや乱れはなく、お酒の匂いもしない。

「もしかして……飲んでない?」

 うなずく祐介。どういう風の吹き回しだ。やっと、学習したのだろうか?

 不思議に思っていると、祐介が飲み会を早めに切り上げてきたことを告げた。

「今日は五十嵐くんと話したい気分でさ。……ダメか?」


 グラスを二個取ってきた達樹は、当たり前のようにソファを陣取っている祐介を見る。終電がある時間帯に彼がやってきたのも、家に上げるのも初めてだ。帰宅できるなら追い返すべきなのかもしれないが、子犬のような目であんなことを言われたら、放り出す気にもなれない。

 缶を開けながら、祐介が訊く。

「今更だけど、カフェインは大丈夫なの?」

「平気だよ」

 缶だけじゃなく、液体そのものまで鮮やかなピンク色だ。一口飲んでみると、エナジードリンクとは思えないほどフレッシュでフルーティーな味がした。まるでトロピカルジュースだ。

「オレのおすすめ。どう?」

「うん、悪くない。サワクリにも合うし」

 ポテトチップスをつまみながら答える。売り切れだったトリプルコンソメの代わりに買ってきたものらしいが、これもかなり強烈な濃さだった。身体に悪そうな食べ物は、同じく身体に悪そうな飲み物を合わせるのがいちばん美味しい。

「そういや五十嵐くん、今日は部屋着じゃないんだな」

 祐介が思い出したように訊く。今日の達樹は、紫と黒の柄シャツに黒のワイドパンツを合わせ、髪もワックスで丁寧にセットされていた。アクセサリーを外していることを除けば、大学で見かける恰好そのままである。

「バイトから帰ってきたばかりでね」

「へぇ。どこでバイトしてんの?」

「映画館。週に三回くらい」

 それでよく映画を見ているのか、と裕介は納得してうなずいた。

「なんか……ぽいな」

「そうかな」

 上京してすぐ、生活費と小遣いを賄うために始めたアルバイト。家から近くてシフトの調整もしやすいという理由で選んだ。映画そのものに興味はなかったのだが、今では趣味と言えるくらいの数を観るようになった。バイト仲間は真面目で他人に干渉しない人が多く、物静かな達樹の性格にも合っていた。

「前々から気になってたんだけど、その服って趣味? 似合ってるけどなんか……」

「違和感ある?」

 祐介がうなずく。これはこれでかっこいいのだが、輩っぽすぎるというか……達樹のような好青年には、もっときれいめの恰好がしっくりくる。

「そりゃそうだよ。半分は趣味だけど、もう半分は自衛のためだから」

「自衛?」

 首をかしげる祐介。達樹がグラスを傾けながら言う。

「昔からナメられやすくてね……」

 柔和なタレ目。標準よりもやや低めの身長に、華奢な体型。おとなしい性格。そのせいだろうか、昔から、高圧的な人間に絡まれることが多かった。

 しかも、生まれ育った田舎には高校がなく、通える距離にあったのは、治安が悪いと評判の学校のみ。カツアゲや財布を盗まれたなんて日常茶飯事で、自転車のパーツを外されて売られたなんて話まである。

「俺の家、路線バスもない山の中なんだ。だから、バイク通学の許可が下りたんだけど。こんな学校だからさ、怖いじゃん」

 バイクになにかあったら、帰宅すらままならないのである。

 そして、自衛のために始めたのが『ヤンキーのコスプレ』である。夏休みを利用してピアス穴を開け、制服を少しだけ着崩してみた。話しかけにくい雰囲気をまとい、『寡黙で怖い一匹狼』のイメージを定着させることに成功した。

「そのかわり、友達もできなかったけど」

 できたとしても、あまり良い友達ではないのだろう。

 祐介は「どこの世界の話をしているんだ?」と言いたげな顔で達樹の話を聞いていた。都会っ子の裕介からしたら、環境が選べないなんて信じがたい話だ。付き合う友達も通える学校もそれなりに選択肢がある。それが当たり前だと思っていた。

「で、大学生になってからもそういう恰好をしている、と」

「うん。だって、都会は怖いっていうし」

「おまえの田舎の方が怖えよ」

 ポテチを三、四枚まとめて咀嚼しながらあきれた声で言う。

「でも、半分は趣味なんだよな。好きなの? いかつい感じの服」

「だって、カッコイイじゃん。ライダースとか、スカジャンとか」

 少しはにかんだように笑う達樹。

「でもさ、その……友達できないのつらくない? 言っちゃあなんだけど、大学でもちょっと浮いてるじゃん」

 もう少し親近感を意識するだけでも変わるだろうに。もったいないな、と裕介は思う。世の中そんなに悪い奴ばかりでもない。彼の人柄をもってすれば、良い関係を築ける人間が自然と寄ってくるはずだ。

「意外と平気だよ。学業もバイトも問題ないし。それに、一緒に上京してきた友達がいるから寂しくないよ。ここでルームシェアしてて――」

「え」

 ちゃんと友達いたんだ――ではなく。何か今、重大なことをサラッと言った気がする。祐介は達樹の顔をまじまじと見た。

「ルームシェア? ここ、他に住人がいるのか?」

「そうだよ。そういえば、言ってなかったね」

 一人暮らしには広いと思っていたが、ルームシェアしていたとは。もしかして、リビングと思っていたのは達樹の自室で、寝室だと思っていたもう一部屋はシェア相手の部屋なのだろうか。言われてみれば、洗面所にコップや歯ブラシが二つずつあった気がする。

「オレ、しょっちゅう泊まりに来てたけど、大丈夫だったの?」

「心配ないよ。週末……きみが泊まりに来るとき、あいつはいつも外泊してるから」

 達樹はため息をついてグラスに口をつけた。その表情に少し困ったような、憂いのようなものを感じ取った祐介は、同居人について聞いてみた。

羽鳥はとり瑛士えいじっていうんだけど。知ってる?」

「あー……軽音サークルの。インスタで繋がってるけど、それだけだな」

 顔が広い祐介は、学部やサークル、学年の違う知り合いも多い。瑛士もその一人だ。知っているといってもフォローされたから返しただけで、直接話したことはない。自撮りを見た印象としては、女子にモテそうなうさぎ系男子といった感じだ。硬派な達樹と仲が良いと言われてもピンとこない。そもそも、一緒にいるところを見たことがない。この二人がルームメイトだと知っている人間は少ないだろう。祐介の知っている範囲では、噂レベルでも存在しない。

「で、その羽鳥くんとなにかあったのか?」

「具体的になにかあったわけではないんだけど、ちょっとね。……話すと長くなるよ」

「いいぜ。オレ、まだまだ眠くないから」

 祐介はニカッと笑って、グラスを揺らした。

 なんのためにエナジードリンクを持ってきたのか? なぜ、お酒を飲まずに素面でここへ来たのか? そんなもの、夜ふかしするために決まっている。今夜はとことん、達樹自身のことをしゃべってもらうつもりだ。

 現在、深夜一時三十五分。まだまだ夜は長い。


 小学校ですらスクールバスで通うしかない秘境に住んでいた達樹だが、奇跡的に同い年の幼馴染がいた。それが、羽鳥瑛士である。幼い頃はよく一緒に遊んだもので、中学まではお互いべったりだったという。

「瑛士って典型的な末っ子タイプなんだよね。甘え上手でさ。で、俺は逆に頼られると嬉しいタイプ。だから、瑛士のワガママについつい流されていた」

 おもちゃがひとつしかなければ譲る。種類の違うお菓子があったら分け合う。宿題を忘れたと言われたら写させてあげる。瑛士がやりたがらないことは、達樹が代わりに引き受ける。

 傍から見れば「おまえはそれでいいのか?」と言いたくなるような関係だが、それでもよかった。限界集落のなかに、自分と遊んでくれる同い年の子どもがいる。それだけで恵まれていると本気で思っていた。

 わがままなお坊ちゃまと、つい甘やかしてしまうお兄ちゃんのような感じだろうか。そう考えると、マンガに出てきそうな良いコンビかもしれない。

「まぁ、そのせいで他の奴から気弱そうに思われて、ナメられる原因にもなったんだけど」

 自他共に認めるニコイチだった彼らだが、高校進学を機に疎遠になる。瑛士は県内の都市部に住んでいる親戚の家に下宿してしまったのだ。過保護な瑛士の両親は、彼を荒れた地元の高校に入れるのを嫌がったのである。

「それでも、二、三ヶ月に一回くらいは会ってたよ。最初は俺の恰好を見て驚いていたけど、中身があまりにも変わってなくて大爆笑された」

「羽鳥くんに会うときもあのファッションなわけ……?」

「下宿先の街で会っていたからね。県内とはいえ、都会だし。自衛は大事だよ」

 祐介は憐みの目を達樹に向ける。都会をなんだと思っているんだ。実は世間知らずのアホなんじゃないか……と祐介は思い始めた。

 時は流れて高校二年の冬。大学への進学を希望していた二人は、志望校が同じであることを知る。上京させるのは不安だからと地元の大学を希望していた瑛士の親が、達樹の親に相談したことで偶然発覚した。達樹の親もまた、費用的な問題で息子の上京を渋っていた。

「それで、二人で一緒に上京するなら、という条件で受験を認めてもらえた」

 片方だけでも不合格だったら、併願で受けた地元の大学に行くことになる。

自分のせいで相方の進路を潰すわけにはいかないというプレッシャーもあり、お互いに励ましあって受験勉強を乗り越えた。

「びっくりしたよ。やりたくないことは俺に押し付けてでもやろうとしなかった瑛士が、苦手な科目も熱心に取り組んでいて。それだけ本気だったんだろうね」

 晴れて二人とも無事に合格し、この部屋でルームシェアを始めた。それが、一年前の春。

「なんていうか……えらいな。オレ、通いやすさと偏差値で適当に選んだもん、今の大学」

 感心する祐介。ここまでの話を聞いた感じだと、とくに問題はないように感じる。あらゆることを共有できる、良い友達じゃないか。

「今思うと、受験のときが俺たちの友情のピークだったのかもね」

 達樹はアンニュイな微笑みを浮かべて頬杖をつく。

「……おっと?」

 雲行きが怪しくなってきた。そう、大学進学はゴールじゃない。そして、ここからさらに上昇するとは限らないのである。

 達樹はふぅ、と息をついて祐介の方に顔を向けた。まっすぐ向けられているタレ目はどこか寂しげで、泣き出しそうにも見える。

「ごめんね暁くん、俺、ひとつだけ嘘をついた」


――嘘をついた。

その一言で察しがついてしまった祐介だが、最後まで聞くと決めたので、おとなしく先を促す。

「なんだよ改まって」

「さっき、寂しくないって言ったよね。嘘だよ。ほんとはそんなことない」

「ほらー、やっぱり」

 羽鳥瑛士の人物像。五十嵐達樹の性格。そして、田舎から出てきた大学生が陥りやすいあるあるを考えれば、二人になにがあったのか、おのずと見えてくる。

「羽鳥くんに、恋人ができたんでしょ?」

 というか、そうであってほしい。怪しげなバイトに手を出したとか、宗教やマルチにハマっただとか、最悪のケースはいろいろ考えられるのだが。もしそうだったら、とっくに実家に連れ戻されているだろう。達樹の口ぶりからしても、そういった深刻な事態ではなかったと思われる。

 それなら、恋人ができたことで友人関係が変化した……というのが、現実的な予想になる。この先は答え合わせのつもりで聞くことにしよう。

「よくわかったね。だけど、それだけじゃないんだ」

 念願の上京を果たし、達樹は今まで以上に気を引き締めて新生活に臨んだ。一方、瑛士は受験から解放され、地元を脱出できた喜びから、本来の甘ったれに戻ってしまった。掃除、洗濯、買い物、おかずの作り置き、公共料金の支払い、その他生活に必要なあらゆることを、達樹に丸投げした。入居するときに二人で分担すると決めていたはずなのだが、瑛士はかわいくお願いすれば達樹がやってくれることをよく理解していたのである。

「五十嵐くんはそれでいいの……?」

 普通ならその時点でブチ切れて取っ組み合いの喧嘩が始まってもおかしくないと思うのだが。祐介なら即座に荷物をまとめて出ていくだろう。

「あいつ、生活費を多めに出してくれてるんだよね。仕送りをたくさんもらっているみたいで、倍の額を負担してくれているんだ。実質、あいつの親御さんからも世話してやってくれと頼まれているようなものだよ。おかげで、お金の心配はないけど」

「マジでそれでいいの……?」

 お金の問題じゃないだろ、と祐介は口を尖らせた。達樹が自分のために使えたはずの時間を、瑛士は奪い続けているのに。お互い、その自覚はあるのだろうか。

「そう、お金の問題じゃないんだ。あざとい仕草で『ありがとう、頼りにしてるよ』と言われると、まぁいいかってなっちゃうんだよね」

「それ、思いっきりナメられてないか?」

「瑛士は特別だよ。それに、あいつも、達樹がいないとダメなんだーってよく言ってたし」

 ナメられるのが嫌いで自衛意識の高い達樹が、歪さに気づけないほど絆されている。先ほどは良い友達だと思ったが、認識を改めないといけない。瑛士はなんでも代わりにやってくれる達樹に甘えっぱなしで、達樹はそんな瑛士を甘やかすことに喜びを感じている。

 この二人、地元にいる間はずっと共依存関係にあったのでは? そして、瑛士が恋人という新たな依存先を見つけたことで、その関係が崩れたのだろう。

 祐介が予想していたより、湿度が高くて重い関係だった。てっきり、瑛士が恋人につきっきりになり、会話が減ったり価値観に違いが出てきた程度だと思っていた。

「もしかして、羽鳥くんってあまりここに帰ってきてない?」

「どうしてわかったの? そう。あいつ、彼女さんのところで半同棲してるんだよ。たしか先月くらいから、かな……」

 おそらく、瑛士は気に入った人間にとことん甘えるタイプの人間だ。彼女が尽くすタイプだったらなおさらだ。親の言いつけでルームシェアしているだけの幼馴染なんてどうでもよくなってもおかしくない。というか、それが普通だろう。いつまでも親や地元の友達に甘えているより、恋人に甘やかしてもらう方がはるかに健全だと祐介は思う。

 問題は達樹だ。彼もまた、幼馴染離れをするべきなのだが、「寂しい」と自覚してしまった以上、独りでも平気だと強がるのは限界なのかもしれない。精神的に自立できているなら、とっくにルームシェアなんか解消しているはずなのだ。双方の親には怒られるかもしれないが。

「で、ここから先は暁くん、きみにも関わってくる話なんだけど」

「オレ? なんで?」

「瑛士が帰ってこなくなった頃、きみがやってきた。……なぜ、俺が友達でもない酔っ払いを泊めて、親切に世話を焼いていたのか。考えたこと、ある?」

 祐介は黙って首を振る。疑問に思うことがなかったと言ったら嘘になる。だが、迷惑じゃないならいいか、と目を背けてきた問題でもあった。

「俺、無意識のうちに瑛士の代わりを探していたのかもしれない」

 最悪なことを口走っている自覚はあった。

 代わりとはつまり、新たな依存先である。


 瑛士の外泊が増えてきた頃、達樹は瑛士との会話が減り、寂しさを感じるようになった。丸投げされた家事のモチベーションが保てなくなり、正気に戻りかけると同時に虚無感に苛まれた。俺は一体なにをやっているのか、と。タッパーに二人分の作り置きを詰めながら、溜まった洗濯物を干しながら、二人分の公共料金の請求書を見ながら、ぼんやりと考えた。

 顔を合わせることが減った以上、面と向かってお礼を言われることもない。瑛士の笑顔がなによりの対価だったのに。これ以上頑張る意味なんてあるのだろうか。しかし、生活費を受け取っている以上、頼まれたことはこなさないといけない。完全に放り出すことはできなかったが、次第に手を抜くようになった。

 この頃から、眠れない夜が増えていく。これまで瑛士のために使ってきた時間を取り返すように、夜更かししてダラダラするようになった。

 そんなとき、終電を逃して途方に暮れた、酒が飲めない酒クズが訪ねてきた。暁祐介である。

「話を聞いたら、お人好しで有名な前の住人を頼ってきたというじゃないか。じゃあ、暇つぶしに俺がそのお人好しになってみようかなって思い立って」

「それで泊めてくれたのか? バカじゃねぇの。いや、オレがそんなこと言う資格なんかないんだけど! あのときはマジで助かったし」

 ひどくあきれた様子の祐介。達樹は神妙な面持ちで続ける。

「助けられたのは俺の方だよ。あまりにも、こちらに都合が良すぎるんだ」

「都合がいいって……なんで? 俺、迷惑かけた記憶しかないんだけど」

 怪訝な顔で達樹を見る。優しげな瞳が、どんどん暗く澱んでいくのは気のせいだろうか。

「あの夜、きみと出会って気づいたんだ。べつに、瑛士じゃなくてもいいんだなって。気づいたら絆されているような、人懐っこいダメ人間。そんな人が俺を頼ってくれるなら誰でもいいって」

 虚無を埋めてくれる、新たな存在。それが、瑛士の代わり。心のどこかで無意識に探し求めていたが、友達すらほとんどいない達樹がそう簡単に出会えるとは思えなかった。それが、ポンと目の前に現れたのである。

「絶対、逃しちゃダメだって思った。直感で」

 あの時、祐介も同じように思った記憶があるが、これからも仲良くできたらいいな、というだけで、深い意味はなかった。なにより、十年以上の付き合いがある幼馴染の代わりが、自分に務まるとは思えない。

「いや、きみは十分すぎるくらいだよ」

 達樹からしたら、代わりとしてこれほど望ましい人間もいないのである。少し優しくするだけで信用してくれて、他の人には話せないような愚痴を延々と聞かせてくれる。やってくるのは瑛士が帰ってこない週末の夜が多いのも都合が良い。お菓子を食べながら適当に相手をしているだけで、気を紛らわすことができる。あとは、相手もこちらに依存してくれたら完璧だ。

「つまり、酔っぱらったオレが厚意に甘えれば甘えるほど、五十嵐くんは精神的に満たされる……と」

「まぁ、そういうことだね」

 うなずく達樹の瞳は、夜の海のように真っ暗で穏やかな色をしていた。

「オレは世話になっている身だから偉そうに言えたことじゃないけどさ、五十嵐くんはそれでいいわけ? その……オレを代わりにすること」

 達樹は少し考えてから口を開いた。

「それでいいと思っていたけど……今、素面のきみと話していたらダメなことのような気がしてきた」

 頼られたり甘えられると嬉しい。自分だけに弱みを見せてもらえると、信頼されている気がする。そういった感覚は誰でも多少は持っているものだが、達樹の場合は少し行き過ぎていたのかもしれない。

「同じだと思っていた。きみも瑛士も。生活費と引き換えに面倒を見てもらおうとする瑛士と、手土産と引き換えに泊めてもらおうとする暁くん。一般的にはきみたちのような人間をどうしようもない奴って表現するんだろうけど――」

 達樹は断言する。

「本当にどうしようもないのは、そういう人間を甘やかすことで庇護欲を満たしている俺の方なんだよね」


 ――どう反応したらいいかわかんねえ……。

 重い空気に耐えられなくなった祐介が、スマホの時計を確認する。現在、午前三時半。山盛りのポテトチップスはバスケットの底が見えてきた。二人とも途中から食べる手が止まっていたのに、思ったより減りが早い。もう一袋買っておくべきだったな、と後悔した。

 グラスが二つとも空になっていることに気づいた達樹が、冷蔵庫からコーラのペットボトルを持ってきて注ぎ入れる。静かな部屋に響く、炭酸の弾ける音が少しだけ、場の空気を軽くしてくれた。

「……今更だけど、引いたよね。思いっきり失礼なことも、だいぶ気持ち悪いことも言った気がするし」

 コーラを啜りながら達樹がため息をつく。

「べつに構わねえよ」

 人間関係なんて、客観的に見たら「よくわからない」と「気持ち悪い」で八割が構成されている。真っ当でわかりやすいのは、残りの二割だけ。その八割をここまで言語化したのだから、たいしたものだ。

「それだけ客観視できているなら、大丈夫だよ。このままじゃ良くないって気づけたんだろ?」

 祐介は励ますように、達樹の背中を軽く叩いた。

「まさか、きみに慰められるとはね……」

 苦笑する達樹。今のしっかりした祐介に、ボロ雑巾じみた酔っ払いの面影はない。

 これが酒でダメになる前の姿か、と改めて思う。本当は、甘やかされる必要なんてないのかもしれない。だからこそ、弱っているところを見せられるとついつい構ってしまいたくなるのだが。悪い癖だ。

「たまにはいいだろ」

 人間、誰だって調子がいい時と悪い時がある。そういうとき、互いに助け合える関係は理想的だ。祐介としては、達樹とそういう対等な友人になれたら嬉しい。

「また、どうしようもなくなったときは呼んでくれよ。力になれるかはわかんねぇけど」

「……うん。ありがとう」

 微笑む達樹。その顔に翳りは見られなかった。

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