第6話 思いも寄らぬ出来事
「あ~、……私が君に婚約者候補になってほしいと言ったときの話を覚えているかい?」
「はい。あくまで表向きの婚約者候補で、私の他にも候補はたくさんいるから、婚約者になるようなことはないとのお話でしたよね」
「うん。そのときはね。――――万が一、候補者全員がなんらかの理由で候補を辞退するようなことになったのなら、その可能性もないでもないとも言ったはずなんだけど……」
たしかに、そんなことも話されたような気がする。
しかし、滅多に起こらないことだとも言っていたのではなかっただろうか?
それより、どうして今頃そんな昔の話を蒸し返してきたのか?
そこまで考えて――――ハッとした。
「え? まさか。……今、殿下の婚約者候補は何人おられるのですか?」
「……ひとりだよ」
王太子は、人差し指を一本立てる。
「……私以外に、おひとりおられるということですよね?」
「いや。君ひとりだけだ」
王太子の人差し指は、そのままアイリに向けられた。
あまりの衝撃に、アイリの頭は一瞬真っ白になる。
遅れて現実が叩きつけられた。
「どうして? どうしてそんなことになっているんですか? 殿下!」
ガバッと勢いよく立ち上がったアイリは、そのまま王太子に迫り、不敬にも襟を掴んでガクガクと揺さぶった。
「うわっ。落ち着いて、落ち着いて、アイリ!」
「これが落ち着けるかぁ~」
勢い余って、前世で習った柔道の
側近ふたりに無理やり引き離され、王太子の説明を聞く態勢が整ったのは、それから十分後だった。
「ゴホッ、ゴホッ……婚約者候補が脱落した一番の原因は……ゴホッ、学園時代の婚約破棄事件なんだ」
喉を撫で咳き込みながら王太子は説明する。
たしかにあの事件では、婚約者候補の筆頭だった公爵令嬢が辞退した。彼女が抜けた穴は大きかったが、それでも彼女以外にも婚約者候補は何人もいたはずだ。
不審に思うアイリに対し、王太子の話は続いた。
「困ったことに彼女は、公爵家の力を利用して他の婚約者候補のほとんどを自分の傘下に取り込んでいてね。おかげで、彼女の辞退と同時に取り込まれていた令嬢たちも、みんな一緒に辞退してしまった。大なり小なり公爵家の影響を受けていた家ばかりだったからね。公爵家の没落の巻き添えをくってしまったんだよ」
アイリは例外だが、他の婚約者候補は全員家柄で選ばれている。つまり、彼女たちを婚約者候補たらしめていたのは実家の力だ。その実家がダメージを受けてしまっては、婚約者候補であり続けることは不可能だったらしい。
「でも、そのとき全員脱落したわけではありませんよね?」
「もちろんだよ。同じ派閥の貴族ばかりを選んでいるわけではないからね。アイリを含め四人残っていた」
それでは実質三人だ。少ないような気もするが、最終的に選ばれるのはひとりなので、特に問題はない――――はず。
「君以外の三人が脱落してしまったのは、例の高品質ポーションのせいだよ」
「え?」
アイリは、虚を突かれる。
なんで高品質ポーションが、婚約者候補の脱落原因になるのか?
「実は……あの高品質ポーションが、美容に良いという話が、婚約者候補たちの間に広がったみたいでね」
「は? 美容?」
なんで美容?
首を傾げるアイリに、王太子は苦笑した。
「君はあまりそういうことに興味がなかったみたいだけど……飲めばたちどころに肌のハリが戻り、目の隈はなくなり、ニキビや吹き出物も一発で治る。髪には潤いが出て、シミやシワも消える――――そんなアイテムに、手を出さないでいられる女性は少ないみたいだよ」
アイリは、ポカンと口を開いた。
「……えっと、アイテムってポーションですよね?」
ポーションは、日本でいうところの薬の一種だ。傷や病を治す効果があるから、ニキビや吹き出物に効くのもわからないでもないのだが、だからといってポーションを美容目的で使う人がいるだろうか?
「そうだね。普通のポーションであれば、そこまで効果が高くないから、コストパフォーマンスを考えて使ったりはしないんだろうけど、なんといっても規格外の高品質ポーションだからね。その性能は、どんなにお金を積んでも手に入れたいと思うほど高かったみたいだよ。婚約者候補のご令嬢たちは、挙って騎士団に無理を言って手に入れたらしい。そして、一度使ってしまえば、その効果に二度と手放せなくなってしまったんだ。……しかも、あのポーションには依存性があるからね」
依存性のある薬物に手を染めた人間を、婚約者候補にしておけるはずがない。
「……三人ともですか?」
「ああ。三人ともだ」
アイリは、ギュッと拳を握り締めた。
……やっぱりあの子は疫病神だ。もっと早く追い出すべきだった。
せめて高品質ポーションを量産する前だったなら。
(チート錬金術師なんて、百害あって一利なしよ!)
心の中で、追い出した少女に呪詛を浴びせていれば、いつの間にか王太子が横に立っていた。
「事情はわかってくれたかな?」
「え……あ、はい」
聞かれて思わず頷く。ここまで説明されれば納得だ。
しかし――――。
「こ、婚約者候補は、今から補充することはできないんですか?」
最後の悪あがきをアイリはした。
「ムリだよ。私の妃になれるような令嬢は、婚約者候補になれなかった時点で、他の男性の婚約者になったり結婚したりしているからね。それを私の事情で破棄させるわけにはいかないだろう」
正論だ。
まったくもって正論なのだが、そうなってしまうと、アイリが婚約者に――――ひいては王太子妃になる道しか残らない。
(ど、どうしたらいいの?)
ソファーに座ったまま青ざめるアイリの前に、王太子が膝を着いて見上げてきた。
見れば、いつの間にか側近ふたりがテーブルを、よっこらしょっと持ち上げて、脇に退けている。
なんだか連携がよすぎないか?
「アイリ、これが君にとって不本意なことだとわかっている。それでも私は君に請いたい。……どうか私の妃となってくれないか」
「き、妃?」
婚約者をすっ飛ばして、いきなり妃?
いや、たったひとりの婚約者になってしまえば、妃になるのは必然なのかもしれないが。
「私は、君を愛している」
「ひぇっ?」
おかしな声が出た。
いや、おかしなことを言っているのは、王太子の方だ。
「あ、愛しているって――――」
「出会ったときには、既に惹かれていた。君の英知、考え方、すべて普通のご令嬢には持ち得ないものだ。おまけに性格は真っ直ぐで、努力家で。……愛さずにいられるはずがないだろう? ……ただ、君は私の側近になることを希望していた。だから、私の想いを無理強いはすまいと思って、側にいてくれればそれでいいのだと思って、我慢するつもりだったんだ」
衝撃の事実だ。
(殿下が、私を? そんな風に想ってくれていたなんて……)
頬が、カッと熱くなる。
王太子の告白は、続いた。
「でも、予期せぬ僥倖で、私は君にこうして愛を請える立場になれた」
「愛を請うって」
「そうだ。請いたい。私の妃になってほしいのはもちろん、私を愛してほしい。私は君と愛し愛される夫婦になりたいんだ」
……もう、いっぱいいっぱいだった。
思わぬ事態と、思わぬ愛を寄せられて、どうしていいかわからない。
目を白黒させるアイリを、王太子は愛しそうに見つめた。
「アイリは、私が嫌いかい?」
「そんなことありません!」
聞かれた言葉を思いっきり否定する。王太子が嫌いだなんて、ありえない。
「うん。そうだと思った。嫌いな人間の側近になるために、あんなに努力するはずがないからね」
優しく言われて、心が温かくなる。先ほども言っていたように、王太子は彼女の努力を認めてくれていたのだ。
「今は、それでいい。愛してほしいと言われてすぐに愛を返せるなんて、私は思っていないからね。ただ、私の愛を拒まないで、私の傍にいてほしい。私に愛されて、一緒に暮らして、一緒にすごして、私を愛せるか考えてみてくれないか?」
それでいいのだろうか?
愛し愛されたいと言いながら、すぐに愛さないでいいなんて。
「本気ですか?」
「もちろんだよ。待つのは慣れているからね。……それに、元々君は私の側近になるはずだったんだ。奇跡が起こって妃にできるこの状況に十分満足しているよ。今はこれ以上を望んだら罰が当たりそうだ」
王太子はにこやかに笑った。
アイリはホッとする。
「あと、妃になるからといって、君に側近の仕事をさせないわけではないからね。君には、公私にわたりこれまで以上に私を助けてもらうつもりでいる。かまわないよね?」
「はい! もちろん」
今までと同じように仕事をしていいのだと言われて、アイリは喜んだ。
今手がけている機構改革を最後までやり遂げたいと思っていたからだ。
彼女の手を握っている王太子の手に力が入る。
「よかった。では、これからもよろしく頼むよ」
「はい!」
――――このときアイリは、失念していた。
今まで通りの仕事を許可されたことに浮かれて返事をした、この「はい」が婚約者候補から婚約者に、ひいては王太子妃になることを了承した「はい」でもあることを。
たったひとり残った婚約者候補のアイリもまた、他の候補同様辞退することも可能だったことを。
アイリを引き寄せ、そっと抱き締めた王太子は「ようやく捕まえた」と、小さな声で呟いた。
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