第4話 十五年前の出来事の続き
ところが、アイリのその予想は一時間後に覆される。
なぜか急にお開きになった交流会から、そそくさと帰ろうとしたアイリと両親を王太子の侍従が呼び止め別室に案内されたからだ。
「いったいどうして?」
「まさか、うちのアイリが王太子殿下に見そめられたのか?」
「……いや、それはないから」
そわそわする両親のあらぬ期待を、アイリは容赦なく切り捨てる。
そうこうしているうちに、アイリだけが王太子の私室に通された。
大きな机に座る十歳の美少年は、とても機嫌がよさそうだ。
アイリが驚いたことに、王太子の両隣には、先刻アイリが話題に出した侯爵子息と男爵子息が立っていた。ふたりともばつが悪そうな顔をして視線を泳がせている。
「やあ、また会えたね」
「……殿下がお呼びになられましたので」
自分で呼びつけておいてなにを言っているのだろう。
ムスッとすれば、王太子は「アハハ」と笑った。
「ごめん、ごめん。君に彼らを紹介したいと思ったんだよ。ふたりがどんな関係か気にしていただろう? 実は彼らは、私の側近候補なんだ。他の子に見つからないように交流会の様子を探ってもらっていたんだよ。まあ、君には見つかっちゃったんだけどね」
あっけらかんと話された内容に、アイリは少し目を開く。
どうやらすでに王太子の側近候補は、選別済みのようだった。だったら今日の交流会はなんだったのだと思うのだが、他にも側近候補を見つけようと思ったのか、それこそ名目だけだったのかもしれない。
(交流会が名目かと思ったら、側近候補探しも名目だったのね。……あ、だったら婚約者候補探しも名目だったりしないかしら)
「ひょっとして婚約者候補も、もう決まっていたりしますか?」
「いや。それはないよ」
期待を込めて聞いたアイリは、王太子にあっさり否定されてガッカリした。
それが顔に出たのだろう。王太子がまた「アハハ」と笑う。
「君は、本当に私の婚約者候補になりたくないみたいだね」
「……まさか、そんな」
我ながら棒読みの台詞を返してしまった。
王太子は、お腹を抱えて笑い出す。
「ハハ、アハハ、今さらそんな言い訳は通じないよ。交流会でもわざと私に嫌われようとしていたじゃないか。まあ、それでかえって興味を惹かれたんだけどね」
アイリは膝から崩れ落ちそうになった。まさかの結果に、今度からはもっと情報収集をしっかりやろうと決意する。
一頻り笑った王太子は、少し真面目な顔になってアイリを見てきた。
「さて、もう一度聞くよ。君は私の『婚約者』になりたいのかな? なりたくないのかな? 正直に答えてくれなければ、私の希望を通すことになると思うけど」
――――『婚約者候補』が『婚約者』にグレードアップしているのは、なぜだろう? あと、王太子の希望とは?
いろいろ考えても答えの出なかったアイリは、正直に話すことにした。
「私のなりたいのは『側近候補』です」
質問された内容とは違う返答になってしまったが、気持ちは通じるはず。
現側近候補のふたりは驚いたように目を見開いた。
王太子は満足そうに笑みを深める。
「やっぱりか。でも、権力的には、側近候補より婚約者の方が上だと思うけど」
「その分、余計な責務も重いはずです。私のやりたい責務なら労を厭いませんけれど、やりたくもない美容術とか、必要以上の礼儀作法などを押しつけられるのは苦痛です」
アイリは、きっぱりと主張する。
いくらなんでも正直に話しすぎたかなと思ったが、王太子は怒らなかった。
スッと立ち上がると、アイリに手を差し伸べてくる。
「わかった。合格だよ。君を私の側近候補にしよう」
そう言った。
「え?」
信じられずに耳を疑う。
王太子の両隣のふたりは、あちゃ~という顔で額を押さえていた。
「とはいえ、女性の側近候補の前例はいまだかつてないからね。表向きは婚約者候補になってしまうかな。……ああ、でも安心して。婚約者候補は他にも選ぶから。すべて高位貴族のご令嬢ばかりにして、君のことは中位や下位の貴族から不満が出ないための名目なんだと関係者には説明するよ。王妃教育も形だけは受けてもらわなければならないけれど、そんなに頑張らなくてもいいようにするからね」
そんなに都合のいい話があるのだろうか?
しかし、最終的に側近になれるのなら、多少のことには目を瞑ってもかまわないのかもしれない。
「……本当に婚約者にならなくてもいいのですね」
「君の他にも候補はたくさんいるからね。万が一、彼女たち全員がなんらかの理由で候補を辞退するようなことにでもなったのなら、その可能性もないでもないけれど……そんなこと滅多に起こらないと思うよ」
たしかに、生まれた時から王妃を目指す高位貴族のご令嬢たち全員が、辞退するような事態など考えられない。
「それより、私の側近候補の仕事は甘くはないよ。存分に働いてもらうつもりだから、覚悟はいいかな?」
甘くないと王太子が言った瞬間、両隣のふたりは、うんうんと大きく頷く。
――――どうやら本当に甘くないらしい。
(望むところよ)
むくむくとやる気が湧いてきた。
「はい。頑張ります」
アイリは大きく頷いたのだった。
ここからアイリと王太子、そして側近候補ふたりの関係がはじまったのである。
そして、その後の十五年は、瞬く間に過ぎた。
婚約者候補に選ばれた当初こそ注目を浴びたアイリだが、名ばかりの婚約者候補には権限もなにもなく、やがて周囲に忘れられる。
それでも、他の候補者同様定期的に王太子と会う機会はあるので、それを利用した口利きや情報収集の依頼もあったのだが、成果を上げた者はひとりもおらず、そちらもいつの間にかなくなった。
目立たず人目を引かず、地味な令嬢として王立学園を卒業したアイリは王宮に就職。あちこちの部署で経験を重ね、この春、魔法省生産魔法部錬金術課支援係長になったのだ。
(学園時代の婚約破棄騒動も驚いたけど、支援係にチート錬金術師が採用されたのにもびっくりしたわ)
――――ここで一言断っておくが、婚約破棄騒動を起こしたのは、王太子ではなく、王太子の婚約者候補になった公爵令嬢の兄である。
平民の娘に惚れ込んだあげく、自分の婚約者を悪者に仕立てる裏工作を行い、結局それがすべて露呈して失脚するまでの流れは、前世で読んだラノベそのもの。
ちなみに、悪役令嬢の立場になっていたのは、側近候補の侯爵子息の義姉で、怒った侯爵子息は公爵家を徹底的に痛めつけた。かろうじて公爵という地位だけは残ったものの、経営していた事業をことごとく潰された公爵一家は、王都の邸まで売り払い、這う這うの体で領地に撤退。当然、公爵令嬢は王太子の婚約者候補を辞退した。
婚約者候補の中ではダントツな令嬢だったため、残念だなと思ったのは、侯爵子息には内緒だ。
かねてから義姉を憎からず思っていた侯爵子息は、義姉を囲い込もうとしているらしい。
それって溺愛監禁義弟モノ……いや、馬に蹴られるのは嫌なので黙っていよう。
そんなラノベみたいなことが起こるのだと驚いていたのだが、よもや自分の方にも追放モノのラノベ展開が起こると思わなかった。
(しかも追放する側なんだもの……どうなることかと思ったけれど、上手くいってよかったわ)
その際、根回しや準備に王太子の力をかなり貸してもらった。
だから、アポなしで呼ばれても決して怒ったりはしまい。
「で、なんのご用ですか?」
アイリは、ジロリと王太子を睨んだ。
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