第一章『??の鍵』⑨

 桃鎮似学園は山奥に建てられているからか、9月だというのに残暑の名残は薄かった。つまり、ナルの肌は風の冷たさを感じていた。

 おまけに濃い闇を照らす電灯は申し訳程度にしかなく、森の葉がざわめく音とあわせて、夜の桃鎮似学園はあまりにもおどろおどろしかった。

「じゅりあ……どこにいるの?」

 こんなおっかない場所に、じゅりあは彷徨い出ているのだろうか。

 そう思うとナルは気が気でなく、自然と速足になった。

 学生寮は生徒の自室以外をくまなく探したがじゅりあはいなかった。学園には携帯電話を持ち込めないので、連絡の取りようもない。

 ひゅるりと風が吹き、ナルの首筋を撫でる。そのたびにナルはぶるりと震え、足が止まりそうになった。

 けれども日中に、懇切丁寧に学園を案内してくれたじゅりあの顔を思い出して、なんとか踏ん張った。

「……ママ……」

 ナルは、心の中でいつも励ましの言葉をくれる母親の偶像に縋った。

「……ナル……ママのはちみつミルクが飲みたいよ……」

 はちみつミルクは、母親がよくナルに振る舞ってくれた思い出の象徴である。

 どんなにくじけても、どんなにめげても、マグカップになみなみと注がれたはちみつミルクが、ナルに新しい元気をくれた。

「……うん?」

 ナルはぴたりと立ち止まった。

 怖気づいたからではない。

 風が吹き、木々が揺れ、古い電灯が点滅を繰り返し、香りが運ばれてくる。

 すん、と鼻を動かしてみた。

「……この匂いは……」

 ナルの舌に優しく甘い幻が広がり、胸の奥底で切ない気持ちがぱちんと弾ける。

「……はちみつミルク?」

 そして、誘われるように匂いの元へと向かった。



 



 賢いビアンカ、美しい娘。わたくしの宝物。

 きっと、誰よりも素晴らしい魔法使いになるわ。

 お母様にはね、無理だったの。

 でもね、あなたのお母様になれて、私は本当に幸せよ。

 幸せなの……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る