第一章『??の鍵』③

「桃鎮似学園は200余年の歴史を誇る名門校なのぉ。その起源は異国から現れた宣教師が少女たちを集めて拓いた学び舎でぇ……」

 金持ち学校だけあって土地を持て余しているのか、校門から校舎までの道のりは嘘のように長い。校門の外はただの森だが、校門の内側は少しばかり人の手の入った小奇麗な、ただの森である。

 ナルはじゅりあの一歩後を、うつむきながら歩いていた。

 赤ちょうちんとおっさんが手に持つ発泡酒だけしか輝きを持たない汚い故郷が、こんなに懐かしく感じられる日が来るとは思わなかった。

「……古い学校だけど、セキュリティは万全なのよ~? この学園、とても風紀が厳しいのぉ。生徒は悪さを決してできないし、去年からは『鬼の風紀委員長』が目を光らせているから外部からの脅威に対しても安全なんだから~。……篠宮さん、篠宮さぁん?」

 ナルはハッとして顔を上げた。

 じゅりあが不思議そうに首をかしげてナルの目を覗き込んでいる。顔と顔とがとても近く、ナルは鼻をくすぐる甘い香りと女子校特有の距離感に若干うろたえた。

「…………あーごめん。『シノミヤ』って呼ばれるのに慣れてなくて」

「どういうことかしら~?」

 じゅりあの無垢な瞳に見つめられ、ナルは決まりが悪くなった。

 ナルはいつも自分で雑に切っているセミロングの髪をぼりぼりとかく。――隠していても仕方ないか、とじゅりあから視線をそらした。

「うちさ、ずっと片親だったの。で、アタシがチビんときに女を作って家出した親父のせいで貧乏し続けてきたうちの母親は、先月めでたく大手企業おーてきぎょーの経営者一族のおっさんと再婚して、アタシはそのとばっちりで名字が変わったってわけ」

 じゅりあは口元をそっと両手で覆った。

 マンガのお嬢様そのもののリアクションだな、とナルは皮肉交じりに感動する。

「前の名字は加藤っていうんだ。こっちのがしっくりくるんだけどな、アタシは」

「……篠宮さ……」

 じゅりあはそう言いかけて、首を横に振った。毛糸のような髪が左右にふわふわと揺れた。

「……ごめんなさい。じゅりあ、あなたを傷つけたかしらぁ?」

 始終のんびりとした様子でナルに語りかけてきたじゅりあは、ここにきて幼い子供のようにしゅんとしてしまった。

「うぇっ!? あ、ご、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだよ!」

 ナルは慌てた。それまでの、義父への反抗でつっぱってきた態度を崩して、それはもう慌てた。

 自分の言葉で目の前の少女が落ち込んだとあってはナルは冷静ではいられない。じゅりあは身長が150cmに満たないナルよりもさらに小さく見えるので、舌足らずなしゃべり方も手伝って余計にいじめているように感じてしまうのだった。

「傷ついていない、傷ついてないよ! いや、うん、ほら、親の再婚でバタバタしてて超疲れてるのはホントなんだけど、別にアンタの一言が心無いとか全然思っていないから!」

 目尻にほんのり涙を浮かべるじゅりあは、『ほんとぉ?』と風にかき消されてしまうほどの小さな声で言った。ナルは力強く、何度もうんうんと頷く。

「……よかったぁ」

 じゅりあは、にっこりと笑った。

 その笑顔の眩しさにあてられ、ナルは自分の行動を顧みる。

 じゅりあは、いかにもな『深層の令嬢』といった雰囲気の姿をしていた。

 フランス人形のように小柄で愛らしく、さらに奥ゆかしい楚々としたたたずまい。ナルが桃鎮似に編入する前に思い描いていたお嬢様像とかなり一致していた。

 だからだろうか。ナルは、ひどく偏った目でじゅりあを見ていたような気がした。

 自分とは違う世界に生きる、決して交わることのなかったはずの人種。苦労したところで心が通うわけがないと、心の片隅で諦めきっていた。

「うん、ホントごめん」

 ナルは改めて謝った。今度は頭を下げた。

「そんなに謝らないでちょうだいな」

 じゅりあはナルに顔を上げさせる。

「わたしたちはこれから寝食を共にするルームメイトだものぉ。だから加藤さんとじゅりあはもうお友達よぉ」

 じゅりあは小さな身体で胸を張って、腰に手をあてた。

「困ったことや悩みがあったら、なんでもじゅりあに相談してちょうだぁい」

 じゅりあの行動や言動がいちいち眩しく見えて、ナルは自分という人間がひどくちっぽけに感じた。

 桃鎮似学園に来る前、ナルは誰とも慣れ合わないつもりだったのだ。お嬢様連中が、どうせ庶民上がりの自分を人間扱いするはずなどないと。

 しかし、現実は違った。

「ナルって呼んでよ。アタシのことを知ってるヤツはみんなそう呼ぶからさ」

 桃鎮似学園の生徒を人間扱いしていなかったのはどうやら自分らしいと、ナルははっきりと自覚した。

 それを教えてくれたこの優しい少女に、ナルは昨夜からの苛立ちをつかの間忘れて、目元を緩ませた。

 あの男に厄介払いとしてこの学園に放り込まれたことはいまだに悔しい。が、状況を悲観してウジウジしてばかりいても仕方ない、と貧乏生活をド根性で生き抜いてきたナルは思う。

 それに、ナルだって、新しい友達はほしいのだ。

「ありがとう……えっと……桜木さん?」

「じゅりあでいいわぁ。ナル。これからよろしくね」

 ナルはじゅりあと握手を交わす。

 思いのほか固い握手に、ナルはじゅりあの友情を感じた。

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